Oral Calisirコラム:欧米はなぜエルドアンを敵視するのか
2014年08月15日付 Radikal 紙

エジプトでのシシ将軍によるクーデターに声を上げない欧米から広がる「反エルドアンキャンペーン」の原因は、「トルコで見られる独裁の危機」なのだろうか?イラクでシーア派マリキ政権による宗派圧力を長年支援してきたアメリカは、トルコでアレヴィー問題が解決しないことにいらだっているのか?現実的になろう・・・

エジプトでクーテダーを遂行したシシ政権がラビア広場で行った虐殺から1年が経った。エジプトで選挙により選ばれたモルシ大統領は、西側の目の前で、軍事クーデターにより去ることとなった。これに対する反意の現れとして、エジプト国民はラビア広場に集結、何百万もの国民が参加した平和デモは、シシ政権により血でもって鎮圧された。

これらは全て、「文明世界」の目の前で起こった。米国をはじめ、虐殺を傍観した欧米は、クーデターを行った勢力をはじめから(直接若しくは間接的に)肯定するラインを取った。

エジプトのクーデターに、初めから「しかし」もなく、「けれども」もなく、反対の意を示したのはエルドアン政権だった。この態度を取ったことにより、国内の野党及び欧米の中心勢力から批判を浴びた。

シリアで反体制派が立ち上がってからは、米国を初めとして欧米諸国の多くは、反アサド政権派を支援することを決めた。アサド政権による虐殺、とくに化学兵器が用いられたことは抗議を呼んだ。トルコは当初から、反体制派の全面支援を表明し、アサド政権の抑圧より逃げてきた人々を受け入れた。

欧米諸国は、シリアの反体制がスンニ派を基盤とすることから、「ムスリム同胞」がこの抵抗運動で強化される可能性を重視し、「プロジェクト」を放棄した。しかしトルコは、アサド大統領の圧制に対する抵抗を支援し続けた。

この段階より後、欧米メディアとトルコ側の彼らの協力者は、エルドアン政権を「シリアにおけるテロリストを支援している」と批判し始めた。このことは、先日ワシントンポスト紙の推論的な記事にも表れていた。トルコが「ISISに対しレッドカーペットを敷いた」と報じたのだ。

■イラク占領

2003年を思い出してみよう。米国は、「独裁者サダム」を倒すため、イラクを占領した。(注:米国によるイラク占領は、トルコの一部の層から強く支持された。自らを「民主主義者」と定義づける記者らは、米国占領により、「イラクに民主主義がやってくる」と主張した。)

米国はイラク占領後、トルコの反対にもかかわらず、スンニ派を抑圧するマリキ氏を擁立した。もし、「ISIS (あるいは新たな名称であるイスラーム国)はどこから出て来たのか?」と関心を持つ者がいれば、イラク、シリアで疎外され、抑圧されてきたスンニ派のことを調べるといい。

結論として、欧米の中心勢力のいくつかと、それらと結びついた報道機関は、エルドアン及び公正発展党政権に対し、「独裁が築かれている」という路線でネガキャンペーンを行うことに躍起である。

以下のように考えよう。紆余曲折はあるものの、トルコは中東地域で議会制度の伝統が最も根付いており、最も自由な選挙を行っていると言える国である。当局の干渉と我々が良く衝突しているのは事実だ。「クーデター憲法」に導かれているというのも正しい。選挙法や政治政党法も残念ながら改正に至っていない。クルド問題では平和的解決の模索が続いているが、なされるべき重要な措置、アレヴィーに対しても解決されるべき問題が存在する。他にも挙げれば切りがない…

■欧米と独裁

エジプトでのシシ将軍によるクーデターに(せめて)声を上げることすらしない欧米から広がる「反エルドアンキャンペーン」の原因は、「トルコで見られる独裁の危機」なのだろうか?イラクでは、シーア派マリキ政権による宗派圧力に長年支援を行ってきたアメリカが、トルコでアレヴィー派問題が解決しないことにいらだっているというのか?あるいは、刑務所にいるトルコの若者のためになのか?現実的になろう・・・

この地域で、未だ安定と民主主義の点で最も優れた国家はトルコである。経済は、あらゆる主張にも関わらず、今もバランスがとれ、穏やかに進んでいる。30年間の内戦は、ほぼ終結に至った。

今、私はこれらの発言をすると、ある勢力が立ち上がるかもしれない。「お前は何を言っているんだ?この国でエルドアンは独裁を敷いている」と反発し、批評を書いてくるかもしれない。

私はエルドアン氏について様々な批判をしている。例えば、ジャーナリストのアンベリン・ザマン氏に対するエルドアンの物言いは、許容できるものではないし、CHPのクルチダルオール党首をアレヴィーのアイデンティティで定義つけたことは、差別主義を含んでいる。こうした事例の長いリストを容易に出すことが出来る。皆さんはエルドアンの思想世界あるいは国家の論理を認めることは出来ないかもしれないし、自分自身の生活スタイルと合わないかもしれない。中東に対するエルドアン氏の視点と皆さんのそれは異なるかもしれない。シリア、エジプト、ガザに関し、みなさんの分析・願望は異なるかもしれない。 

しかしそうであるからといって、トルコが変容を遂げたこと、軍の後見から脱却したこと、(今や)自分の足で立ち色々な問題で独自の態度を取ることが出来るということが見えないわけではあるまい。

結論として、欧米の主な関心事が民主主義であるとするのは現実的ではない。少なくともこのように見よう。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:山根卓朗 )
( 記事ID:35069 )