「1番」の街、マスジェデ・ソレイマーン
2014年08月12日付 Jam-e Jam 紙


 マスジェデ・ソレイマーンは、イラン国内で「1番」の付くことの多い街だ。「中東で初めて油井が建設された」街であるこの街は、今や「ないこと(欠乏)」で「1番」を記録的に獲得している街となっている。その「不足」ぶりは、この街を著しく疲弊させ、苦しめている。

 イランで初めての石油の街であるマスジェデ・ソレイマーンは、ザグロスの山々の中に位置している。この街はとにかく「1番」で有名だ。というのも、多くの都市生活上の便宜・施設が、イランで初めてこの街に作られているからだ。例えばこの街の「油井」は国内・中東初、採ガス井も国内・中東初、浄水場や上水道管、発電所、サッカースタジアム、ボーリング場、ゴルフ場、テニスコート、映画館‥‥なども、国内初のものがこの街で建設されている。もちろん、この街は今でも「1番」である。しかしその場合の1番とは、「ないこと(欠乏)」において、での話である。失業、貧困、医療施設の不足、上下水道の問題、これらは今、この地方に住む人々を大いに苦しめている。

 マスジェデ・ソレイマーンの抱える問題の一つとして、この街には12万人の人口がありながら、医療施設が2ヵ所しかない、ということが挙げられる。「シェファー病院」と「バフマン月22日病院」である。これらの病院は建設から57年が経ち、足りないものばかりである。にもかかわらず、マスジェデ・ソレイマーン市内の住民の医療をまかなっているだけでなく、ラーリーやアンディーカーといった周辺地域の住民の医療も担っている。

 マスジェデ・ソレイマーンの若者たちの失業は、この街の人々を苦しめているもう一つの問題である。生まれ育った街から出るのを望まず、失業と格闘している若者たちは、「偽りの職業」に走りがちだ。その一方で、他の町への移住を余儀なくされている若者たちもいる。

 マスジェデ・ソレイマーン、ラーリー、およびアンディーカー選挙区選出の国会議員であるエスマーイール・ジャリーリー氏は、この街には発展の度合いを測る指標から後退していることを示す、一連の現実が存在すると指摘する。同氏はメフル通信に、「なぜマスジェデ・ソレイマーンでの就業率は、イラン統計センターの統計によれば、43%だとされているのか、その理由について、現在われわれは皆、真剣に憂慮している」と述べている。

〔‥‥〕

 マスジェデ・ソレイマーンの金曜礼拝導師を務めるホッジャトルエスラーム・サーデグ・アミーニーも、同市の住民の抑圧と貧困について指摘し、「聖なる防衛〔=イラン・イラク戦争〕のときには、マスジェデ・ソレイマーンは数多くのミサイルや爆弾を経験してきた。1週間に150人もの殉教者を出し、1週間で〔全員の〕葬式を市内で執り行ったこともある〔にもかかわらず、マズジェデ・ソレイマーンは依然として不遇なままだ〕」と言う。

 同師はこのように前置きした上で、次のように付け加える。

マスジェデ・ソレイマーンでの石油発見は106年前に遡る。イギリス人によって中東初の油井がこの街の中心地に建設されたことから、徐々に人々が石油の採掘のために駆り出されるようになり、この街は少しずつ都市へと変貌していった。しかし、当初より普通とは異なった形で、問題を抱えたまま発展していった異形の街は、今や地理的観点からも、混乱と無規律に陥っている。〔この街の問題を解決するためには〕特別な視点が必要だ。


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( 翻訳者:大麻高校出身者の会 )
( 記事ID:35132 )