Murat Yetkin コラム:ザマン紙への強制捜査は公正発展党の分岐点となる
2014年12月15日付 Radikal 紙

今回の事件には「報道の自由」もかかわる面もあるし、公正発展党内への影響という面もある。ギュレン派の身におこったことは、ほかの人へも教訓だ。2015年には、それぞれの主張にではなく、指導者、すなわちエルドアンへの従属度が物差しとなるだろう。

どれだけ多くの人が困ったか、よくわかるだろうか。昨日、新聞記者らが逮捕されことに反発していいものかどうかが、国内の知識人を二分した。

一部の知識人は、ザマン紙の編集長エキレム・ドゥマンルが、かつて、新聞記者らが、たとえばエルゲネコン捜査やKCK捜査で拘束され逮捕されたときに、「記者だから逮捕されたのではなく、クーデーター主義者、テロリストだから(捕まったの)だ」と書いたいたことを持ち出した。

一部のものは、最近まで(当時の首相で、いまは大統領の)エルドアンが、ザマン紙の25周年の催しに参加し、ドルマンル氏がエルドアンのメディアにおけるお気に入りの一人だったことを、持ち出した。

実際、今、ドゥマンル氏は、見る限り、新聞記者としての活動からではなく、アナドル通信社の記事によれば「アルカイダとのつながりを指摘される過激イスラム主義グループに対し、偽の証拠をねつ造した罪」で問われようとしている。それゆえ、一部の知識人は、悩みに悩んで、目の前にあることは報道の自由に対する明らかな侵害であることを見ないことにし、受け入れられなくなってしまった。

しかし事態は明確だ。報道の自由に対しネガティブな影響を及ぼすいかなる行動も、それが誰によるものであろうと、誰に対するものであろうと、どのような外見でおこなわれようと、間違いであり、反対しなくてはいけないのだ。

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ザマン紙とサマンヨルTVへの強制捜査と逮捕劇に反対することは、彼らの思想や信仰、やってきたことを肯定することではない。守ろうとしているのは、報道の自由だ。これは、誰が、いつ、なにを、どのように、どうして行ったかを忘れることも意味しない。これは、別の次元のことだ。

これについての最もいい例を、昨日、アフメト・シュクが示した。シュクは、ギュレン師のヒズメト(奉仕)グループの活動について書いた『イマームの兵士たち』という本が、まだ出版もされていなかったのに、牢屋に放り込まれ、テロリスト呼ばわりされた。今は釈放されている。そして、昨日、トゥイッターで、次のように書いた。「数年前の、ファシズム時代の主の一人だった「教団」を今、苦しめているものの名もファシズムだ。ファシズムに反対することは義務だ。」

これをうけ、ザマン紙のワシントン特派員のアリ・アスランは、「ファシストをファシストと言ってくれてありがとう。そして、どうか許してほしい。我々は、あなたの自由を、このようには守ってあげられなかった」と、トゥイッターで書いた。(ザマン関係者が、公正発展党政権に対し、ファシストと非難するなんて、ああ、なんてことだ?)また、ヒズメト(奉仕)グループのイフサン・ユルマズは、明らかに謝罪した。ドゥマンルも、かつて、オブラートに包んだシグナルを送っていた。後悔していた、というのはまだ早いだろう。民主主義と自由にために苦しんだ人々の信頼を回復するのは、それほど簡単ではないだろう。

「この世は非情だ」というもののいうことも理解できる。シリヴリの刑務所で、ネディム・シェネルの小さな娘が、「ボタンで何か音がする」とされスカートを脱がされたことを覚えておられるだろう。エルゲネコンの財務担当とされ、刑務所で無一文で亡くなったクドゥスィを。電話機にウイルスで仕込まれた偽の情報で刑務所に送られたメフエト・アリ・チェレビを。こうした事態をメディアで操作したのは、いったいだれだったのか。

報道の自由を主張するなら、将来、事態が改善したときにザマン関係者が自己批判するとを期待したり、さらには、似たようなシナリオのときに、彼らが再び登場するのかどうかを考えたりすることなく、それを主張することが必要だ。自己批判をすればそれはいいことだが、それは、彼らの良心の問題だ。権利や自由を真に守ろうとするなら、道義的にこれが必要だ。

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この態度は、昨日、ダヴトオール首相が「今日は、試験の日だ」といって始めた演説とは違っている。ダヴトオール首相は、この強制捜査を「民主主義を守るため」として支持した。そして、みなに、今日とった態度のつけを将来払うことになると語った。

これは、一部の人には脅迫だったし、一部の人には奨励だった。ある意味で、「今日、政府を支持すれば、いいことがある」といっているのだ、首相は。


自由を守ることとは、政府からいかなる見返りを期待することなく、さらには、自由のために身に降りかかるであろう「つけ」を覚悟することだ。最大の見返りとは、自由そのものではないのだろうか。見返りを期待して行えば、そもそも、ほかの言い方をすれば、それを信じてはいない、ということになるのではないだろうか?

一方、ダヴトオール首相は、彼なりの躊躇を示しているようにも見受けられる。この強制捜査が、2013年12月17日の「不正疑惑捜査」1周年の直前に行われたことが偶然だと、みなを、さらには、公正発展党支持者を納得させることは不可能だ。

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こう考えると、強制捜査には2つの目的があるように思われる。1つは、昨年、当時の首相で今は大統領であるタイイプ・エルドアンを、閣僚たちを、官僚を、党員を、その家族とともに、大きな不正のネットワークの目標にした2013年12月17~25日の捜査に対し、人々の目のまえで、その仕返し、復讐をする、という側面だ。

2つめは、一周年目にあたり、メディアや世論を、ほかの問題で騒がせ、もっと大きな問題を与えて、改めて不正疑惑についてあれこれ書き立てられることを防ぐこと。とくに、4人の元閣僚の議会の調査委員会での発言が、公正発展党を困らせている、この時期に。

実際、昨日、ドゥマンルが警察によりザマン新聞社ビルから連行されているとき、共和人民党のハルーク・コチ報道官は記者会見をひらき、第二の便宜供与リストを発表していた。コチの発表によれば、主だった公正発展党の関係者は、公務員採用試験を受けることなく、あるいは、合格点をとっていないにもかかわらず、政府で職をえていた。(第一のリストの一部は、アルンチ副首相によって確認されていた。)公務員試験に合格したにも関わらず職をえていない何千人もの優秀な人々がいるこの時期に、こうした事態は、「しかし、(共和人民党党首の)ケマル・クルチダルオールも、あの時には・・・」といってはじまる、終わりの見えない議論からは、わかりにくい。

トルコを訪問したローマ法王が、アンカラで、超高級な公用車やアクサライ大統領宮を、あるいは、豪華なホテルに泊まることを拒否した(バチカン大使館の客室に泊まった)この時期に、メフメト・ギョルメズ宗務長官に市場価値100万TLのメルセデスが公用車として(彼だけでなく、1ランク下の車が、副長官らにも)与えられたことは、記憶に残らないとでも思うのだろうか?

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さらに、エルドアンとダヴトオールを困らせていることも、もうひとつある。アブドゥッラー・オジャランは、以前にも、「もう我慢の限界だ」と再三再四、いっていたことがある。しかし、この度の「もう我慢の限界だ」という発言に、「オオカミ少年」扱いすることは、つまり、まじめに受け取らないことは、大きな間違いようにおもわれる。

政府とPKKの対話は、困難に直面している。この件では、公式にはアルンチ副首相が前面にたっていた、しかし、実際には、政府を代表し、ヤルチュン・アクドアン副首相が担当していた。直近の展開をうけ、PKKのカンディル本部からきたHDPの代表団と、アクドアン副首相ではなく、国家諜報局のハーカン・フィダンが面会したと、イェニ・シャファク紙は書いていた。これは、誰によっても否定されなかった。PKKとそれと同じ行動をとるHDPは、2015年7月7日に予定されている選挙を前に、憲法上の権利を求めている。なぜなら、選挙後には、約束されていた憲法上の権利が反故にされる危険があると思われているからだ。

ダヴトオール首相はというと、大きな問題なく、大きな衝突がおき兵士の犠牲者の葬儀を執り行うことなく、この選挙に入ることを望んでいる。同時に、公正発展党の支持者のなかの、PKKを憎む民族主義的保守主義層も怒らせたくないと考えている。

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以上のすべてをうけ、いま、公正発展党に、その結成以来、大きな貢献をし、支持してきたギュレン教団に対し、その粛清が行われた。これは、公正発展党のなかでその存在を維持したい別の「教団」へ、グループへ対する明らかな警告だ。祈りの言葉と伴ににじりよってきたギュレン派の身にこれが起こったなら、ほかの人々に何が起こるかは、明々白々だ。つまり、2015年の総選挙後に公正発展党の議員でいたいなら、その主義主張にではなく、指導者、すなわち、エルドアンにどれだけ忠誠かがその尺度となることを示している。こうした、分岐点にいるといえるだろう。

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:36215 )