Mehmet Y. Yilmaz コラム:エルドアン勝利、しかし満足させるものではない
2014年08月12日付 Hurriyet 紙

レジェプ・タイイプ・エルドアンは大統領選挙に勝利した。お祝いを言おう。ご健闘をと!

選挙結果を見て、もちろん多くのコメントが交わされることだろう。
投票のもたらしたメッセージが吟味され、政治家たちはここから自分たちのための教訓を得ることとなる。
しかし、議論の余地もない点は以下の事である。合法的な選挙が行われ、レジェプ・タイイプ・エルドアンはこの選挙の勝者として大統領となる。
しかし、選挙結果をみると、選挙に勝利したものの、レジェプ・タイイプ・エルドアンは自身が満足できるような結果を手に入れられなかったと私は考えている。
有権者のほぼ四分の一が投票しなかったというこの選挙で、(このコラムを書いている時点では)52%の得票率で当選確実となったことは、今後の計画を再検討しなければいけないことを示唆している。アンケートが示していたように60%近い結果を獲得していたとすれば、これと異なった政治的結果になっただろうが、現在の52%の得票は別の意味をもつ。
選挙で投票された全ての票が示していることは、今回の得票は、この前の地方選挙での投票に達してはいるものの、一つ前の国政選挙での票数を下回っているということだ。
この状況だと、(これから選ばれる首相に関する)「大統領に絶対的に服従する影響力の低い首相」像には検討の余地が生まれるだろう。

AKPが来年行われる国政選挙で憲法改正可能な投票率を達成したいのであれば、これを影響力の低い党首ではなしえない。この選挙結果はすでにこれを明らかに示している。巨大な宣伝、さらに今日に至るまで誰も手にしたことがなかった異様なメディアの支援にもかかわらずこの結果となったことからエルドアン自身は教訓を得るだろう。
確かにレジェプ・タイイプ・エルドアンは簡単に諦めるような政治家ではない、もともとの計画を実現させるためにあらゆる手段を最後まで試みる。
しかし、この結果はAKP内にある「強力な党首」論者の意と強くする結果である。

■クルチダルオールやバフチェリが敗れたのだ、またイフサンオールではなく

エクメレッディン・イフサンオールが選挙に負けた。しかし、実際のところ、選挙で負けたのはイフサンオールではなく、CHP党首のケマル・クルチダルオールとMHP党首のデヴレット・バフチェリである。
しかし彼らはこれから、実は敗北してはいないのだと弁明することだろうが、この結果は、今回の選挙でもまた、エルドアンに対して議論の余地のない形で選挙で敗北したということを示している。
投票率がここまで低かった理由もこの2つの政党であり、統一候補がエルドアンに対して負けたことの責任を負うのもこの2つの政党である。まだ「統一候補者」議論が始まったばかりのときに、私を含め多くのコメンテーターがこれでは第一次投票で敗北すると述べたものだった。無名の統一候補者では、もともと彼らが統制力を持っていなかった政党の組織をも活発化できなかったし、投票率の低さの理由になった。これにより、この前の選挙で獲得した合計の票数から約500万に近く票を減らした。

本来は、第一の目標はエルドアンが第1回投票で選挙に勝利することを防ぐことであっただろう。これを実現するには、両政党にとって自、分たちの支援者たちに魅力的に写り、また興奮を与えるそれぞれ一人ずつの候補を提示することであった。
このような候補者たちが提示されていれば、選挙の投票率はここまで低くならなかっただろうし、エルドアンも第1回投票で選挙に勝利しチャンカヤ(=大統領府)に行くことはなかっただろう。しかしこれを行わなかった。なぜなら政党内の候補者の成功は、将来自分たちの居場所を揺るがすことになると考えたからだ。「小さくあれ、私のものであれ」と考えたのであり、エルドアンが第1回投票で勝利することの理由となったのだ。この敗北の責任をとって退任することはなかろうが、それは、各党にとっても、トルコにとっても時間の無駄だ。
我々の政党法はひとたび党を手中に収めたものは好きなだけそこにとどまることを可能としている。
この政党の党員たちは、これに対して声を高められるのだろうか、正直にいって、私は全くそうは思わない、この連中は2015年での国政選挙での敗北に向け、現場に立ち続けていくのだ。

■アブドゥッラー・オジャランはデミルタシュを容認することができるだろうか?

この選挙の一人目の勝者がレジェプ・タイイプ・エルドアンであるなら、もう一人の勝者はセラハッティン・デミルタシュである。伝統的なクルド票に、約50%上乗せした。
この結果は「BDPのトルコ化」の道において重要な一歩であると、多くのコメンテーターが述べている。
私はこれに賛成の立場ではない。
この票は、BDP-HDPラインへではなく、直接的に、デミルタシュへの個人票、そしてキャンペーン中に使った主張への票だと私は考えている。この選挙がもし国政選挙で、BDP-HDPが、伝統的な主張を行っていれば、この票に届くことは不可能であった。
デミルタシュのこの成功から、この政治グループは自分たちの教訓をひきだすだろうか、発言また行動を見直すだろうか。
何かを述べるにはまだ早い。
しかし、忘れずにいよう。その政治的運動の「エゴ」は、最も上の政治的人物の影響の下にあると。
また、現在イムラル(=アブドゥッラー・オジャランのいる刑務所がある島)で囚人として監禁されているその「エゴ」は、自分自身を超える政治的キャラクターを象徴するデミルタシュに。これ以上耐えることができないだろうと、私は考えている

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( 翻訳者:桑迫静香 )
( 記事ID:35043 )