シリア人難民を「物乞い」のみと誤解している
2014年11月30日付 Milliyet 紙


コチ大学付属の移民調査センターは、最近、ある活動を実施した。「国境、移動、多様性:古い問題、新しい問題」である。 センター長であるアフメト・イチドゥイグ教授がリーダーシップをとった活動のテーマのうちの一つがシリアからの移民であった。トルコにいるシリア人が、自分たちで病院や学校を設け、病院が無許可のため閉鎖され、学校での教育は継続していることに関する情報も先週取り上げた。ヨーロッパ諸国に不法入国しようとして逮捕された人、亡くなった人が新しく加えられた。こうした展開についてイチドゥイグ教授と話し、「トルコは、シリア人が永住することに対する準備はあるのか」 と質問した。

ー先週行われた会議で「シリアからの移民」にというテーマで何を話したのか。

「シリアから来た難民の行動は、定住となるのか。移住は続くのか」といったテーマについて話し合った。都市部の難民とキャンプの難民との間の違い、適応の問題を取り上げた。

■政府はこれを一時的な危機として考えている

ーシリアから受け入れた移民に関して私たちに提示できるデータは何か。

2012年末には約17万人であった。キャンプの他には全く難民はいなかった。政府はこれを一時的な危機として捉え、少しの間キャンプに滞在し、その後はどこかに行くだろうと考えた。2013年になるとこの数字は、60万人を超えた。現在はというと、登録している人は120万人ほどである。

この登録の形式も議論されている。公共サービスを受けるために、様々な登録が行われていると言われている。国連難民高等弁務官事務所は、150万人ほどであると認めている。私たちもそのように考えている...。このうち約6分の1が難民キャンプで、残りは都市部にいる。3分の2は、シリア国境地域の県にとどまっている。ガズィアンテプ、ハタイを筆頭に。残りは、大都市にいる。イスタンブルでの数字は、30万人に近づいた。

■医者、芸術家、学者もいる

ーキャンプまたは都市部の居住は難民達自身が選んでいるのか。

トルコにおけるキャンプは、世界的水準のものである。大半は新しく来た難民がキャンプに滞在している。一定期間滞在した者は、経済的な利益がある場所に移動する。知り合いのもとに行き、だんだんと小さな社会が形成されている。

ー移民は続くのか。

2013年の中頃から移動を制限している。

ーこの移動によってやってきた人々はどんな人たちなのか。

3分の2は女性と未成年である。トルコで生まれた子供たちの数が10万を超えたことがわかっている。大部分は、田舎からである。都市部出身者は少ない。4分の1は、教育を受けて、職に就いていた。20人から50人、学者もいる。裕福な者もいれば、中流階級の者もいる。医者、芸術家もいる。私たちが物乞いとしてみているのは、凡そ2,000人から3,000人である。しかし、私たちは大都市で彼らを見かけ、彼らも都市の決まった場所に集まっているために、シリア人の問題を物乞いの問題とみている。彼らも問題ではあるが、あまり数が多くないことを知らなければならない。

■大規模な移民のために法的な基盤がない

ートルコにいるシリア人移民の問題について何をするべきか。

彼らのことをいまだに「お客さん」と呼んでいる。お客という言葉は法律上の概念ではない。世界では、大規模な難民の動きに関し法的な基盤が、不明瞭である。私たちも一時的な保護の法律を制定した。しかし、大規模な移民に関する法的なインフラはない。注意をしたい事柄が二つある。一つ目は次のようなことである。2006年から新しい居住法がある。しかし、この法律は1934年の旧法のいくつかの特徴を引き継いでいる。これによると、移民はトルコ人の血統とトルコ文化を有する人と定義され、他の国から来て定住し、国籍を得ることを望む人の中で、トルコ人の血統、民族、文化に関わる人がこれに関し優先されるとされている。これは、1930年代の民族主義的な枠組みとその時代の国民国家形成のための営為の影響を受けている。これに基づくと、 シリアから来た人々の一部はトルクメン人であるが、大部分はアラブ人とクルド人である。このため、この法律の変更または是正が必要となる。二つ目は以下である。避難という行為を定義した1951年のジュネーブ合意において、地理的な制限と呼ぶ権利がある。トルコはこの権利を守っている唯一の国である。トルコは、トルコに滞在する権利についてヨーロッパから来た人にのみ与えている。冷戦時代に東側から逃れてきた人々について考慮されている。目下これも変更あるいはシリア人に関する特別な是正をする必要がある。

ー私たちに起こることは何か。

移民は社会的な事象である。人々が働くために他の場所にやってくる。トルコ人はドイツに行った時にそこで適応に関する問題が表面化した。政府はインフラを整備し、市民社会、メディア、大学も社会的なキャンペーンで問題を取り上げる必要がある。民族主義的な事件は、外国人敵視という問題になる。これらに関する研究を行うべきである。すでに「外国人が来た。職を奪われる」と議論される。もちろん、移住してきた人に様々な権利を認めれば、トルコの中で不利益を被る人もいるし、そう感じる人も出てくるだろう。例えばトルコでは大学進学はとても難しい。こうした人々に、大学への編入を認めたら、これは反感の原因となる。 これらすべてに関する調査を行うべきである。現在まで悪いことはなかった。しかし、必要な調査をしなかったならば、今後一部で不都合が生じうる。

ー西欧諸国はやるべきことをおこなったか。

これは財政的な問題であるため、国際的社会は負担を他人に背負わす傾向がある。西側諸国がこの危機に関し試験をパスしたとはいえない。私たちは彼らが責任を引き受けなかったと考えている。可能な限り、国境を閉めている。これも人々が違法な形で入国することを助長している。2013年にシリア人を含む約600人が海上で亡くなったと考えられている。今年の11月の頭までにこの数字は3000人を超えた。

ーシリア人移民に関するトルコの政策をどのように考えているか。

トルコは、シリアでの出来事に政治的に関わることとなった。このため、国際社会と市民社会に援助を要求せず、キャンプ設営で対処できると考えた。

そうでなければ、難民問題についてももう少し冷静に対処できただろう。これほど人々に門戸を開いたことは、人道的な点からもとても重要である。45億ドルほどの資金を費やしたと言われている。これは大変な数字である。これがどれほどのものなのかを知らねばならない。3年以内に150万人がひとつの国に来たら、例えばアメリカ、ドイツ、フランス、イギリスのような国にとっても大変なことになっただろう。つまりこれは問題のひとつとして見られ、議論されてきた。トルコで4年目に入るこの問題は、話題としては上位ではない。こうした人々が襲われた際にのみ話題になる。トルコの門戸開放政策はいいことである。武力衝突から逃れてきた人々に門を閉めることはできない。これは、哲学的・倫理的な選択である。しかし、全ての国には忍耐の限度というものがある。経済的・社会的条件の中でどれほど人々を受け入れられるか。この計算を行う必要がある。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:36042 )