アタテュルクを知るなら、この8映画
2014年11月10日付 Radikal 紙


世界でムスタファ・アタテュルクほど大きな事を成し遂げた指導者はそう多くはない。4年で何も無いところから建てられた国は、誰もが予想しない頃に建てられた共和国であり、現在から未来へと続く終わりない独立国である。我々はそのことをおそらく良くわかっているが、十分には語ることができ ない。アタテュルクを語る8つの映画を以下で紹介しよう。

映画は、人々へある人物や国、時代を説明する最も良い方法である。我々はここでアタテュルクを失ったのだろうか?それともまだ求め続けているのだろうか? 毎年11月10日に「果たして彼を世界に十分に語ることができたのだろうか?」という問いが我々の中で起こるが、おそらく誤った問いをしているのだ。問わなければならないのは「我々は彼を十分に理解できたのだろうか?」ということだ。というのも、もし彼を思うようによく理解できていれば、語る方法を見つけていただろう。中東の近隣諸国の状況を見て、アタテュルクの計画である「サーダーバード条約」を我々の何人が思い出すだろうか?彼とその考えを近隣諸国にさえ語ることができない、あるいは忘れさせてしまっておきながら、我々は彼をこの大きな世界にどうやって語ることができるというのだろうか?もしかしたら、彼を改めて理解する時なのかも知れない、少なくとも毎年11月10日は…。

1.オスマン共和国
ある年の11月10日にオスマンの共和国で目覚めてください。そのカラスたちを追い払うために草原を走り回る子供が事故で亡くなることを考えてください。我々のうち何人が生きていたか?何人が生まれていたか、どこにいたか、「誰」であったか?我々は「来た道を帰らない者たち」の捕虜となっていただろうか、または敗者となっていただろうか?さて、今はどうだろう?我々のうちの何人が「来た道を帰った者たち」を語ることができるのだろうか?あるいはアタテュルクを我々が理解できていないために彼らは戻ってきてしまったのだろうか?どこかの草原であの子はまだカラスを追いかけて走っているのかもしれない…。

2.別れ
ある年の11月10日の朝、我々が何に別れを告げたか考えてみてください。1881年から1938年までの人生で、戦争や虐殺の中で、血を流して国に帰った兵士の心から溢れる愛を、壊すのではなくつくり出しす人間であろうとする熱意を、考えてみてください。その者に進んで従い、自らの道を失った山ほどの人に自らの運命を描く権利を認める指導者が、世界に何人いるだろうか?カリフの位を、新たな王朝を拒絶し、数千年前に遡る起源をもつ民族の運命を変えさせるような指導者であったではないか?おそらく彼は所有できるすべての物に別れを告げ、守った人々に共和国をプレゼントした人物であった。そして我々は11月10日の朝に、彼に別れを告げた。

3.我々の教え、アタテュルク
変更されたアルファベット、受け入れられた新たな世界観、「人民の家」…。たった一人の人間が子孫に、たった一人で、なんて多くのことを教えたのだろう。トリポリで、チャナッカレで、アナトリアで、中に入っては出てきたその地獄の中でこれら全てを計画したのだろうか?結果として一人のパシャだったが、同時に彼はプロの軍人でもあった。彼は人であったが、夢見ることすら困難であった、誰も考えなかったことを実現させるために生まれた。彼はこの道を自ら選んだようでもあり、ま た選ばれたようでもあった。今日、数学、物理学、化学、歴史、地理学を彼のおかげで学んでいる。さて、彼は?今日、我々は一つの分野として彼を研究すべきだ。というのも、我々はある物事の全てを知っていると思っているにもかかわらず、その答えは未だ見つかっていないからである。

4.最後のオスマン人 ヤンドゥム・アリ
彼はまたトルコ共和国の最初の国民でもあった。1923年よりさらに前にこの国をつくった。というのも、彼は頭の中で誰よりも前にこの国を生きていたからである。同時に最後のオスマン人でもあった…。スルタン家の子孫たちも、今でもオスマン主義を追いかける者たちも、誰一人として彼ほどオスマン人ではなかった。なぜなら、彼だけが理解していたからである。終わる必要があること、新たなことを始めることが彼の考えであった。彼は扉を閉じて、最後に自らその扉から出て、オスマン朝以降、未来へ続くものとして歴史のほかにただ彼だけが残った。

5.チャナッカレ1915
今、我々の何人がそこにいる程勇敢だろうか?そこにいたものたちの何人がそこから勝って出るという確証があっただろうか?何人がその地獄の中へ、戦いにではなく、死に行ったのだろうか?世界史上、最も多くの血が流れた戦いのうちの一つの真ん中にいることを彼は運命づけられていた。その最後の審判のような戦いの中から抜け出した者は、誰であれ戦いや血や、恐怖に飽くことはなかったのだろうか?逃げなかったのだろうか?国をつくるという夢とともに何人がその破滅から帰ったのだろうか?その戦いから生きて戻った何人が8年後、独立した国の基礎を築いたのだろうか?

6.解放
何人が「解放」という言葉の正しさを理解できたというのか。ただ環境を変えた敵からだけではなく、無知や時代錯誤、近隣の他国の運命、過去、暗黒からの解放…。無の地平線から日を昇らせること、救った人々をただ信じること、彼らに国を託すこと、後を誰にも継がせることなく国民に国を託すこと…。何人の人が本当に救われ、誰かを救うことができたのだろうか?

7.共和国
アタテュルクを理解できただろうか?議論されても、彼から結果的に何かを学ぶことができた。共和国を彼から学んだ。民主主義を学んだ。近代的な国となることを学んだ。彼の頭の中のトルコに我々が到達するためには、さらに遠い道のりがある。おそらく我々は、彼よりもより多く暗闇と戦わなければならないだろう。戦争に屈服した世界で、彼が我々に遺したものは、共和国である。

8.ムスタファ
そして結局は彼も一人の個人であり、我々皆のように誰にも似ていなかった。しかし我々のうちの一人であったのだ、ほら…。名はムスタファであった。ケマルと言う者たちが他の誰かと混同しないように。また彼が救った人々は彼をアタテュルクと呼んだ…。しかし彼はまず初めにムスタファであり、カラスをブリキの缶で追いかけた子供であった。永遠なる子供であった。金の髪をした子供であった。誰も見ない恐怖を見、誰も夢にも見られなかったものをつくり上げた子供であった。彼はムスタファであった。そして11月10日の朝に永久のものとなった。我々に残されたのは彼を理解し語ることだった。次の11月10日にはより多く の映画や小説、作品によって…。たった一行によってであれ、彼を理解し語ることが必要である。これは我々の、彼に対する義務ではなく、世界に対する義務なのである。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:鈴木歩実 )
( 記事ID:35835 )