ハッダーデ・アーデル氏は、テヘラン大学でのアーザル月16日式典で提起した: なぜイスラーム共和国は米国と妥協しないのか
2014年12月07日付 Jam-e Jam 紙


ハッダーデ・アーデル氏は、テヘラン大学で開催されたアーザル月16日式典において「今回の大学生の集まりで提起する問題は、なぜイランが米国と妥協しないのかということである。いくつかの新聞の社説を検討すれば、新聞は米国を歓迎しているということがわかるだろう。」と述べた。

国会議員のゴラームアリー・ハッダーデ・アーデル氏は、テヘラン大学文学部のバスィージの大学生の尽力で開催されたアーザル月16日記念式典に出席し、「まず、この[イラクの]カルバラ-巡礼に我が国の人々が大勢で敬意を表しながら向かうこと、あるいは徒歩で[イラクの]ナジャフからカルバラーに向かうこと [注:アルバイーンのこと]は、イマーム・ホセインへの献身的行為であり、傲慢な大国に、イラン国民は今も変わらずイマーム・ホセインに連なる民であり、ホメイニー師を慕うものであることを頭に叩き込んでやらなければならない」と発言した。

同氏は、「実際に、当時の1332年のモルダード月28日(西暦1953年8月19日)のクーデターは、イラン国民のイギリス植民地主義との闘争と石油産業国有化への希望を打ち砕き、数年来の努力はクーデターにより水泡に帰した。その25年後、イラン国民はイスラーム革命に勝利するまで、血の涙を流したのだ。」と述べた。

文化革命最高評議会委員であるアーデル氏は、モルダード月28日のクーデターについてイラン国民にとって大変つらいものであったと述べ、「当時、米国に牛耳られる息苦しい雰囲気や、イギリスの悪意や陰謀が存在した。石油国有化を行おうとした政府は打倒され、米国に操られた政府が権力を握り、もう誰も意見をする気概を持ち合わせていなかった。」と述べた。

アーデル氏は、「当時ニュースが伝えるのは、ただ処刑台の杭や、裁判や牢屋に入れられる話ばかりだった。大学生たちの心には、大学に対する怒りが渦巻いており、時が来ればその暗幕を取り払い、自らの抗議の叫び声を上げようと、恨みの言葉を喉元にぐっと堪(こら)えていたのだ。」と加えた。

テヘラン選出議員である同氏は、(当時米国臨時副大統領であった)ニクソンのイラン訪問に言及し、「このニクソンの訪問は、勝利者たる軍司令官が征服した国を視察し、計画がどこまで進んでいるかチェックするようなものだったのだ。」と述べた。

ハッダーデ・アーデル氏は、ニクソンのイラン訪問に対する大学生らの抗議に言及し、「その訪問は大変不快なものであり、そのために大学生らはその訪問に抗議した。そして皇帝の近衛兵らが、工学部で3人の学生を殉教させたのだ。」と述べた。

同氏は続けて、「この事件を間近で目撃し、事件の誠実な語り手となった人物が、殉教者チャムラーンであり、これをまさにバスィージの先生方や学生の皆さんの模範としなければならない。彼(チャムラーン)は、当時、工学部の学生であり、近くからその出来事を見ていた。この事件[のニュース]は、イラン全土に広まった。その年以降、アーザル月16日(西暦では12月7日)の記念式が行われ、この日を大学生の日とし、この3人の殉教者らを『三滴の血』として記憶するようになった。」と述べた。

ハッダーデ・アーデル氏は、更に続けて「闘争の精神はアーザル月16日に最も盛り上がり、その闘争は同時に植民地主義者と専制主義者に対するものとなった。すなわち、学生たちはクーデターの計画者としての米国と、金で操られ米国の手下となったシャーに対する闘争を行っていた。」と指摘した。

同氏は、フランシス・フクヤマやヘーゲルやハンティントンらの歴史の終わりという知識人たちの思想に言及し、「彼らは、その国の石油から得た資金を使って、あるいは自らが売りたいと望む商品を売ることで米国の資本家たちを助けようと、世界のあらゆる場においてその国の石油資源の収奪を求めた。これらは、米国の行いのほんの一例にすぎない。」と発言した。

ハッダーデ・アーデル氏は、言論の自由と民主主義の希求者と自認する米国について、実際に行っていることはそうではないとし、「米国の残酷さの一つは、米国が出てくるところではどこでも自身の文化を力ずくで広めることだ。この行為はイスラームの国々に留まらない。米国は自身を自由と民主主義を希求するものとしながら、一方で[政教分離の]世俗主義を世界で広めようとしている。」と述べた。

同氏は、アメリカはシオニズム政権の計画を世界で実行していると述べた上で、「米国の高官の70パーセントは、米国とイスラエルの2つのパスポートを所持している。彼らが行ったことは、60~70年前から世界の様々な所にいるシオニズム主義の輩をムスリムが住まうパレスチナに移したことだ。」と述べた。

ハッダーデ・アーデル氏は「いかなる国も歴史を通じてこのような行動はなさなかった。イスラエルは、レバノンのヒズボラ(ヒズブッラー)が彼らと対立しているという事実を無視している。それで彼らは、ナイル川からユーフラテス川までというスローガンを叫び、民主主義と人権を主張しているのだ。」と述べた。

同氏は、「我が国が米国にレッドカーペットを広げるのは、ありえないことだ」と述べ、「徒歩でカルバラーに向かう人々は男も女も、こんな屈辱には屈しないというメッセージをアメリカ人達に伝えている。我々はまさに明日または今夜、ヴォイスオブアメリカ(VOA)やBBCなどの英米のメディアに満足できるのか見極めようではないか。」と言明した。

ハッダーデ・アーデル氏は、アメリカ系の黒人に米国で起きた出来事に言及し、「米国人たちはこのように自国民と衝突しており、今や米国民は息がつまるとシュプレヒコールを上げ始めているのに、彼らは他所の国の人々に対していったい何をしているのだ。」と述べた。

同氏は、「米国はこれと同様のことをイラクとアフガニスタンにおいて行い、継続している。」と続けた。

ハッダーデ・アーデル氏は最後に、大学生は燃える松明のように、常に生き生きとしていなければならないと述べ、「アーザル月16日を後世に伝え、我々の誰もがイスラーム革命の価値の番人であることを願っている」と述べた。

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( 翻訳者:マルデサヒーフ )
( 記事ID:36273 )