ギュル大統領の7年間
2014年08月08日付 Radikal 紙


8月28日に任期を終えるアブドゥッラー・ギュル第11代共和国大統領は、任期中に多くの初のことをおこなった。最も内遊・外遊を行った大統領であり、886の法案につき、拒否権を行使したのはたったの4回である。

ギュル大統領は歴代の大統領の中で最も内遊・外遊を行っており、法案全てを承認するとして議論が沸き起こった。時には、盟友であるエルドアン首相とも対立し、ギュル大統領の妻がスカーフを着用したことで生じたレセプションでの危機を、自分の方法で解決してきた。大統領官邸にテーブルを設け、様々な層から話を聞いた。その過程では、穏健な言動、政党リーダーに対するアプローチ、自由を強調する発言により、時には野党からの称賛も勝ち得た。それが故に、ギュル氏が大統領に選ばれたときには共和人民党がボイコットしたが、大統領官邸から去る際は、レッドカーペットで送り出した。大統領任期中に、病気の囚人26人に恩赦を与えた。

在任7年間の主要事項。

■367回の危機にも後戻りせず

ギュル氏の大統領立候補の過程は苦々しいものだった。367回の危機と妻のスカーフ着用により生じた論争、共和国ミーティング、4月27日の「インターネット覚書(訳者註:2007年4月大統領選に絡み、参謀本部がインターネットを通じ警告を発した事件)」でさえ、後戻りしなかった。トルコ総選挙を前倒ししたが、立候補をあきらめなかった。大統領に選ばれた後、妻がスカーフを着用しているために公式レセプションで論争が沸き起こった。この危機を「同伴」「同伴なし」と2つのレセプションを行い乗り越えた。

ハイリュニッサ夫人がスカーフ着用を原因として大学入学が拒否されると、2002年に欧州人権裁判所へ提訴、2004年に取り下げた。大統領任期中に娘が結婚、孫が生まれた。

■大統領官邸にテーブルを設けた

歴史、文学、映画、法、考古学、ソーシャルメディア等様々なテーマで、故ネシェト・エルタシュなど84名のゲストを大統領官邸に招いた。大学生の質問を直接ヒアリングし、ソーシャルメディアの可能性・リスクをこのテーブルで話し合った。

■エルドアンを落ち着かせた

2014年5月の国家評議会創立146年式典で、トルコ弁護士連合会メティン・フェイジオール会長のスピーチの間、イライラしていたエルドアン首相を落ち着かせようとしたのもギュル大統領だ。式典から首相と一緒に抜け出したことは論争の的となった。

■時には対立した

ギュル大統領は、ソーシャルメディアを上手く使い、ツイッター・インスタグラムのアカウントから内遊・外遊に関する写真を継続的に投稿した。盟友であるエルドアン首相ともソーシャルメディア、捜査の双方で対立したこともあった。いくつか紹介しよう。

*憲法裁判所のツイッターに関する決議をギュル氏が評価するのに対し、エルドアン氏は「憲法裁判所の決議は国民不在のものであり尊重しない」と述べた。

*ゲズィ公園抗議行動や(それに対する)警察による過度の力の行使に関し、ギュル大統領は、「民主主義は単に選挙のみではない。平和的デモもその一部である。善意のメッセージが受領されたことを分かって頂きたい」と述べる一方、エルドアン首相は、「私は大統領がどんなメッセージを受け止めたのかを知る由はない。ゲズィ公園抗議行動は、クーデターの企みであり警察は勇敢に振る舞った」と述べた。

*2013年12月17日の不正捜査についてギュル大統領は、「不正のベールが脱がされるように。犯罪者が裁きを受けるように」(と述べた)。エルドアン首相は、「不正告発は口実であり、これはクーデターの企みだ、背後に『権力の並行構造』が存在する」と述べた。

*ゲズィ公園抗議行動の過程で、催涙ガスのカプセルで頭に傷を負ったベルキン・エルバンさんは9ヶ月後死亡した。 彼の死亡前日、ギュル大統領は、彼の父サミー・エレバン氏を訪ねた。エルドアン首相は、ベルキン・エレバンの死後、両親が行った発表内容を厳しく批判した。ガズィアンテップで行われた地方選ミーティングで彼の母ギュルスム・エレバン氏が非難を浴びた。

*エルドアン首相及びその周囲の不正を告発する証拠がツイッター経由で出回り始めると、エルドアン首相は「根元を断つ」と言ってツイッター禁止という手段を選択した。ギュル大統領は、ツイッターの禁止を打ち破ったひとりだった。後に「利用者数は倍増した」とツイッター禁止の効果を過小評価した。「閉鎖は不可能だ」。

*エルドアン首相は、ゲズィ、12月17日[不正捜査]、ツイッター禁止の決議を、(トルコが)世界のリーダーになることを阻止する目的を持った国外勢力の陰謀があると解釈した。ギュル大統領は、「トルコを壊すことを望むような勢力による陰謀との主張を支持しない」と述べた。

■内遊・外遊記録更新

ギュル大統領は、外遊で「共和国大統領史上最も内遊・外遊を行った大統領」の称号を得た。最初の外遊先はアゼルバイジャン、最後は米国であった。ギュル大統領は、公式、業務訪問、国際会議を含め、計66ヵ国を訪問した。フランス、アゼルバイジャン、トルクメニスタンへはそれぞれ6回訪問した。メキシコ、ブラジル、ルクセンブルク、コロンビアの島部も含め、98ヵ国の国家首脳を賓客として招いた。

ギュル大統領は、内遊でも記録更新した。大統領として初めてトルコ全県を回ったが、ブルドゥル県を43年振り、オルドゥ県を31年振り、ウシャク県を27年振り、アルトビン県を27年振り、ギレスン県を26年振りに訪問した大統領となった。

■886の法案が通過、拒否権行使は4回だけ

2007年の大統領就任以来、836の法案を通過させた。トルコ国会より大統領官邸に送られた法案のうち、拒否権を行使したのはわずか4回のみであった。 ギュル大統領は、2008年、宣誓財務アドバイザリー法と電信通信法に拒否権を発動し、2009年には失業法を国会に差し戻した。2011年、「八百長法」で知られる第6250号法に拒否権を行使した。同大統領は、世論で「検閲」と呼ばれているインターネット関連法案を、ハンガリー外遊の帰国後すぐ承認 した。条件として、法案中の2項目を新法で変更するよう課した。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:山根卓朗 )
( 記事ID:35008 )