Cengiz Candarコラム:トルコ政府はコバーニー陥落を黙認している
2014年10月08日付 Radikal 紙

まさに、トルコ語の「生地をこねるのを厭う女性は、夜には粉をだめにする」ということわざにぴったりの振る舞いだ。コバーニーがまさに陥落するというときに、「コバーニー介入」に関しアメリカを指して「シリア全土への介入が行われるならば、つまりバッシャール・アサド政権が倒されるならば、私も考えよう。そうでなければ、コバーニーの件には私は一切関与しない。」これがコバーニーに対するトルコ政府の見解である。

バイラム前日(3日)、アフメト・ダヴトオール首相がセラハッティン・デミルタシュ人民の民主主義党(HDP)党首との会談で用いた「コバーニーが陥落しないように尽力する」という約束が果たされ得ないことは確かだ。公正発展党(AKP)によって受け継がれた、さらに一層細かく進められている、クルド人に向けたトルコ政府の「分割統治」政策に、私はほとんど何の変化も感じていない。なのでそう確信した。

バイラムは終わった。バイラム中、イスラム国(ISIS)がコバーニー周辺から進攻し、コバーニーに入った。東部地区に旗を掲げた。このコラムが書かれている間に、民主統一党(PYD)所属コバーニー自治区域のエンヴェル・ムスリム共同代表を含む執行部も、武器を手に町で戦闘し、コバーニーの数地点で戦闘しているという報道が入ってきていた。

このとき、ダヴトオール首相が発言したように、コバーニーが陥落しないためにトルコは何をした?

答えは簡潔で、この一言につきる。何も!

トルコは、ISISの制圧地域と接する唯一の北大西洋条約機構(NATO)加盟国である。NATOで2番目に兵員数をもつ軍を持っていることが誇りである。トルコの大統領は、ニューヨークでアメリカ人たちに「反ISIS連合」に参加するだろうという印象を与えている。そして、ISISがトルコのスルチ地区に隣接する歴史的文化的象徴となったコバーニーの中心に進む中、トルコ政府は「クルド問題解決プロセス」の終焉を犠牲にして、目と鼻の先にのできごとに全く行動しない。国境のトルコ側には戦車や装甲車両が並んでいる。トルコ国民の血縁関係者、つまり「親戚」が大量殺戮に直面している前で、本当に行うべきことをしていない。

トルコ政府またはAKP政権がコバーニーでやるべきことをしないだろうということは、バイラム期間中に明らかになった。次の三つのヒントによって。

1)エルドアン大統領がバイラムの礼拝から出てくる際、「我々にとってISISとPKK(クルディスタン労働者党・非合法組織)は同じだ」と発言した。(実際はあまり正しいとは言えない。なぜならISISに関する、彼のより「えこひいきな」態度が知られているからだ。)

2)サリフ・ムスリムPYD共同党首がトルコに支援を求めての緊急訪問した際に、彼に対して提示された、容認が不可能な条件。

3)ダヴトオール首相が一昨晩(6日)、CNNでクリスティアン・アマンプールに話した内容。

あなたたちが、「和平」を求めて「クルド問題解決プロセス」に入ったといえるPKKをISISと同一だとみなしているならば、PKKとPYD間の差異を区別していないならば、PYDが治めるコバーニーへのISISの攻撃を前に何ら対応する理由はない。

すでにサリフ・ムスリムに以上のことが話された、つまりこうした発言は、暗にISISによるコバーニー攻略が、AKP政権にとって非常に絶望的な展開としてはとらえられないということを明らかにしている。アスル・アイドゥンタシュバシュは一昨日(6日)、ミッリイェト紙の「サリフ・ムスリムによるコバーニー交渉」というタイトルのコラムで、PYDリーダーに提示された条件を書いた。

「…ある高位関係者は、トルコ政府の態度を『我々がISISとPKKの間でどちらかを選ばなければならないとでもいうのか?』とまとめた。(実際は「そう!」だが、それはまた違うテーマである)

この見解は、サリフ・ムスリム共同党首の極秘トルコ訪問における交渉にも影響したとみられている。トルコは、PYDに直接、または陰での武器援助という選択肢をもう問題とはしていない。この件では軍および大統領府のはっきりとした予防措置的とり決めがある。さらに法律的・政治的にも「PKKへの武器援助」は不可能である。

この状況において、トルコ政府がPYDとの接触の際にちらつかせた「エサ」は、第3者側(ヨーロッパまたはイラクのクルド人自治政府)のPYD援助における拒否権を撤回することだ。例えば、アルビルもしくはヨーロッパによるPYDへの武器輸出に目をつぶることだ。

サリフ・ムスリム共同党首に提示されたのはこのことである。しかし、対価としてトルコ政府はPYDに高額の請求書をつきつけている。トルコは現在までシリアにおけるPYDの「民主的自治区」設置に「中立」的に対応した。目下PYDがこのことで譲歩し、「自治区域区」といった仕組みを捨て、シリアの統治形態に関する問題を、将来シリア人たちとともに取り組むことを望んでいる。

さらにPYDやカンディルはもとより、イムラル島からのメッセージに、より注意深く耳をそばだてることを求めている…。」

ムラト・イェトキンの、ラディカル紙面における昨日(7日)のコラムでは、この「情報」が裏付けられた。

「アンカラで外務省および国家諜報機構(MIT)関係者たちと行った会談では、基本的に次のようなメッセージが伝えられた。

・武器と援助を望むならば、バッシャール・アサド政権に対する態度を決めて、自由シリア軍(ÖSO)に参加しろ。そうすればアメリカ主導で作られた連合がÖSOに今後行う援助の恩恵を受けることができる。

・シリアにおける内戦に乗じて、トルコ国境に接する自治区表明はするな。トルコはこれを安全保障上の脅威として見る。」

ビュレント・アルンチ副首相がふざけた笑みを浮かべながら話す際、サリフ・ムスリムや、コバーニーにおける絶望的状況について、以下のように強く言及した。

「わが兵士たちは子供たちを腕に抱えて運び、老人を助け、人々に水を与えている。食事を与え、保護している。ほんの一回でも、アッラーのご加護がありますようにと感謝しない者があろうか!」、「なぜPKKは援助に来なかったのか、なぜあなたたちは別の自治区域に移動しなかったのか?ほら、だからトルコだけがあなたたちを守るのだ。幾度もアッラーのご加護がありますようにと言う代わりに、石を投げている。彼らは投石や、山賊行為をして過ごして来た。フィンランドから来て、今はアンカラにいる。彼らは自治区域を作った。ああ、なんてことだ!自治区域はどこにあるのだ、武装勢力は今どこにいるのだ!」

この態度は、AKP政権が「コバーニーが陥落しないよう尽力する」結果をもたらすのか、もしくは「コバーニー陥落」からいわゆる「コバーニー自治区域」を消すのを見届けることに特に満足するということなのか?

ところで、ダヴトオール首相も、CNNの有名どころであるクリスティアン・アマンプールに、コバーニー東部のはずれにISISの旗を掲げられた際に、次のように話している。

「コバーニー市民は我々の兄弟である。我々は、クルド人、トルコ人、アラブ人という風に[分け隔てして]みてはいない。しかし、もしコバーニーに介入が行われるならば、我々としては、シリア全土に介入が行われるべきだ。」

まさに、トルコ語の「生地をこねるのを厭う女性は、夜には粉をだめにする」ということわざにぴったりの振る舞いだ。コバーニーはまさに陥落するというときに、「コバーニー介入」に関しアメリカを指して「シリア全土への介入が行われるならば、つまりバッシャール・アサド政権が倒されるならば、私も考えよう。そうでなければ、コバーニーの件には私は一切関与しない。」

これがコバーニーに対するトルコ政府の見解である。現在の「イスラム主義トルコ政府」でも、従来の「トルコ国家」のクルド人に対する伝統的認識態度は続いている。トルコ政府にとって、「クルド人自治」は決して認められ得ない。なぜならこれは将来に、トルコのクルド人に非常にまずい「例」を作ることになるからだ。

コバーニーが陥落する寸前に、PYDに向けたトルコ政府の態度は以下である。

「我々から援助がほしいのか?それなら、「自治区域」は諦めろ、私の命令に従え。目下態度が明確でなければ「自由シリア軍」に参加することを表明しろ。そして『あなたにアッラーのご加護がありますように』と言って私の目の前で頭を下げろ。」

この態度は、人民防衛隊(YPG;PYDの武装組織)がまさにISISを前にコバーニーのために直に戦っているときに、彼らに「さあ、お前たちからハミディイェ部隊を作ろう」、「さら、お前たちを護衛にしてやろう」ということと何ら違いはない。

このアプローチは、「恥ずべきこと」であるのに加えて、「真剣味を欠いている」である。しかし更に重要なことは、「クルド問題解決プロセス」を救うには「非常に遅れをとって」いる印象を与えるということである。

コバーニーの「自治クルド政府」を容認しないと政府が考えているなら、アブドゥッラー・オジャランと何を解決しようとしているのかを理解することは容易ではない。

もしかして、そういった意図があるのだろうか?あったのだろうか?



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:安井 悠 )
( 記事ID:35533 )