立法・司法両長官「勧善禁悪の原則に疑いを差し挟むことは何人にも不可能」(上)
2014年10月27日付 Iran 紙

 「勧善禁悪」(善を命じ悪を禁ずる)が、立法・司法の両長官が昨日行った演説での共通テーマであった。

 アリー・ラーリージャーニー国会議長が「善を命じ悪を禁ずる者たちを保護する法案」に対する政治的対応を批判し、この宗教的義務には「些末で娯楽的な側面」はないと指摘する一方で、アーヤトッラー・サーデグ・アーモリー=ラーリージャーニー司法権長官は「勧善禁悪は、我々の宗教における神聖なる宗教的義務にして明瞭なる命題であって、何人もこれを疑ってはならない」と強調した。

 司法権長官は「法律と勧善禁悪に関する国民集会」でまずこのように述べ、西洋諸国がエスファハーンにおける最近の酸かけ事件と勧善禁悪とを結びつけようとしていることに遺憾の意を表明、「驚くべき暴虐であり不正義だ」とした上で、「それよりもひどいのは、一部の国内メディアまでもがこれと同じことをしていることだ」と述べた。

 同氏は、神聖なる一宗教的義務としての勧善禁悪には、酸かけ魔らの犯罪的で下劣かつ非人道的な行為との関連など存在しないと強調し、次のように続けた。

なぜ雰囲気を台無しにしようとするのか。〔‥‥〕西洋諸国がイラン・イスラーム共和国体制に対して毒を吐き、酸かけ事件を勧善禁悪と結びつけようとしているのは、自然なことだ。しかし、国内メディアがこのようなことをしてはならない。これは、体制と体制に恭順の意を示している者たちに対する不正義であり、二つの異質な問題を結びつける行為だ。私の考えでは、これは宗教的な問題に疑問を投げかけようとする、犯罪行為である。

 アーヤトッラー・アーモリー=ラーリージャーニーによると、もし勧善禁悪を否定し、またこの否定に同調するならば、その者は伝承では不信仰者(カーフィル)の一人とされているという。

〔‥‥〕

 司法権長官は、犯された罪をしっかりと捜査することが必要だと強調した上で、エスファハーン司法局長には必要な指示が出されていること、また犯人らの割り出しに向けた治安機関その他の努力が続けられていることなどを明らかにした。

〔‥‥〕

 同氏はまた、勧善禁悪のためのセンターが〔全国に〕存在することを強調した上で、「この宗教的義務は、最初はやさしく穏やかで、友好的な言葉で行われなければならない。それを実践するために、別の悪が犯されるようなことがあってはならない。例えば、街頭に出て、もしそこで女性のヘジャーブが乱れていたとしても、そのことで騒ぎを始めるといったようなことをしてはならない」と述べた。

〔‥‥〕

つづく




本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:ngm2012 )
( 記事ID:35778 )