Cengiz Candar コラム:誰が、誰の、何のための「人質」だったのか?
2014年09月24日付 Radikal 紙

トルコの外交政策が、49人の人質が解放された後もイスラム国(ISIS)の「人質となり」続けていることは、何よりも、クルド人との関係において出現されることが予測される諸問題の端緒となるだろう。

人質たちの無事の帰還は、疑いもなく、全国民を大いに喜ばせた。しかし、この進展は、首相およびメディアにおける公正発展党(AKP)スポークスマンの、逆のいかなる努力にもかかわらず、「成功の物語」として政権の記録に記されることはなかった。

正反対のものとなった。「AKP政権の成功」にの一方で、ISISとの関係によって、「外交的醜聞」が取り沙汰されている。トルコ外務省事務次官で元米ワシントン大使のファルク・ローオール共和人民党(CHP)国会議員は、昨日(23日)ニュースサイトのİnternethaberに対し、さらに踏み込んだ表現をし、「人質危機」が「トルコ政治史の恥」となったと述べた。

ローオール氏は次のように述べた。「ダヴトオール首相の、先見性のない向こう見ずな政治が諜報の弱さと合わさると、トルコ共和国モースル領事館は館内職員とともにISISの手に落ちた。

発生したこの事件は、政府が地域政治をよく読み取れなかったこと、警告の兆候を判断できなかったこと、および時宜にかなった断固とした対応という観点からも政府が力不足だったことを再び明らかにした。

地域的視点からは、トルコは外交政策において指導する立場から引っ張られる立場に落とされてしまった。ISISの玩具になってしまった。」

人質の解放が、領事館襲撃事件におけるAKP政権の責任を忘れさせることはできないように、ヨーロッパやアメリカとのトルコの関係をも「ISISの担保」から救うことはできないように見える。

ローオール氏の、「国際分野において、トルコとISISの関係は、ヨーロッパ世界におけるトルコの立ち位置および協調を揺るがしうる。トルコを反ISIS連合に加えるアメリカの努力は近々強まるだろう。トルコにかかる圧力も高まるだろう」という言葉は正しい。実際、先日アメリカのジョン・ケリー国務長官がNBCテレビとの対談でトルコについて述べた、「ISISの口実が取り除かれ次第、トルコからの活発で具体的な貢献」を期待することに関する発言がある。

しかし、トルコの外交政策が、49人の人質が解放された後もISISの「人質となり」続けていることは、何よりも、クルド人との関係において出現が予測されることが予測される諸問題の端緒となるだろう。

イラクのクルド人の間で―バルザーニー政権にとって特に問題となっているが―アルビルがISISの脅威下にある中、トルコが全く動かないために抱いた「失望」の深さを、「直接当事者」から私は知った。

更に言えば、我々が言う「失望」を非常によくわかっているイラン人が、クルド人自治政府に「トルコ人との関係をあまり進めすぎないようにと、我々はあなたたちに警告した。あなたたちはあっぴろげになりすぎたのだ。我々が正しかった」というメッセージを伝え、「勢力圏」拡大の動きを始めていることを。
トルコで全く取り上げられることはなかったが、これは「アルビル-バグダードライン」で知られている問題の一つだ。

最も重要なのは、トルコおよびシリアのクルド人の間で、トルコとISISの関係に関し―さらには人質たちの解放後―コバーニーに対して生まれた認識である。

はっきりしている例は2つ。1つは、昨日(23日)ミッリイェト紙のアスル・アイドゥンタシュバシュ氏のコラムに掲載されたPYD(民主統一党)指導者であるサリフ・ムスリムの発言内容である。

「サリフ・ムスリムはISIS問題におけるアンカラの沈黙に不満を示している。トルコメディアから湧いた「ISIS戦闘員がトルコで治療」といった種の報道を一つずつ説明している。

「(トルコは)介入しないのなら、せめて誰かが我々に支援するのを邪魔しないでもらいたい。市民が我々の目の前で殺されている。これをどう思うのか。実現してほしくはないが、コバーニーが陥落したらこの罪は誰のものになる?トルコのものだ。その時になって友情だの兄弟関係だのとどうして言えようか?このこと は、クルド問題解決プロセスにもマイナスに反映されることになるだろう。」

サリフ・ムスリムの悩みは、誰かが出てきてISISの進行を止めるためにクルド人を支援することである。「トルコは攻撃しない。アメリカ、フランス、さらにシリア軍もありうる。誰が攻撃しても構わない。だが我々をISISと2者だけにしないでほしい。」

そして、何よりも重要なのは、コバーニーで進展している状況に関して(PKKリーダーの)ムラト・カラユランが、Sterk TVにおこなった説明で使ったことば、話し方、伝えたかったメッセージである。

「コバーニー攻撃と共に北での解決プロセスは終わった。最終宣告はアポ(アブドゥッラー・オジャラン)が言うだろう。コバーニーはダーイシュ(ISIS)やAKPの考えているようには陥落しない。

(ISISは)領事館の人質たちを9月20日に解放した。計画はダーイシュが9月20日にコバーニーに進攻することだった。「人質交換はしていない」と言うが、トルコはコバーニーを売ったのだ。これは外交上の勝利だという。だが外交上の不名誉だ。世界がこれを目撃している。トルコメディアは 反AKPを標榜する者たちでさえ、49人が解放されたとお祭り気分だ。それでは何千ものクルド人は?トルコはダーイシュとの関係を断ち切っていない。世界に何を言おうと構わない。緩衝地帯によるもくろみは、ロジャヴァの自治区域を一掃することだ。

これは戦車の戦争だ。これはダーイシュの攻撃だけではない、これは計画だ。AKPとダーイシュの計画だ。以前この計画にトルコがいるのかいないのか議論するべきだと我々は言ったはずだ。しかし5日でこの疑惑は疑惑ではなくなった。内部にAKP、トルコ政府がいる。これは確実だ。コバーニーの陥落を計算していたのだ。そして緩衝地域を作るはずだった。トルコ政府は3年間ロジャヴァの拠点に反対している。ダーイシュは北からコバーニーの村を発見し計画を立てた。国民はトルコ政府のこの行動をよく知るべきだ。」

つまり、カラユランは暗にではなく、はっきりと「AKPとISISの協力関係」に言及している。人質の解放を、彼は「人質交換」と結び付けているが49人のトルコ人の人質の解放の代償として、ISISへのコバーニーの明け渡しを人質交換として位置付けている。

このことを「陰謀論」や「たわごと」とみなす者が出るだろう。そうであるどうかは重要ではない。重要なのは、この発言をムラト・カラユランがしたということであり、このような認識それ自体、もしくは少なくともクルド人たちに、こういった「認識」が持たれることが望まれているということだ。

このことは、トルコ・クルド関係、地域均衡、クルド人とヨーロッパの関係模索、多くの問題に対し望む望まないにかかわらず強い影響となるだろう。

少なくとも、AKP政権は、再びクルド人を代表して「最終的な決定をくだす」権限を持つアブドゥッラー・オジャランに従うことを余儀なくされている。

こういう政府であるから、あれやこれやの理由からISISやアブドゥッラー・オジャラン、あるいはNATOやアメリカに、誰かに、どこかに従わされている。主張とは逆に、自身の意志を支配できなくなった。そのうえトルコはどこかに危険な形で遠ざけられている。

アメリカは昨日(23日)明け方、シリア領土のISISターゲットに巡航ミサイルを発射し、ペルシア湾から飛び立った戦闘機で爆撃した。作戦にはヨルダン、バーレーン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦の戦闘機が参加した。カタールから出撃したとみられている。「連合」には、目に見える形では、NATO加盟国でありISIS(の制圧地域)と接しているトルコだけがいない。

「連合爆撃」は、コバーニーに進攻するISISを止めるために行われたのではない。ラッカやロジャヴァ、デリゾール、その周辺のISISターゲットを爆撃した。つまり、イラクやISISの手中にある、シリア内陸地域で(爆撃が)激化したのだ。

これは軍事的意味合いというよりも政治的意味合いをもっている。トルコ国境に20万ものシリアのクルド人難民が集まり、ISISは、スルチの向こう側に位置するコバーニーに進む一方、正反対のこの爆撃は何なのか。

トルコにとっても、クルド人にとっても、何事かを物語っているに違いない 。しかし、アルビルが脅威下に入り、モースル・ダムが襲撃されると、アメリカの爆撃の激しさはISISを後退させた。

コバーニーのためになぜ同じ行動がとられないのか?

続きはまた明日にするとしよう。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:安井 悠 )
( 記事ID:35411 )