北シリア・コバーニー攻防に見る、PKKの試練
2014年10月02日付 Milliyet 紙

ほぼ三週間、トルコ国境に沿って、PKKとIŞİDの間で戦闘が続いており、我々はテレビを通してリアルタイムで見ている。クルド人がコバーニーと呼び、アサド政権はアイン・アル・アラブ、またİŞİDはアイン・アル・イスラムと呼ぶ都市の支配権をめぐり、熾烈な戦いが繰り広げられている。
衝突の様子を見ていると、技術や戦術が今世紀のものとは思えないといっても、過言ではない。
その様相はまるで、中世の都市攻防のようである。

■狙いは、軍事であろうか、心理的なものであろうか?

IŞİDは、アラブ人とクルド人の間における歴史的な憎悪に基づきながら、PKK/PYDがその都市でその政治的生命を終わらせるのを望んでいる。PKKとPYDは、シリア内戦の勃発をチャンスととらえ、(みずからの土地と)宣言した「地域」を手に入れ、未来のシリアで決定権を握る勢力となることを願っている。その北部がトルコ国境に接しているカサバ(町)程度の大きさの都市での戦いは、両勢力にとって軍事的以上に心理的な重要性を有しているように思われる。

■その言葉に捕われること

戦闘が続いているとき、メディアでは「コバーニー」に関して興味深いコメントと議論がなされている。コメントによると、この都市(コバーニー)はPKKとPYDにとって「戦略的」な重要性を持つ。生き残りの問題として言及されてもいる。更に、イデオロギー的発想で、第二次大戦におけるソビエトの粘り強さと抵抗のシンボルである「スターリングラード」にさえ言及されている。実際、ことはこれだけでは済まない。「コバーニーがIŞİDの手に落ちたら、トルコにその責任がある」と言って、その影響を拡大化し、そして大げさにしようとしている。この点で、「コバーニー」がどういう意味を持つのか、クローズアップすることは有益となりうる。

■コバーニー、そして「村人の(素人の)」戦い

PKKはコバーニーで、伝統的な動的戦略と戦術から決別した。PKKは自らを静的な「村人の戦いへ」と導いた。誤った戦術の選択にはまってしまい、地理的な不利さに捕われており、そして「あの言葉に」捕われているのだ。手にするのは難しく、手にしたとしても、大きな代償を払うことになるこの袋小路から逃れるためにも、コバ-ニに「ロマンティック」な「要塞」の意味を付与したのだ。そのため、今後彼らの攻撃は、軍事的必要性というより、体面を保つためのものとなろう。しかし、通常の条件下では、PKKは、軍事的原則から離れて、コバーニーを手中におさめるため、あまり自己主張しない方がよかった。PKKが、陣地戦に入るべきでないときに、自己主張をすれば、それは歴史的な過ちとなるであろう。

コバーニーは、地理的広さ、位置、そして軍事的特徴を考慮するなら、PKK/PYDの側から見ると戦略的価値を有していない。PKKの未来や、シリアにおける今後の展開に根本から影響を与えるような重要性を有していない。反対にこれほど「感情的な」いろいろな意味を(コバーニーに)付与することは、結果的に、軍事的そして心理的に好ましくない事態の原因となるだろう。ロマンティズムはゲリラ戦の構造を壊す。実際、壊れている。オジャランはかつてこのような「村人の戦い」をする者たちをしばしば「アマチュア」として非難した。

カンディルのこのアマチュア的戦いに、オジャランは間違いなく反発を示すだろう。オジャランは、「全ての卵を一つのかごにいれないこと(被害を最小限にとどめるために、分散させること、両面作戦をとること)」をよく知っている。そうであるから彼はコバーニーにおける展開に目を向けることになる。彼は、40年政治を行ってきた中東で、何が・どこが戦術となり、何が・どこが戦略となるか理解できるほどに経験のある人物なのだ。

■「コバーニーが陥落したなら」(という言葉のもつ)重圧

コバーニーが陥落しないなら、オジャランは正しく、予測していた。「抵抗しなさい」と彼が言ったからであり、一般的なそして融通の利く言葉でメッセージを送ったからだ。コバーニーが陥落しても、やはりオジャランは正しい。従来通りカンディリを非難するだろうし、必要な措置を取らず、「村人の戦い」に入ったとして、自己批判するよう、そしてその責任をとるよう求めるだろう。つまり「お前たちはすべての重荷を私の肩に負わせた、私がいなかったなら何もできない。お前たちはすべてのチャンスを逃した」と言うだろう。
まちがいない。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:矢加部真怜 )
( 記事ID:35472 )