トカト城塞でドラキュラ伯爵の秘密の通路発見
2014年09月08日付 Milliyet紙


トカト城塞で、1400年代に捕虜となったワラキア公ヴラド3世(通称ドラキュラ公)が捕らえられていた監獄とペルヴァーネハマムにつながる隠し通路、そして兵士の宿舎が見つかった。

トカト県と県文化観光局によって、トカト城塞の観光地化を目指して2009年に補修工事が始められた。2010年に一度終了した工事の第二部が2か月半前に始められた。この工事ではセルジューク朝とオスマン朝の時代に防衛目的でつかわれていた城塞の塔の補強と、城塞周辺の発掘作業が行われた。

■新たな建造物が見つかった

3人の考古学者の監督のもと行われた作業の中で、食糧つぼ、兵士の宿舎、街の中心部に位置するペルヴァーネハマムに繋がる隠し通路と2つの監獄が発見された。監獄の一つには、1431年から1476年の間に生きたとされるワラキア公ヴラド3世が捕虜として捕えられていたと考えられる。トカト市役所で働く考古学者イブラヒム・チェティン氏は発掘作業のあと、いくつかの建造物が見つかったと述べ、以下のように話した。
「我々が見つけた建造物の地層から時代を明らかにしようとしているところです。2010年の発掘作業の際、素晴らしい皿を発見しました。今年の作業では食糧つぼを発見しました。新しい建造物を発掘しました。地下1メートルほど掘り、これらの建造物は完全に姿を現しました。先のほうにはテラスのように使われていた開けたスペースが現れました」

■とても神秘的な城塞だ

「地下に降りるにつれてこれらはさらに姿を現すことだろう。建造物の上部が開かれたので、何の目的で使われていたのかも明らかになった。これらは明らかに兵士の宿舎、監獄、刑務所として使われていたと思われる。さらに隠し通路もあります。ペルヴァーネハマムに、つまり、街の中心部につながる隠し通路です。襲撃があれば、街から必要な食糧と水を補う目的で作られた隠し通路もいくつかあります。これはとても神秘的で、歴史に光を差す城塞なのです」

発掘作業の中で、チェティン氏は監獄の形をした別々の2つの建造物を発見したこと、またこれらのうちの一つに1476年オスマン帝国軍と始めた戦争で捕虜となったワラキア公ヴラド3世が収監されていたとして、次のように語った。
「ここで発見された2つの建造物は監獄として使われていたのだろうと考えています。ドラキュラ公がどの部屋に収監されていたのを推測するのは難しいですが、ここのどこかで捉えられていたと考えられます。このスペースへ入るのは完全に右からだけとなっていて、左側は住居として造られてため、監獄であったろうと推測しています」



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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(翻訳者:桑迫静香)
(記事ID:35297)