Cengiz Candar コラム:クルド人とともに「イスラム国」と戦おう
2014年09月28日付 Radikal 紙

コバーニーという鏡に映るAKP政権……

コバーニーで昨日27日明け方に明らかになった「新軍事バランス」は、コバーニーが「クルド人にとってのスターリングラードとしての地位」をあまりにも強めるので、今後の情勢がどのように進むにしても、AKP政権の観点からはある種の「コバーニーの紀元」となるだろう。
「現地」での新たな進行がそれである。昨日27日の明け方、アメリカの飛行機がコバーニー周辺にあるISISの標的を攻撃したと言われている。金曜日の夜、コバーニーの陥落は避けられないと見られており、ほとんど時間の問題とされていた。しかし今、軍事バランスは変わる可能性がある。トルコ・シリア両国のクルド人達が、ISISに対抗してコバーニーを掌握しそうなのだ。

我々は意識して、トルコとシリアのクルド人、と書いている。というのも、「コバーニーの抵抗」が、この二つの境界を単に精神的にだけではなく、「実際に」取り払ったからだ。

クルド人達は、ISISがコバーニー東、南、あるいは西の戦線から攻撃してくるだろうと見ており、また、トルコが国境を北から「守りながら」ISISを支援していると信じている。ここ1週間の内に、何万人ものシリアのクルド人達がコバーニー近郊からやって来て、スルチやその近くへ避難し、親戚の家に移った。若者はスルチからコバーニーへ戻ることを望んだ。さらには、イスタンブルからヴァンに至るまでの各地から、何百人ものトルコのクルド人が、コバーニーを支援するために国境に集まったのだ。

1週間、治安部隊がこういった人々と衝突し、ガスを用いたことは、クルド人達がAKP政権はコバーニーを自分達から奪うためにISISと協力しているのだと認識する原因となった。

このため、コバーニーにおける進展によって、クルドの政治的な動きの「軍事的・政治的中心地」で、AKPに対する不信感が最大限に―ジェミル・バユク氏やムラト・カラユラン氏の発表という形で―表れている。コバーニーの状況は、トルコにおける「解決プロセス」が、AKPの思惑通りに進むのを危うくしているのだ。

実際、ヤルチュン・アクドアン副首相が慌てて昨日27日にマルディンへ急いだこと、アフメト・テュルク氏を訪問したこと、「シリアのクルド人は、歴史的に、アサドではなくトルコの友であり同盟者である」という発表を行ったことから、政府の動揺と混乱が見て取れる。

シリアのクルド人は、歴史的に、トルコのクルド人の一部であり、その大部分が1925年のシャイフ・サイードの反乱の後、「国境」を越えてシリアの地へ避難したのである。つまり、「歴史的」にトルコにおける「政府」―これにはAKPも含む―の「友であり同盟者」であったことなど一度もない。それどころか、同ヤルチュン・アクドアン副首相は、数日前コバーニー地域を統治しISISに対して抵抗していたPYDに「先にアサドとの関係を切れ」と刺々しく警告していたのだ。

昨晩PKKの指導者の1人であるムスタファ・カラス氏は、ステルクTVで、「ヤルチュン・アクドアンは、ごまかしだ、策略だと言う。彼が正しく歩み寄らないのならば、彼に我々が何をするか示そう」と話した。次の日、ヤルチュン・アクドアン副首相は、「正しい道」へ至り、マルディンで「シリアのクルド人は、歴史的に、アサドではなくトルコの友であり同盟者である」と発言した。

重要性を強調するために以前から何度も繰り返されてきた同テレビでの談話の中で、ムスタファ・カラス氏はISISを「DAİŞ」と呼んで、トルコとの関係についてこう語った。「DAİŞはこれほどの勇気をどこから得たのか?すべてはトルコ政府から得たのだ。AKPを支持するメディアではいまだ態度は見られない。アメリカやヨーロッパの圧力があったため、今は少し態度を示している。理由はPYDだ。

何故ならPYDがDAİŞに対して戦っているからだ。地域での影響力が失われてしまうのかという不安から今DAİŞに対して行動した。DAİŞが侵攻する目的はコバーニーを空にすることだ。トルコもこれを望んでいる。トルコが緩衝地帯を設けたら、これに対する抵抗が起きるだろう」

カラス氏がこれらの言葉を述べる中で、コバーニーの陥落が時間の問題となった。金曜日の夜、街を見下ろすゾラヴァの丘がISISの手に落ちたとの一報が届いた。明け方、コバーニーを包囲したISISの軍に対抗した空爆作戦の後、昨日27日の昼ごろ、PYDの武装支部と認識されているYPGがゾラヴァの丘を奪還したとの知らせが届いた。

コバーニーの「象徴的」・「精神的」な重要性を我々は何日もの間強調しているが、AKP周辺はこれを理解することも、受け入れることも拒んだ。ANF(フラト通信)で昨日報じられた「コバーニーの後ろに他の地はない!」という見出しの文章中にある以下の文は、クルド人にとってのコバーニーに関する全てを要約している。

「スターリングラードがいかに社会主義の理想的なシンボルであったか。コバーニーもロジャヴァ革命の理想的なシンボルである。何故ならロジャヴァ革命はコバーニーで形作られたからだ。アサド体制は一番初めにコバーニーで追い出された。アフリーン、デリキ、アムデ、デルベスィエ、セレカニ、チル・アクサ、ティルベスピイェ、ルメランがコバーニーのあとに続いた……」

故に、コバーニーで昨日27日明け方に明らかになった「新軍事バランス」は、コバーニーが「クルド人にとってのスターリングラードとしての地位」を余りにも強めるので、今後どのように進むにしても、AKP政権の観点からはある種の「コバーニーの紀元」となるだろう。

この現実については、以前ラディカル2の素晴らしい記者だったイルファン・アクタン氏が、インターネットサイト「ゼテ」で「解決プロセスの終わる時……」という見出しで非常に重要な考察記事で吟味している。

「ある面からは欧米からの圧力、また別の面からはクルド人勢力が、衝突のないことが無意味になったとして行った攻撃は、トルコを新たな道へと追い立てている。ダヴトオール首相の『戦略的深さ』が、この迷宮にある適正な道を見るのに不十分であり、ISISのコバーニー包囲を助けていることは、クルド人の大きな戦いを同時に発生させる可能性がある」

イルファン・アクタン氏の記事で最も印象的な部分は、上記の文に続く以下のような文である。

「経験が示しているように、和平交渉を成功へと到達させられなかった国々は、交渉開始以前よりもさらに大きな崩壊に直面する。この壊滅への転換を許さず、AKPをISISと戦わせることは、平和を望む全ての人の義務である」

長い間我々がやろうとしていたことの全てはこれであり、ある種の「不可能」を追い求めることである。つまり、AKPをISISと戦わせることだ!

AKPがISISに対してこのようなはっきりした態度をとることで、(以下のような)多くの結果が同時にもたらされるだろう。

1.世界におけるイスラムの認識がポジティブな形で、あるべきところへ導かれる。
2.21世紀の現今の時期を特徴づけている「スンナ派の内戦」におけるサラフィー・ワッハーブの伝統の敗北が示される。{エルドアン大統領やダヴトオール首相のようなAKP出身の指導者たちが絶えず引き合いに出すオスマン帝国の人々は、19世紀の第一四半世紀にアラビア半島で自分達に反抗したワッハーブ派の人々に温情をかけず抑圧した。「現代エジプト」の創始者とされるカヴァラ出身のメフメト・アリ・パシャ(アラブ及び西欧の歴史でいうムハンマド・アリー)は、ワッハーブ派の反乱を抑え込むことに成功したオスマン帝国の司令官だ}
3.このようにして、一方ではスンナ派ムスリムを、中東で起こりつつある「ムスリムの30年戦争」、言い換えれば「宗派間戦争」で安心させ、民主化に開かれた状態がつくられる。また一方で、スンニ派が多数派の文化的特徴と「世俗的政治信条」で以ってトルコを、宗派を超えた、即ち本当の「中東地域の大国」にするだろう。
4.レールを踏み外している、トルコとアメリカをはじめとする西の世界との関係を、軌道上に導く。
5.現在イラク及びシリアにある「クルドの存在」、「クルドの開化」を脅かす第一の要素となったISISの排除において果たす役割によって、トルコとクルド(全クルド人)の間に強力な和平の基礎を作る。

これら全てを、我々はこのAKP政権に期待できるのだろうか?

問題はここなのだ。彼らの頭には、アメリカ軍参謀本部によれば「緊急でない」、国際的に支援を得ることに大きな疑問がある「緩衝地帯」、もしくはタイイプ・エルドアン氏の言葉にある「安全地帯」がある。これは、ISISに対抗したものではなく、クルド人達を対象にしているのだ。

はっきりと言おう。クルド人と共にISISに対抗するしかないのだ。

特にコバーニーの後は。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:粕川葵 )
( 記事ID:35445 )