Oral Calisirコラム:オジャランの力
2014年10月13日付 Radikal 紙

アブドゥッラー・オジャランは、PKK(クルディスタン労働者党・非合法組織)の創設以来、この「運動」の指導者である。逮捕されて、彼は終わった、という人は多かった。法廷での発言により、特に「トルコの左翼」から「考えを捨てた」との評価となった。時は、この評価のどれ一つとして確認していない。

カンディル(PKK指導部)は、「解決プロセスはとん挫するかもしれない」と発表してから数か月が経ち、最近の事件の後、態度を変えた。PKKは、ビンギョルで警察に向けた待ち伏せ[=警察署長襲撃事件のこと]を「挑発」と捉えることを選んた。この発表と衝突事件に関するカンディルの態度を、「最近の事件後、態度が変化した」と解釈できる。

人民の民主主義党(HDP)、平和民主党(BDP)、民主社会会議(DTK)の共同代表は、36人の死を招いた流血デモの後、クルディスタン社会連合(KCK)に対して、「暴力を使用しない」よう呼びかけた。「武装デモを真剣に調べるよう」求めたのである。三党の指導部は、以下の点も強調した。「私たちは、国内だけでなく国外でも、民衆に向けられた脅威を、(トルコ)政府とともに解消したいと思っている…..。時折、問題や遅れが生じているものの、ミュルシトプナル国境検問所からコバーニーへ人道支援の通過への許可、負傷者のトルコ領への移送を、重要で肯定的な(トルコ政府の)態度として評価している」。

3名の共同代表は、「解決プロセス」についても明確に発言している。「この混沌とした状況の中で、コバーニーを孤立させ放って置くことはない、挑発の余地を与えない、解決プロセスの歩みを続ける、民衆を攻撃から守る、分別ある政治をおこなう必要がある」。

KCKとHDPはこの「言葉の変化」をどのように実現したのか?基本的にアブドュッラー・オジャランが(最近の)展開を受けてHDPとカンディルへ送った書簡に基づいている、と解釈されている。オジャランは武力行動を終わらせるよう望んだといわれる。明らかに、オジャランのこの呼び掛けは、カンディル、HDPにとって決定的であった。

■「オジャランの話を聞く」との期待

最近の展開を受けて、「オジャランの役割」が再び議論されている。トルコの左派の人たちと様々な書き手からなるグループは、「(トルコ)政府がオジャランを利用している」と強調している。

こうした人びとは、事件がエスカレートすれば、政府は「オジャランカード」を利用できない状態となり、つまりクルド人はオジャランの言うことを聞かない、と解釈している。同様なグループは、2013年のネウロズでのオジャランの「武装闘争の期間は終わった」との呼びかけの後にも、似たような読みをおこなった。彼らによれば、カンディルはオジャランの言うことを聞かなかったという。

もうひとつの読みによれば、次のようである。カンディルは、しばしば繰り返す「解決プロセスは終了した」と発表することで、暴力をエスカレートさせてオジャランを窮地に陥れ、失墜させようとしている、というものだ。

■オジャランの力の源泉はどこから?

アブドゥッラー・オジャランはPKKが結成した日(1974年)から今日まで、この「運動」の指導者であり、この「社会運動」を代表する人物である。1999年に逮捕されて、彼は終わったという人物は多かった。

特別法廷での彼の発言により、特に「トルコの左翼」から、「考えを捨てた」との評価となった。

時はこの評価のどれ一つととして確認しなかった。オジャランは、クルド政治運動上の権威と重みのいずれも衰えることなく保ち続けた。さらにいえば、この間、彼の「権威」が一層大衆性を得たとさえいうことができる。近年では、クルド人はオジャランにより深い関心を寄せ始めたことが見受けられる。

では、一部の人たちが特に近年予想したように、オジャランは今後、政治的権威を失うのであろうか?

この問いには、特に「解決プロセス」を通じて返答を探ることができる。「オジャランの言うことを聞かない」と語る人びとは、これまで間違ってきた。理由はとても簡単だ。オジャランは、停戦を呼びかけて、PKKメンバーを国境の外へ撤退する命令(を出したこと)により、クルド人たちの平和への希望に応えていたからだ。クルド人の圧倒的多数派は、30年続いた戦争に疲れていた。同時に、トルコでも近年起きた変化とともに、より快適でより安定した状況がつくられていた。

「問題に対し対話と交渉を通じて解決を模索する」との考えは、支持された。オジャランの呼びかけとクルド人の間で進んだ傾向が、重なった。PKK指導者は、人びとの要求に沿った「政治的言葉」を前面に押し立てた。すなわち、「大衆路線」を追求したのだ。

クルド人の変化を理解できない人は、「オジャランの言うことは聞かない」との主張を採用することにした。しかし、オジャランの呼びかけには、クルド人はいつも応えたのである。

■今日にいたって….

クルド人は、2年間の停戦期間の利点を、実見している。地域は経済的・社会的点で活性化している。法の領域では、多くの禁止事項が除かれた。対話と交渉への道が開けた。トルコの西部でも、不足があるにもかかわらず、クルド人の生活条件は劇的に変化しており、可能性が広がっている。

再び「衝突」、あるいは「破壊」、「大災害」に戻ることは、クルド人がもっとも望んでいないことである。

もちろん、次のことも事実である。クルド人の権利と法的立場に関して、トルコの民主化に関しても、とるべき多くの道があることは明らかだ。単にクルド人だけではなく、全土を代表する、選択すべき多くの道がある。民主主義、自由、平等、個人の成熟、文化的多様性のような分野では、まだ道が開いたばかりである。

ことをより正しい方向に変更するためには、平和的な状況を守り、法的分野での闘争を続けなければならない。クルド人は、多いに政治化し、組織化し、地方自治体でも勢力を伸ばした。あらゆる意味で豊富な経験を得ている。より上のレベルへ憧れを感じている。自治可能な「政治的跳躍」を要求している。闘争と衝突は、自治への道を開くことに寄与しないと同時に、より大きな痛みの原因となる。

オジャランは、こうして、この「クルド人の現実」を正しく読みとり、読み解けるために、人びとの基本的欲求を満たす政治路線を代表することができる。(オジャランの)力の源泉はこの態度に負っている。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:岸田圭司 )
( 記事ID:35559 )