クルド組織YPG報道官、「ペシュメルゲは歓迎するが、効果は期待できない」
2014年10月29日付 Radikal 紙


YPG(人民防衛隊、PYDの武装組織)のポラット・ジャン報道官は、トルコからコバーニーへ入ったペシュメルゲ(クルド人民兵)の数は、大きな軍事的影響をもたらすほどのものではないが、称賛に値すると述べた。

ペシュメルゲの勢力がコバーニーへ入る直前、ラディカル紙のインタビューに応じたYPGポラット・ジャン報道官は、トルコがペシュメルゲ勢力の通過を遅らせ、数を減らさせたと述べた。ジャン報道官はコバーニーへ入った部隊は軍事的影響をもたらすほどのものではないが、称賛に値すると述べた。以下、ジャン報道官による説明。

ここ三、四日、イスラム国(IŞİD)は非常に激しい攻撃を行っており、特にスルチに接して開かれた国境門を手に入れるために攻撃回数を増やしている。状況は、最終的にどうなるのだろうか。 

ポラット・ジャン報道官:「IŞİDは三、四日前に大量の兵士を失い、シリアのデレゾル、ラッカ、その他の方面から彼らのもとへ、再び新しい強化、支援のための集団が到着した。この補強には数人の司令官と、数多くの新しい武器、そして数多くのテロリストがいた。以前の衝突から数名のIŞİDの司令官は士気の低下のため、撤退を求めた。彼らの代わりに新しい司令官が来た。最近三日間の激しい攻撃の目標は、クルディスタンの北、スルチに接する国境門を手に入れることだった。支援は以前まで空路で来たが、ペシュメルゲの国境門からの通過が取り沙汰されるようになると、コバーニーへ援軍が到達しないよう、全力で国境門を攻撃した。この三日間、他の前線では動きを見せず、東側の前線に集中したにもかかわらず、IŞİDは前進できなかった。彼らがメディアで報じられることを望んだ成功は完全に嘘で、数多くの損失がある。爆弾を詰んだ車を爆発させ、前進したかったが、できなかった。ただ、この爆発で車の中にいたテロリストが死んだ。」

あなたは空路で行われた支援と、トルコの態度について言及しましたね。この問題について説明していただけますか。クルド人だけでなく、多くの国が強硬にトルコの態度を非難しています。あなたは、トルコはどうしたいのだとお考えですか。

ポラット・ジャン報道官:「国境を閉鎖した。アメリカの武器の輸送で問題が起きた。十日間ペシュメルゲの入国について様々な問題が起きた。レジェプ・タイイプ・エルドアン大統領は、あなた方がご存知の通り、自由シリア軍(ÖSO)の名において話している。それからYPGの名において、そしてPYD(民主統一党)の名において、ペシュメルゲの名においても話している。誰が親愛なるエルドアン大統領を、これらの勢力の報道官にしたのだろうか。誰も彼の説明から何一つ理解していない。彼自身はある説明を行うと、その後、その説明に対してまた他の説明をしている。」

しかし、トルコは同時にペシュメルゲの通過にも許可を与えるのか。

ポラット・ジャン報道官:「この通過に許可を与えるために十日以上のあいだトルコは国際社会の大きな圧力を受けていた。コバーニーにおける攻撃が始まった最初の日、(北イラククルド治政府の)マスード・バルザーニ大統領は、ペシュメルゲの通過のためにトルコから許可を求めていた。つまり、一ヶ月以上の間、このようなことがあった。そして、十日以上ペシュメルゲはトルコが通過に許可を与えるのを待っている。毎回、様々な問題が起き、ペシュメルゲの数も減っていった。たっ150人のペシュメルゲが来る だろう。確かに、ペシュメルゲがYPGとならんで、コバーニーで戦闘をすることは、賞賛されることであるが、しかし、150人では一つの部隊すら成り立たないことを忘れてはならない。この数では、よくて分隊なら可能だろう。軍としてとても大きな影響力はない。」

ところで、ペシュメルゲの数が減少したのはトルコの圧力の結果でしょうか。

ポラット・ジャン報道官:「そうだ。トルコの圧力の結果として、ペシュメルゲの数は減少した。なぜなら、認められ、出発するまでに、トルコは多くの条件を課したからだ。道を開くために、多くの国がトルコに圧力をかけ、アメリカはこの問題に介入した。」

トルコがアメリカ、そして国際勢力と対立しているとあなたはおっしゃるが、この対立は影響力のあるものとはみられていない。あなた方のアメリカとの関係は継続しており、大国の首都でYPGのために前向きな決断がなされている。つまり、あなた方が強硬に批判しているトルコの政策は、実際は効果的ではないのでしょうか。

ポラト・ジャン報道官:「我々が行おうとしているいくつかのことを遅らせているのは、この姿勢である。容易に行えることが、力で終わらせられている。戦争は長期化している。我々は、戦争の長期化を望まない。短期間でコバーニーを自由にしたいのだ。人々を家に帰し、IŞİDに対してもっと確かな形で戦いたいのだ。」

長いあいだ、あなた方はÖSOと共に戦闘をしています。一方、トルコのエルドアン大統領から、1300人のÖSOのメンバーがコバーニーに行くという説明がありました。この事件の真相は何なのでしょう?

ポラット・ジャン報道官:「数点説明させていただく。我々は、YPGとÖSOとして、シリアの一部だ。我々の間には同盟が成立し、一緒に働いている。これは、我々自身の問題である。つまり、シリア国民の問題だ。エルドアン大統領の問題ではない。彼がÖSOの名において話すのは正しいことではない。なぜなら、ÖSOは ÖSOのシステムと、指揮官を持つ。彼らがその名において話すことができる。法的にも、外国の大統領が自国の体制に反対して戦っている軍について説明をすることや、決断を下すことは正しいことではない。二点目として、我々はクルド人を承認し、シリアで人権と民主主義のために戦っている組織の支持者である。アフリーンで、アレッポで、コバーニーで、そしてもっと多くの場所で我々の同盟は続いている。あなたがご存知のように、我々は今から二か月前にフラット・ヴォルカン(YPGとÖSOの同盟の名称)をつくった。ÖSOのこのグループは、未だにフラット・ヴォルカンの名のもとにコバーニーにいて、死者やけが人を出している。我々は共に抵抗を続けている。しかし、エルドアン大統領の説明の後、アレッポの軍事評議会ののザヒル・エス・サキッド議長はそのような軍隊はないと述べた。さらに、(アサド)体制に対して優勢である中、前線を、アレッポを放棄し、コバーニーへ戦闘をしに向かわないと述べた。ÖSOは彼らから知らせを受けていないと述べた。」

はい、説明を我々も読みました。

ポラト・ジャン報道官:「やはり言及されたこれらの人びとは全員、一年以上、二年以上と長いあいだトルコにいます。ÖSOと全く公的にも法的にも関係はない。ÖSO のメンバーは誰かというと、シリアで反体制派として戦っている人々だ。あなたはÖSOの一員でありながら、トルコにいて、アサド体制に対したった一つの銃弾すら撃ち込まないなど、ありえない。我々は以下のことについて明確な形で言及している。ÖSOと我々の間には全く問題はない。我々は兄弟であり、民主主義的なシリアのために闘いを続けている。ロジャヴァだけではなく、シリア全土でその努力を続行する。ÖSOの中に、コバーニーの負担を軽減したいものがあれば、我々はアフリーンやアレッポで、彼らと一緒に戦いをはじめる用意がある。コバーニーの西で、つまりミンビジュ、バブそしてジャラブルスの範囲で戦闘をしたなら、IŞİDのコバーニーにおける勢力の半分が削がれるだろう。この形でコバーニーにおけるYPGとÖSOがよりよく戦えるだろう。すでに、セレカニイェでも YPGとÖSOのグループがいる、彼らも東から前線を開き、ティレベイェドへ真っ直ぐ来ることができる。そうしたら、我々の負担が軽くなり、共によりよい形で行動できる。トロイの馬の話のように、どの組織もÖSOの名のもとに自分の希望を叶えたいかもしれないが、私はÖSOだという人全てがÖSOではない。ヌスラ戦線が長いあいだ「我々はÖSOだ」と言っていたこと、そしてIŞİDへ参加した多くのグループも 同じことを言っていたことを、よく知っておいて欲しい。その後、彼らがÖSOでないことが明らかになった。」

<後略>



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:矢加部真怜 )
( 記事ID:35728 )