ギュル大統領、離任メッセージ
2014年08月25日付 Milliyet 紙


ギュル大統領は離任メッセージを発表し、国民に別れを告げた。ギュル大統領は別れのメッセージにおいて、並行構造との闘争についても言及した。

任期が8月28日で満了するアブドッラー・ギュル大統領は、国民に向けて呼びかけた離任メッセージを発表した。ギュルのメッセージにおいては以下のことが述べられた。

■7年の総決算

「トルコの第11代大統領としての任期が終わりに来ました。今日、皆様にお別れするにあたって過去7年の正直な総決算を、評価を行ってみたいと思います。

国民の意志を代表する、偉大なトルコ大国民議会によって選ばれました大統領の職務におきましてはまず大統領官邸の門をあなた達に、国民の皆様に開きました。政府と国民を一体化しました。憲法の適用と政府機関の間の調和をもたらす私の職務を最善の形のものとするよう努めました。立法、行政、司法機関の長たちと毎年定例としてここで一堂に会しての対話と調和へも貢献しました。

■公平性を守った

私自身の政治的なアイデンティティにも関わらず、公平性を厳密に守りました。各政党と議題における問題においてもきちんとコンタクトを取り協議しました。政府との密接な協力と調和の中での私の仕事がもたらした相乗効果は国の繁栄と安定に重要な貢献となりました。

国外においても、政府と国民をその力と尊厳にふさわしい形で代表したと信じています。政府機関と社会へ発したメッセージにおいて、民主主義、世俗主義そして社会的な法治国家である必要があるという点で全員が最大限の努力を示してくれることを望みました。

■EUプロセスを重視した

国内の一体性と全体性はこのような基盤の上でより良く守ることができると信じました。同様の形で、人権への敬意、教育の機会の均等、優れた統治、男女平等の発展そして民主主義が必要であるという理解の先駆けとなるように努めました。このような理解が私たちの地域そして世界で有効となるよう促しました。

政治家人生の初めから、トルコはイスラム教徒のアイデンティティを有する国家として、民主主義を、そのすべての民族と最も美しい形で実現することに成功することが、イスラム世界と世界平和にとって大きなプラスとなることを強く信じていました。そのためEU加盟プロセスを非常に重要視しました。

■バランス―抑制システム

首相、副首相そして外務大臣として以前職務に当たっていた時期に自ら主導して適用した政治と経済の改革の継続を大統領としても力強く支援しました。この路線を外れることなく継続するために21世紀にふさわしい新しい憲法が最も多くの人々の参加により整えられることと、可能であれば総意による承認のために、何回にもわたって呼びかけを行いました。三権分立の原則、バランス―抑制システムの私たちの民主主義における重要性を頻繁に強調しました。

■投票は神聖である

選挙の投票は神聖なものであり、国民の意思の、民主主義の基盤であると述べました。また民主主義のほかの原則と価値の重要性もまた思い起こさせました。民主主義の基盤となっている諸組織が弱体化しないこと、そうではなく強化されることの重要性を示唆しました。
法の優位と司法の独立そして公平の原則が、どのような形でも侵害されることがないように努めました。同様の形で思想、宗教、信条、良心の自由を常に最優先としたことも価値あることでした。

■新しい政治のマナー

メディアとソーシャル・メディアの自由を綿密に監視しました。これはしかしながら例外的で正当な場合に規制できるという警告をしました。政治とメディアにおいては時々限度を越えて激しく無礼な方法がとられたときに警告をしなければなりませんでした。このために私たちの国が到達した水準と伝統的なモラルと慣習に似つかわしい新しい政治のマナーの必要性について何度も言及しました。我が国で合意の文化が根付くことを強く望みこの方向で努力したことを、きっとご覧になったことでしょう。困難な日々では皆様に信頼と冷静さが宿るように努めました。

■報復主義を避けるように示唆した

分裂と報復主義、復讐主義に傾く人々を確認した時には、これらから離れることを常に望み示唆してきました。なぜなら国民の皆様が自らのものとした、例外なくすべての宗教、宗派、信条、思想そしてアイデンティティの多様さ、豊さは私たちの共通の強さを構築したと心から信じていたからです。私たち社会の全ての層とこれに基づき対話をし、架け橋をつくりました。宗教と信仰の自由は基本的な権利そして自由とは切り離せない要素であるという私の信念で世俗主義の誤った適用を終わらせることをいつも主張しこれを支援しました。

■スカーフ問題を終わらせた

スカーフ問題によって引き起こされた国の分断を私たち政府は最高の水準で終わらせたのをご覧になったでしょう。初めてのジェムエヴィ訪問を行いました、アレヴィーのイフタールに参加しました。非ムスリムの国民の問題に関心を持ち、宗教的祝祭を祝うことを怠りませんでした。

■軍事後見に終止符

思い出して頂けるでしょうか7年前の最初の国内訪問ではいくつかの東の県へ行ったのです。この訪問における国民の皆様が私個人に、我が政府に対して示した熱烈な親愛の情と敬意は私に深い影響を与えました。クルド系の国民の皆様が歴史に源を発する文化的、人道的、政治的、経済的な問題を解決するため行われた取り組みにインスピレー ションと援助を与えました。軍事後見とクーデターの議論に終止符を打つための改正を認可しました。私自身の最高司令官という資格をもって、トルコ軍の要求と構成員の問題にとても近くから関心を持ちました。軍の近代化と強化に尽力しました。防衛改革の準備を率先しました。殉職者と退役軍人に対していつも特別な関心と心遣いを示してきました。

■教団と並行構造についてのメッセージ

総じて長い拘留期間や国会議員、参謀総長と、新聞記者たちが拘束されていることが問題に上った時には懸念と警告を世論と率直に共有しました。公務においては国への忠誠、能力そして資格が基盤であるべきであると思い出させました。政府のシステムの中で憲法と法律に則らないいかなる連帯や合意も認めないということを常に強調しました。

■国家監査委員会(DDK)を活動的にした

大統領として国家運営において透明性と責任能力が支配的であることを切望しました。このことは民主的な運営と厚生の基盤であると指摘しました。これに従い、会計検査院の監査の権限を守る問題においても厳格に振る舞いました。また国家監査委員会(DDK)を、公共の良識と利益に従って機能させるために、歴史で初めてここまで活発な状態にしました。

■改革を主張した

経済においては、政治の安定と経済成長の関係への重要性を強調しました。持続可能な成長が必要であるという問題における提言をしました。この枠内で教育における質、科学と技術の発展、起業の気運を後押しすることの重要性を何度も強調しました。すでに情報社会へと転換することが必要であると述べました。目の前の根本的な試練や危機の瀬戸際で、中所得経済の罠に陥らないよう注意しました。この方向で経済と法制の改革が行わる必要があると主張しました。

私たちの経済―社会生活における基盤である実業家、産業家、貿易業者、労働者そして公務員の労働組合、農業従事者、中小事業者、職業団体は最も緊密に接触した層です。81の県に行った訪問では自治体や党を分け隔てなく訪ねました。この訪問において国民の友愛と共生の感覚を促しました。
 
妻と共に多くの社会的責任プロジェクトを援助しました。豊かな文化的遺産の保護も率先するよう努めました。どの機会においても環境と自然の生活を保全する意識をつくり出すことに尽力しました。宗教学者と芸術家たち、思想的、科学的、文化的な人たち、大学を、私たちの知的、精神的豊かさの立派な代表者であると認めました。彼らとまた若者たちと親密な対話をしました、彼らの考えを役立てました。

■妻と代表した

私たちの政府と国家を国外においても妻と共に最大の配慮を示しながら代表しました。私たちの国の外交政策の目的そして戦略的な利益に基づき集中的な外交活動を行いました。トルコの外交において高潔な力を代表することが必要であるという信念と共に地域と世界平和への真摯な貢献をすることを目的としました。もう一方で私のこれらの活動が経済と商業、ビジネス界の要請へ、交通そしてエネルギーのような戦略的な分野における利益への回答となりました。

私の外遊を、実業家、貿易業者、事業者のプロジェクトや、輸出、投資の評価に多くの場合に転換しました。多くの国へトルコから行われた最初の訪問を実現しました。多くの国から初めて元首を迎えました。友人であり盟邦である国の首脳と共に関係を最高の水準にまで強めました。40年の間が空いたのちに国連安保理(BMGK)の一員に大きな成功と共に選出されたことの喜びを経験しました。安保理では私自身が議長を務めました。

■キプロス裁判

EU加盟へのプロセスの止まることのないに前進に細かい配慮を示しました。近隣、友好、親戚そして同族の国家との親密な関係を強めつつ守りました。トルコ人世界とイスラム世界との私たちの関係を最高の水準に高める貢献もしました。キプロス裁判への支持を最初で最後の訪問を北キプロス・トルコ共和国へ行い、力強い形で表明しました。 世界中のトルコ国民、出稼ぎ労働者、同族に対し、常に注意深く関心を寄せました。

アジアにおける巨大な経済と成長する国々と新しい関係をもたらしました。アフリカやラテン・アメリカのような遠方の地域へもわたりました。パレスチナと、ナゴルノ・カラバフをはじめとする私たちの地域の慢性的な外交上の不和において、問題解決アプローチを発展させました。パレスチナ裁判では毎回訴えを行いました。いくつかの地域的な共働の試みと和解メカニズムへの率先と主催をしました。

国際的なフォーラムでおこなった呼びかけで、貧困、麻薬物質問題、大量殺戮兵器の拡大、外国人排斥、人種差別主義、宗派主義、狂信、イスラム恐怖症そして反ユダヤ主義にいたる世界的な問題と脅威に対抗する人道主義の共通の闘争を促しました。

■議会へ政府へ、司法へそして市民社会へ感謝

7年間にわたって、あらゆる考えから、政治政党から、信条から、アイデンティティから、老若男女全ての国民の私への熱烈な親愛の情と信頼をすぐ近くに感じました。皆様が示してくださった心からの親愛と信頼は、大統領時代の私の最も神聖な思い出となるでしょう。

偉大な議会へ、政府へそして司法と市民社会へ私と共に行った価値ある仕事への協力に心から感謝します。私たちの祖先、私たちの国の創始者たち、殉職者たち、英雄たちの尊い思い出をこの機会にもう一度思い起こします。それぞれにアッラーの御慈悲がありますように。

私が職務から離れるにあたって、親愛なるトルコ国民と国家の将来への私の信頼は、ゆるぎないものであることを申し上げたいと思います。

私と私の家族の名において、皆様がアッラーのお助けにより健康と無事でありますように。

若者たちへ、子供たちへ接吻を。

皆様へアッラーのご加護がありますように。」

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( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:35181 )