Altan Oymen コラム:エルドアン「アメリカ発見はイスラム教徒」発言の功罪
2014年11月21日付 Radikal 紙

「新説」のジョークへの寄与は非常に大きい。しかし外交には有効ではないことは明らかである。

 「アメリカの発見」について議論がされている。「誰が、いつ発見した?」という議論である。長年この問題は争われてきた。今日はそのことに関して今に至るまでを簡単に説明しよう。我々はその発見が1492年クリストファー・コロンブスによってなされたと思って来た。

 しかしそれは西欧による嘘だったようだ。アメリカ大陸は1178年に我々の信仰上の仲間が見つけたらしい。初めに足を踏み入れたのはキューバだったようだ。その後そこにモスクを立てた。コロンブスは約300年後にそこに行き、モスクを目にして日記に書いたようだ。

 これはレジェプ・タイイプ・エルドアン大統領がイスタンブルの「宗教指導者会合」で明らかにした。この会は宗教庁によって計画された。会の名前は「第一回ラテンアメリカのムスリムリーダーのサミット」であった。参加者もその名の通り南アメリカのムスリム使節団だった。

 トルコではすでに既定の状況にきている。首相、大統領、大臣たち、与党の副党首の演説がテレビで伝えられ、すべてが生放送されている。エルドアン大統領のスピーチもそうだった。みなと同じく見てみた。所々聞き間違えたのかと思い、翌日スピーチ原稿を見つけて読んでみた。聞き間違えではなかったらしい。同じことが書いてあった。以下が大統領のお言葉。

 ラテンアメリカがイスラムを知ったのは12世紀頃にさかのぼる。アメリカ大陸は1492年にコロンブスによって発見されたといわれているが、その314年前1178年にムスリムの船乗りが辿り着いていた。

そう、こう語られたのだ。吾らがエルドアン大統領は1492年クリストファー・コロンブスのアメリカ発見を、証明されていない説のように語っていたのだ。1178年「ムスリムの船乗り」がアメリカ大陸に上陸したのが、あたかもまぎれもない事実であるかのように…。

「アメリカを発見したのは誰?」の論議は風刺画のテーマにもなった。この「明らかな事実」には証拠が挙げられていた。次のようなものである。

「クリストファー・コロンブスは日誌でキューバにある山の頂上にモスクがあると書いていた。」大統領の説明によれば、このモスクは1178年にそこを見つけ住んだムスリムによって建てられたのだ。しかしその後何からかの形で破壊されたに違いなく、エルドアン大統領は話の途中でこんな願いを口にしている。

 今、その山の頂上にモスクを建てよう。

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 こんな話だった。もちろんトルコ中がテレビで見た。翌日には新聞に書かれていた。海外の新聞も反応した。海外メディアの反応は至る所から来た。始めに来たのはキューバとスペインからだった。その後、他の国でも報道され始めた。

El Paris紙はエルドアン大統領に証明するよう求めた。アメリカがコロンブス以前に発見されていたという説は新しくなく、ずっと昔からムスリムの著述家たちの間でこのような説が唱えられており、昔の中国の記録に書かれていたとしているが、これは正しくないと報道した。「キューバにモスクがあった」という発見については、コロンブスの日誌にそのような記述はないと明らかにした。

同紙によると、当時の著述家のうち一人はコロンブスに関連して書いたある話しの中で「ある山が見えた。頂上には小さなモスクのような小ちゃな塔がたっていた」という風に書かれているようだ。しかしこれは話しの中の「たとえ」だったという。

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西側の新聞にはこのような記事や解釈がたくさん載っている….。一部では大統領のこの発言はジョークのネタになった...。例えばスペインが一番これについて書いている。ジュムヒュリイェット紙の記者ニルギュン・ジェラホオル氏はこの時スペインにいたようだ。記事の中でスペインで言われている事が書かれている。ここでも少し取り上げよう。

・エルドアン大統領が幸せなら我々はそれでもかまわない。あとは万有引力やペニシリン、オリビエサラダの発明がまだ残っている。怒らないで、これも時間の問題だ!

・おそらくロゼッタとフィラエの「調査」でもひとつの映像がある。彗星には水タバコを吸っているトルコ人がいた。

・NASAは数十年間隠していた。火星に初着陸の映像では、マリネリス峡谷の中腹には尖塔が、そして色々なケバブ屋とハラールの屠殺場が映っていた。

もちろん、これらのジョークは我が国の政治家たちにとって好ましいものではない。しかしこれに腹を立てることはできない。

 国外だけでなく、国内でも書かれている。この「アメリカ発見」については望むと望まずとに関わらず、このようなことが思い浮かぶ。例えば、ユルマズ・オズディル氏はこの説によって生まれうる「新説」の例を挙げている。

・マルコポーロはムフティーだった。
・太平洋初のイフタールはマゼランが用意した。
・バスコ・ダ・ガマはピーリー・レイースとイマームハティーブでクラスメイトだった。

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デニズ・カヴゥクチュオウル氏はスペインメディアの「万有引力、ペニシリン、オリビエサラダ」について、「エルドアン大統領、怒らないで」として、ジュムヒュリエット紙で回答した。

「腹を立てる理由があるだろうか?いや、万有引力を発見したのはムスリムかもしれない、ニュートンがキリスト教徒ということは額に書いてあったであろうか?ペニシリはそうと思わないが、でもロシア・サラダは疑いなくムスリムの発明だという可能性もある。材料の中に豚の肉や脂が無いことがその可能性を強めている。」

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もちろん、これらの揶揄に対してエルドアン大統領が何らか述べることは明らかだった。新設のイマーム・ハティーブ高校の開校式で発言した。

 エルドアン大統領は式に参加していた生徒たちに語った。イマーム・ハティーブで学ぶ学生数は10年間で15倍の100万人近くになった。今後より増えるであろうこと、イマームハティーブ卒業生達が共和国の歴史に載るような人物になるよう言った後、「アメリカの発見」の話に至った。

 エルドアン大統領は話の中で海外メディアで言われていることについてはあまり触れなかった。元々西側メディアはイスラムに対して偏見がある。歴史をゆがめてきたのは彼らだ。しかし「アメリカの発見」に関しては、トルコ国内から発された批判に対する反発が多かった。ソーシャルメディアで批判や揶揄をしている若者たちに次の様に忠告した。

 「この主張に対する海外の反発以前に、我が国の若者たちは、残念ながら一部の若者たちは、検証も検討もせずに、行われた議論を見ることも無く批判や揶揄を始めた。」

そしてコラムニストや風刺画家たちについても次の様に述べた。

「御覧のように一部のコラムニストや風刺画家たちも揶揄し始めた。なぜか。彼らはこれらの事をムスリムが行うと信じてないからだ。この民の子孫がこういうことをできると一度も信じたことが無いのだ。」

大統領は「彼ら」と指した筆者や画家の態度に対して言った。

「自身、自分の歴史、民族に対し疎遠となっている、彼らは。紋切り型の表現を繰り返すだけだ。」

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そもそも、大統領のこの評価は正しくない。トルコメディアでは、エルドアン大統領の「アメリカ発見」新説について、彼が証拠とした著述について検証した人がいないではなかった。そのうちの一人はヒュリエット紙のタハ・アクヨル氏だった。

 アクヨル氏はエルドアン大統領の「アメリカを発見したのは誰?」の議論で自説の根拠として挙げたフアト・セズギン教授の「アメリカ大陸ムスリムの船乗りによるコロンブス以前の発見」という本を読み検証した。アクヨル氏はその結果についてこのように述べている。

「コロンブスの日誌同様、某かの歴史でムスリムが旅に出て、アメリカでムスリムがコロニーをつくった、帰還してそんなことを書いたといった記述部分はない。コロンブス以前に一部のムスリムの船乗りたちが大西洋に乗り出し、一部の島、恐らく大陸にたどり着いたことは理解できる。しかし「大陸発見」という結果を生んだ航海はコロンブスがおこなったことは明白だ。」

アクヨル氏は他のデータも検証したうえで次の様に締めている。
「アメリカ大陸の発見、ムスリムが以前にそこに到達していたという問題は、歴史的手法によってのみ検証されるべき事実に関わる問題だ。イデオロギーや信条と関わることではない。我々も歴史専門家に尋ねて学ぶものなのだ。」

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エルドアン大統領の「アメリカ発見」に関する新説に関する先週の議論をまとめるとこうなる…。この議論を見て私が思い浮かぶのは次の古典的な疑問だ。

「エルドアン大統領はなぜこの説を発表したのか?」

一国のトップである政治家は、もちろん、このような発言をする際、明確な目的を持って発言している。「この発言をしよう。この発言が、我が国に、我が党、又は自分自身にとって有益だろう」という計算をするのだ。その計算が正しいという可能性が高いと信じれば、そう発言をするのだ。自信が無ければできないものである。

 エルドアン大統領も「アメリカ発見」の発言の前にこの計算をしているはずだ。単独で、又は友人と話し合った上でこの回答を考えているはずである。

この発言後、外交政策にいかなる結果を生むか、内政ではと…。

 様々な観点から考えているはずである。まず外交から。その結果は想定外ではないはずだ。この発言が、スペインを筆頭に南アメリカ、他の多くの国々から反発を招くことは明らかだった。しかもその件にはアメリカを含む西側同盟国や、トルコが参加しようとしているEUの国々の間でも新たな問題を引き起こすきっかけとなることは明かだった。

 ましてやトルコの外交の方針が徐々に問われているこの時代に?…

もちろんあらゆる国は外交政策上の自国の利益に配慮する。外交では時の流れと共に必要とされる変化はある。トルコも、必要とあれば西側同盟国以外の国々と繋がりを重視することも考えうる。

 しかし、トルコの政治家たちにはそのような考えはあるのか?

あるのならば問題は無い。大統領の「アメリカ発見」の新説とそれを発表する際の西側に関する発言は、アメリカやEUとの関係が悪くなる要素を内包している。実際この結果はすぐに見え始めた。もしこれを狙っての事であればその通りとなっている。

 しかし目的がそうであったとして、すぐに次の疑問が思い浮かぶ。では、そのあとどうするのか?

 関係が悪化した国々の代わりに、関係強化を考えられる国はどこか?その国々と関係強化の為の政策は始まっているのだろうか?近隣の国々を見てみよう。ロシア、イラン、イラク、サウジアラビヤ、ギリシアと?...もしくはもっと遠い国とか?

 そしてそれらの国々と関係を発展させるのに「アメリカの発見」の新説は役に立つのだろうか?

 国民の大半がキリスト教徒の国はさておき、ムスリムの国を見てみよう。「アメリカを見つけたのはコロンブスではなく、ムスリムだった」という説を主張することは、どこの国との関係を良くするのであろうか?…もしくは彼らも自分たちの間で「トルコはこの主張で何をしたいのだ?我々を含むムスリムのリーダーにでもなるつもりか?」という疑問を生じさせないだろうか?これを受けて、どの国が「それならオッケー、リーダーになって」と言うだろうか?

 外交関係について考える時、この問題についても考えたのだろうか?

・・・・・・

 国内の問題については...この問題でもっと複雑である。それについては他の記事でまた書こう。

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( 翻訳者:岡本悠見 )
( 記事ID:35922 )