Fehim Tastekinコラム:イスラエルの「アラブ人のいないエルサレム」計画・・
2014年11月06日付 Radikal 紙


アラブ人のいないエルサレムのために…

アル・アクサー・モスクでの事件は、パレスチナの国家承認に向けたヨーロッパでの新たな進展と同時期に起きた。イスラエルはパレスチナ人を暴力の中へ引き込み、これの責任もまたマフムード・アッバス議長にあるとしてパレスチナの国家承認を阻止する考えだ。


今年6月、エルサレムで、神殿の丘の西側、嘆きの壁へと続く屋根付きバザールの中を歩いていたとき、パレスチナ人の親友はある店の前で止私を立ち止まらせ、木製シャッターの隙間から中を見てみるよう言った。店の地面が掘られて、下に向かって足場が組んである。地下に似た空間があった。「アル・アクサー・モスクの下に掘られたトンネルは、ここから始まっている」と彼は言った。ここ数日、新しいインティファーダの苦痛が再びアル・アクサー・モスクで起きている。イスラエルのアリエル・シャロン元首相は、2000年に対立者のリーダーとしてアル・アクサー・モスクに入り、第二次インティファーダを引き起こした。

最新の緊張は先週起きた。ユダヤ人が通常は特別警備のもとでしか入ることが出来ないアル・アクサー・モスクで、礼拝も行おうとキャンペーンを行った活動家ハハム・イェフダ・グリクの「殺害未遂」と、続いて起きたユダヤ人のモスクへの行進デモ呼びかけである。
イスラエル政府が聖地への入場を二度、完全に禁じたことは、状況を見事に刺激した。これは1967年のパレスチナ占領以来、初めてのことだ。11月2日にモシェ・フェイグリン・クネセト(国会)副議長とともに89人のユダヤ人がアル・アクサー・モスクの庭に入ると、デモの暴力は激化した。11月5日に100人近いユダヤ人にアクサー・モスクの庭に入る許可が下りると、再び衝突が始まった。事件は、イスラエル軍が1967年以来初めて軍靴でモスクへ入ったことで、別の次元へと発展した。一人のパレスチナ人が、殺人的な運転でイスラエル人歩行者を車で次々にはねた。つまり、聖地で死の幕が再び開かれたのだ。デモ、衝突、何十人もの怪我人と何百人もの逮捕だ…

■ヨルダンが臨戦態勢

特に、支配下にある東エルサレムの通りを燃やした緊張は、ヨルダン国王をも微妙な立場に追い込んだ。なぜなら、ヨルダン国王はパレスチナ指導者らの決定で、1924年以来神殿の丘の守護者だからである。ヨルダンは1994年のヨルダン・イスラエル条約によってイスラエルを国家承認しているが、今回の事件で王は勅旨に署名し、駐イスラエル大使を召還した。東エルサレムを1967年まで支配したヨルダンの管轄権を、イスラエルも1994年に承認している。
イスラエルのネタニヤフ首相のリクード党と、その他の右派グループは、アル・アクサー・モスクのほか、黄金に輝くドームをもつ岩のドームと博物館、マドラサを擁する「高貴なる聖域」(神殿の丘)の位置づけを変えようと圧力をかけている。国連安保理は1968年に、エルサレムの性格と状況を変えようとするイスラエルの行動は無効かつ違法であると宣言した。しかし、イスラエルは国連の決定に従うような作法は持ち合わせていない。パレスチナ人は、イスラエルがイブラヒム・モスクに行ったように、アル・アクサー・モスクを分割するために機会を伺っていると考えている。エル・ハリルで三つの宗教の聖地とされるイブラヒム・モスクは、朝の礼拝時に起きたユダヤ人入植者による殺人事件の後、ムスリムとユダヤ人の間で二つの管轄区分に分かれている。

位置づけ議論に対して、アブドゥッラー国王の態度は重要だ。アル・アクサー・モスクの火事は自身の王座をも焼きかねない。ヨルダンの人口650万人の半分以上はパレスチナ人だ。この国は、50万人のイラク難民に加え、少なくとも62万人のシリア難民を受け入れている。つまり、各組織がいとも容易に支持者を集められるだけの人口構造をもつ。ムスリム同砲団の法的な土壌で政治をする一方で、サラフィー主義者の組織が力を増しているヨルダンは、このところイラクとシャームのイスラム国(ISIS)の脅威の下にある。アル・アクサー・モスクが口火となって始まる混乱がハーシム王政をどこへ導くのか、見極めるのは困難だ。

■アメリカの選挙結果に勢いづく

ネタニヤフ首相はアメリカ政界における変転も好機と見た。民主党が先日の選挙で議席の多くを共和党に明け渡したことから、犬猿の仲であるオバマ政権からの圧力を防ぐことができると踏んだのだろう。ヨルダンの混乱がイスラエルを利することはない。イスラエルの安全を、政党を超えた政治課題としてきたアメリカもこれを許可しないだろう。なんといってもヨルダンはエジプトと並んでイスラエル政府を承認する希少なアラブの国である。アブドゥッラー国王が大使をアメリカに相談なしに召還したとは誰も思わない。そもそも、ヨルダン政府の今回の非難はアメリカとヨルダン両国の外務大臣のパリ会談の後に行われた。ヨルダン側の抗議を見たネタニヤフ首相も、昨日アブドゥッラー国王に電話し、エルサレムの状態は変わらないことを保証し、緊張の緩和を図った。

■パレスチナの承認の動きに対して

この緊張は、パレスチナの国家承認に向けたヨーロッパでの新たな進展と同時期に起きた。イスラエルはパレスチナ人を暴力の中へ引き込み、これの責任もまたマフムード・アッバス議長にあるとしてパレスチナの国家承認を阻止しようとしているのかもしれない。10月13日の英国下院によるパレスチナ国家承認を待たずに、承認を見越した案を認めていたスイスは、10月30日の国連総会で、パレスチナを国家として承認する最初のEU加盟国となった。フランスでも社会主義の議員がパレスチナ承認を見越した法案を用意した。同じような動きはアイルランドやスペインでも起こるだろう。パレスチナは2012年に国連で、加盟国ではないオブザーバー国家としての地位を勝ち取った。加えて、パレスチナ人はイスラエルへの圧力を増やすために2016年11月までに1967年にできた国境を巡る紛争に決着をつける法案を国連安保理の議題に入れ込もうとしている。

国際社会はイスラエルを一時的に止めることはできるだろう。しかし、イスラエル人が「神殿の丘」と呼ぶ「高貴なる聖域」についての計画の実行と、より大きな次元では、東エルサレムからアラブ人を一掃し、「不可分の」エルサレムを首都に置くという目的をイスラエル指導部が思い留まるかについては全く兆しがない。東エルサレムをパレスチナとイスラエル、二国の首都にするなどという解決策の提案など、イスラエルの関心事ではないのだ。

■ショックを受けるな、君の結果だ!

イスラエルはこの目的のために代償を払わせることを決して厭わない。暴力が暴力を生めば、テロはその役割を大いに果たすだろう。ここで一つ強調せねばならない。パレスチナ人の暴力へと発展した怒りは、アル・アクサー・モスクだけで説明できるものではない。パレスチナ人の生活を疲弊させるアパルトヘイト策は日に日に拡大している。絶望と嫌悪が深化しているのだ。厳しい環境が、組織の指揮なしに行動する「一匹狼」の数を増やしている。「エルサレムはイスラエルのアパルトヘイト政策の首都になるだろう」と書いたハーレツ紙のギデオン・レヴィ記者の指摘は含蓄に富むものだろう。

「反乱が起きている。一つ一つのテロの波が東エルサレムの狭い通りで高まったとき、イスラエル人は驚き、怒ったように見せかけるかもしれない。真実を言わねばなるまいが、水曜日に起きたショッキングな事件にも関わらず、パレスチナ人は彼らが史上最も忍耐強い民衆であることを、身をもって示した。頻繁な拘束、暴力を振るう入植者たち、破壊行為、追い立てられ、無視され、所有物を奪われても、彼らはこの頃において、投石を除いては沈黙を守っている…
大都市は世界で最も発達した都市だ。そこでは平等など冗談のようなもので、公正は踏みにじられている。エルサレムのパレスチナ人は、パリのイスラエル人から酷くリンチされる危険に晒されている。しかしここでは誰も騒ぎ立てない。パリに住むイスラエル人ではなく、パレスチナ人がエルサレムから追い出されるのだ。加えて恐ろしいくらい簡単に逮捕される。パレスチナ人の少年、ムハンメド・アブー・クデールさん(16)が焼き殺された事件の後、デモの大波が起こったが、イスラエルは760人のパレスチナ人を逮捕した。そのうち260人は少年だった…」

レヴィ記者の言葉には学ぶところがたくさんある。
例えば連帯責任だ… 一人の行動で何十人、何百人もの人が逮捕される。青年活動家の一族は根絶やしにされる。
さらに家屋の破壊… 3日前のことだ、ちょうど状況が緊迫したころ、東エルサレムのシルヴァン地区で4家族が所有する家屋二棟が「目障りだ」として壊された。イスラエル人は自分たちのものではない場所で何千もの家屋を作ることができるのに、東エルサレムで結婚したパレスチナ人夫婦は家を建てることも出来ないのだ。すべてはアラブ人のいないエルサレムのため!
そして追放… 1967年から2013年の間に、1万4309人がエルサレムの居住許可を剥奪された。
加えてそこに暮らす人の無力さ… イスラエル情報局はパレスチナ人を疑いがあれば「行政拘束」という名目で取り調べなしに6ヶ月間、裁判官の判決により、やはり罪状なしに5年間拘束できる。刑務所には7千人のパレスチナ人がいる。
これら全ての抑圧に対しパレスチナ人は投石し、そして20年という禁固刑を受けるのだ。新しい法律はそう定めている。
要約すると、ハーレツ紙のアモス・ハレル記者の言葉を借りるなら、「パレスチナ人が反乱をおこす理由がある」。
つまり、問題はモスクに軍靴が入ったことだけではない。パレスチナ人がゆっくりと消されていっていることが問題なのだ…



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:矢加部真怜 )
( 記事ID:35794 )