Murat Yetkinコラム:CHP今日、党大会―「変わるべきか変わらざるべきか、問題はそれだ」
2014年09月05日付 Radikal 紙

今日開催のCHP臨時党大会は単にクルチダルオールか、インジェかを決めるものではない。より自由主義的で、より女性が参加する、より若い、自らの経済政策、クルド政策をもつ党になるのかならないのかを決める党大会だ。

公正発展党は、大統領選で勝利をおさめたので、臨時党大会を開いた。党首で首相だったエルドアンは大統領になった。彼の代わりに外相のダヴトオールが党首に選ばれた。エルドアンがそう指示し、ダヴトオールは今や首相だ。

共和人民党はというと、大統領選に敗れたので、臨時党大会を開こうとしている。公正発展党は勝利したので、脱皮することができた。共和人民党は、敗れたがゆえ、当然のこととして、脱皮しようともがいている。

はっきりいっておこう。共和人民党に変化を強いているもの、あるいは変化のために臨時党大会を開かせようとしているものは、党内の反主流派でも、(敗れた大統領候補)エクメレッディン・イフサンオールを担ぎだしたことでもない。公正発展党が勝利したことだ。

では、共和人民党は、やむを得ず自身に割り当てている「より、意味のある野党」という役割のために、刷新するのか?

あるいは、「政権をとる」目的のために刷新するのか?

今日、アンカラで開かれる党大会の前に、基本的問題はこれだ。

しかし、別の問題もある。たとえば、公正発展党では、党の経済担当局長ヌマン・クルトゥルムシュの後任にメフメト・ムシュが着任した。ムシュは32才で、2011年から国会議員を務めている。
平均年齢が29歳のトルコにあって、これ以上に自然なことはない。もちろん、ここはトルコ・・。オーストリアの27歳の外相のことを(その発言で)にがにがしく思っているエルドアンでさえ、これほどの権力をにぎっていても、オールドジェネレーションとヤングジェネレーションの間を調整しようとしている。ヤングジェネレーションといえる副首相のヤルチュン・アクドアンは、「いや、もう45歳ですよ」といってはいるが。

しかし、一方の共和人民党では、老齢のオンデル・サヴが誰を支持するのか、アドナン・ケスキンがどう行動するかを議論しなくてはいけないのか?まだ、そんなことを?
かつての共和人民党は、36歳のデニズ・バイカルを財務相に、47才のビュレント・エジェビトを党首にした歴史をもっているのもかかわらず・・・。
共和人民党は若返らなくてはならない。クルチダルオールが昔の活躍を慮って国会議員にしてしまい、今おおいに後悔している連中はいるものの、クルチダルオールのグループには、党の若手もいる。

共和人民党は女性を増やさなくてならない。「(女性数の)党議会3分の1条件」は、「最初のクルド・レポートをつくったのは自分たちだ」という主張ほどに、古びた、時代遅れのものだ。女性を前面にだし、共同党首システムをつくるか、スカンジナビア方式をとって、各層での50%条件を議論することは、目標を社会正義におく党の、共和人民党のような、トルコで最初に女性の社会進出を実現させたというにはふさわしくないのか?
いい女性候補がいないという連中へのは、男にはどれだけいい候補がいるのかと聞けばいいだろう。結果をみていけばいい。

クルチダルオールの対抗馬のムハッレム・インジェが正しく指摘する点は、共和人民党の支配的な空気が政権を担う展望を失ってしまっている、という点だ。インジェにとって不幸な点は、彼が支持を期待している集団が、「党首は小物がいい、自分のいうことをきくような」という理解を体現する人々だ、という点だ。

共和人民党首脳部は、いまだに、選挙民が、いつも泣き泣き不満をいう党ではなく、何をしようかを語り目標を示す党を望んでいるということを、わからないのか?
クルチダルオールの行っていることは正しい。遅くに失したとはいえ、正しい。「共和人民党にかけているものは、経済政策とクルド政策だ。」

HDPが大統領選でえた10%の得票に自信をもち、2015年の選挙に共和人民党と共闘せずに参加し、そして10%の最低得票率規定を突破しないという状況になれば、全での地方の票が公正発展党のものになってしまうことは火を見るより明らかだ。共和人民党とHDPが、共通の民主主義的基盤をもとめることは、大統領選で民族主義者行動党と共闘してことよりも、不正義と言えるだろうか?

臨時党大会では、おそらく、クルチダルオールかインジェかを議論するに際に、これらも議論されるだろう。

しかし、これらすべての前に、最初の問いへの答えが必要だ。共和人民党は、少なくとも外から見るかぎり、より社会正義をもとめ、より自由主義的、近代的で政権を視野にいれた党になろうとするのか、あるいは、今のままでいようとするのか?

これへの答えは、短に、トルコにおける野党の体制を問うばかりでなく、トルコにおける民主主義の質を問うものだ。

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:35261 )