Oral Calisirコラム:オバマに問う、「サッダムか、イスラム国か?」
2014年09月20日付 Radikal 紙

イラク・シリア・イスラム国家(IŞİD)は、いまやトルコの国境沿いまで迫っている。アメリカ中心主義の、そしてトルコでは野党支持の報道は、まるで「イスラム国はトルコが生み出した」というような空気を広めている。かつてはアメリカによるイラク侵略を擁護したコラムニストらが、今はアメリカを発信源とした報道に追随して分析を行っている。

2002年の年末から2003年の最初の数ヶ月の頃のトルコを覚えているだろうか。アメリカはイラク占領のためトルコに軍隊を配置することを要求し、国会の「(イラクに対する)占領議案」可決を待っていた。

世論は当時も「バラバラ」であった。主要メディアは完全に「占領支持」というムードだった。アメリカを称賛し、「占領のために早く来てほしい」といったスローガンまで出して声高に支持を主張していた。占領を支持した人々を先導していたのは、そのほとんどが「リベラル派」として知られる人物らであった。アーカイブから当時の記事を読んでみなさんがどう感じるかはわからないが、私には、国境沿いの有様が彼らの理論を日々少しずつ打ち崩し、さらには悲劇へと進めているように感じるのだ。

■惨劇はイラクへの占領から始まった

この地域をめぐる惨劇という観点から重要な転換点の1つが、2003年のアメリカ及び連合軍によるイラク占領である。サッダム・フセインの死刑執行により統率者が失われたことは、「イスラム国」という残酷な存在を生み出す手助けをしただけでなく、その前触れでもあった。ネオコンがイラクや当該地域を「民主主義の輸出」という目的で計画した軍事占領は、当該社会の力学を根底から覆した。何十万人という人々の生活が失われ、イラクとその周辺地域は完全に混沌に包まれた。アル・カイダによるテロ行為は、占領後にピークを迎えた。アメリカ軍は数年前に占領したイラクから撤退したが、その後には焼きつくされ、崩壊され、バラバラに分裂し、そして暴力が支配するトラウマに満ちた国が残った。

■アラブの春は適さなかった

当該地域に「民主主義の輸出を望む」欧米諸国は、アラブ諸国に固有の「自由の風潮」の「最初の兆し」とされる「アラブの春」に対して、それが始まったばかりの短期間では関心を示したが、その後は距離を置くようになった。アラブの春の加速は欧米諸国がコントロールしたものではなく、アラブ諸国の中から押し寄せられた波であった。

「民主主義と自由の要求が内側からの原動力によって前進していく」現実を目の当たりにし、欧米諸国はこの社会現象を理解できなかった、あるいはこの内的な力による加速が気に入らなかった。アラブ諸国における民主主義の波動は欧米諸国の基準に適する範囲を超えて、より伝統的な形で形成されていた。強い信仰心が、これらの国々の政治文化における変化願望の発露を規定していた。

■欧米諸国が理解する「イスラム」

欧米諸国が認識する「政治的イスラム」は、暴力と偏見で満ちた「社会的パラダイム」である…多くの問題や欠陥があるには違いないが、基本的に「イスラム多元主義」を目的とし、政治における暴力を否定する運動としての「ムスリム同胞団」は、欧米諸国にはどの時代にも共感されなかった。ムスリム同胞団は西欧諸国の認識論によって考えることを拒否し、その認識論から離れて行動することを選択している。

西欧諸国が示したい「政治的イスラム」とは、イスラム国やアル・カイダ、アル・ヌスラといった組織のことである。アラブ諸国における自然な変化はというと、当時は主に暴力を排し、多くの声に柔軟なプロセスを観察する傾向に入りつつあった。

アル・カイダやタリバン、そして直近のイスラム国は、西欧諸国が焼きつくし破壊した国々における絶望や残酷性の生成物として生まれた。暴力が最も強く経験された場所や、貧困や混乱が最も大きかった地域、(つまり)アフガニスタンやイラク、そして直近のシリアといった地域は、最近の分析ではこうした状況の生成物である。以下のことも付け加えよう。こうした状況を生きる人々の責任をヨーロッパやアメリカにだけ押し付けることは、客観的なアプローチではない。ムスリムもまた、「ムスリム同胞団」を含めて「新しい考え方」と成熟過程へと入る必要性があることも事実だ。

イスラム国はいまやトルコの国境沿いまで迫っている。アメリカを中心にトルコが反対勢力を支援したと伝えられた報道は、あたかも「イスラム国を生み出したのはトルコである」といった空気を流している。昨日はアメリカのイラク占領を擁護したコラムニストらは、今ではアメリカを発信源とする報道に追随して分析を行っている。

ワシントン(アメリカ政府)は、これらの地域における勢力図の本質的な責任は当該地域の住民であるかのように、「少し手伝ってあげよう」といったムードにある…ではトルコは何ができるのだろう。イラクの壊れた安定を守ることや、シリア内戦における不明瞭さの克服を望む以外に。

■自発的な同盟としてのクルド

トルコは、当該地域における混乱が完全に定着する前に行った「解決プロセス」の攻撃により、勇敢でかつ決定的な1ページを開いた。しかし以下のことを述べよう。この一歩は、シリア問題ではまだ内実を備えたわけではない。現在、トルコ国境に押し寄せているシリア人らの圧倒的大多数はクルド人によって構成されている。イスラム国によるテロ行為に対抗し、地域を守る繋がりにおいては、最も大きな責任をクルド人らが背負っているのだ。

トルコはこうした現実を見て、クルド人らに関する先入観を端へと追いやらねばならない。中東地域における自由や平和、そしてよりよい生活への希望といった観点から、クルド人らは最も重要な「潜在的要素」を形成しているのだ。

彼らとのより深いレベルでの「国境を超えた戦略的協力関係」を結ぶ時がいま来ている。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:35384 )