エルドアン侮辱で逮捕の16才、釈放
2014年12月27日付 Radikal 紙


エルドアン大統領を侮辱した容疑で昨日逮捕されたM.E.Aという名の少年が釈放された。刑務所から出た後、すぐに彼を待ちわびていた母と抱擁を交わしたM.E.Aさんは、「僕たちはテロリストではありません。ムスタファ・ケマルの兵士だと言ったのです。ただそれだけで、僕は刑務所に入れられました。僕の居場所は刑務所ではなく、学校の教室です」と話した。

コンヤで行われた革命の殉教者であるムスタファ・フェフミ・クビライの追悼式の中で、レジェプ・タイイプ・エルドアン大統領を侮辱する演説を行った罪により逮捕された16歳の高校生M.E.Aさんは、容疑を否認した上で今日(26日)釈放された。刑務所から出たM.E.Aさんは、最初に彼を待ちわびていた母と抱擁を交わした。

高校生のM.E.Aさんは、火曜日にポピュリスト高校生グループによってゲダヴェト公園で主催されたクビライ追悼式での演説において、レジェプ・タイイプ・エルドアン大統領を侮辱した容疑により、翌日水曜日に学校に踏み込んだ警察に教室から引っぱり出される形で逮捕された。裁判後、コンヤ第1簡易刑事裁判所に移送されたM.E.Aさんは、身柄を拘束された状態で刑務所に輸送された。

法曹界や世論において広く反響を呼んだ高校生M.E.Aさんの逮捕決定に、バルシュ・イスピル弁護士は昨日逮捕棄却請求を行った。コンヤ第2簡易刑事裁判所は、昨日この棄却請求を審議し、判決を今日に預けた。そして裁判所は、この棄却請求を正当であると判断し、今朝M.E.Aさんを釈放する決定を下した。

■「ムスタファ・ケマルの兵士であるために刑務所に入れられた」

16歳の高校生であるM.E.Aさんは、「僕たちはテロリストではありません。ムスタファ・ケマルの兵士であったために警察は僕たちを刑務所に入れ、脅したのです」と話した。

刑務所前では、母親のナズミイェ・ギョクさんや共和人民党(CHP)のエンギン・オズコチサカルヤ県出国会議員、同じくCHPのイルファン・イナンチ・ユルドゥズ青年部長、そして彼の友人や親戚らが、M.E.Aさんを太鼓と笛の演奏とともに迎えた。M.E.Aさんは刑務所のドアから出た後、母のナズミイェ・ギョクさんや友人らと抱擁を交わした。

M.E.Aさんを迎えたエンギン・オズコチCHP所属国会議員は、一人の高校生が学校から連れ去られ、逮捕決定が下されたことは、全トルコの心を痛めつけたと述べた。この事件をCHPとして政治には利用せず、M.E.Aさんの自由を守るために支援したいと述べたオズコチ国会議員は、高校生のM.E.Aさんが行った批判や言動により逮捕されたこと、しかし良識のおかげで釈放されたことにより、ほんのわずかかもしれないが司法から身を守ることの意識が高まるいい機会になったと話した。

2日間刑務所で過ごした後自由の身となったM.E.Aさんが行った短い会見では、自身がテロリストではないということが話された。M.E.Aさんは以下のように述べた。「この2、3日の間、僕を支えてくれた母や家族、祖父母、CHPの方々、そしてCHP青年部の皆さんに感謝します。僕たちはテロリストではありません。僕たちはこの道を歩みだしたときに約束しました。ファシストの圧力に屈しないと。僕たちはムスタファ・ケマルの兵士だと言ったのです。しかし、これを理由に僕たちは刑務所に入れられました。ムスタファ・ケマルの兵士であったがために、彼らは僕らを刑務所に入れ、そして脅したのです。」

■祖父の家に行った

M.E.Aさんは刑務所から出ると、彼の祖父であるメフメト・エミン・アッカヴィムさんの家へ向かった。M.E.Aさんを、ここでも親族や隣人らが喜びの声とともに出迎えた。

■「僕の居場所は刑務所ではなく学校」

釈放されたことをとても喜ばしく思うと話し、この出来事で自身を支えてくれた家族を始めとするすべての人たちに感謝していると述べたM.E.Aさんは、「僕の居場所は刑務所ではなく、学校の教室です」と話した。

M.E.Aさんは記者らに逮捕されたときの状況を訊かれると、「警察は学校にやって来ました。その時僕は授業中でした。警察は僕を呼び出し、僕は警察と一緒に学校を出ました。こんなことは誰も経験したくないことです」と答えた。

刑務所にいる間どのようなことを考えていたかという質問には、「僕に対して行われた不当な行為について考えていました。去年の3月1日、僕たちは『司法の独立を求める』と主張しました。これを僕たち自身が構築したいと思います」とM.E.Aさんは答えた。

■裁判官の顔を見る機会はなかった

逮捕決定が下された時の裁判官の態度について質問されたM.E.A さんは、「裁判はせいぜい5分程度のものでした。そのため、裁判官の顔を注視する機会さえありませんでした。そうこうしている内に逮捕決定が下されました」と答えた。「裁判官との間で何か言葉を交わしましたか」という質問にも、M.E.Aさんは「まったくなかった」と答えた。
身柄を拘束されていた間、何が恋しく思われたかという質問には、刑務所で食べたピラフが美味しくなく、母の作ったピラフが恋しくなったと答えた。

■母「子どもたちの居場所はあそこではない」

母のナズミイェ・ギョクさんは記者らに「息子さんが自由の身となりましたが、彼と何を話すつもりですか」と質問されると、「まずは息子にピラフを作ってあげます」と笑顔で答えた。その後彼女は「とても幸せです。子どもたちの居場所はあんなところではありませんから」と話した。

■「子どもを誇りに思う」

息子との再会に喜びの涙を抑えることができない母のナズミイェ・ギョクさんは、息子であるM.E.Aさんを誇りに思うと話した。この事件に関心を寄せてくれたすべての人々に感謝すると述べたナズミイェ・ギョクさんは、さらに以下のように話した。「CHP青年部や婦人部のみなさんが、ずっと支えてくれました。トルコ全体が私たちを支持してくれました。すべての方々に感謝しています。子どもたちの居場所は刑務所ではありません。彼らは学校で机に向かっていなければならないのです。この3日間、涙を流すことはありませんでした。しかし今、喜びの涙が止まりません。私はこの子を恥ずかしいとは思いません。むしろ誇りに思います。」

友人らはM.E.Aさんの名前を呼びながら、彼は一人ではないというスローガンを掲げた。

■クルチダルオールCHP党首「遅かったが素晴らしい判断だった」

ベイケント大学で学生らと集まったケマル・クルチダルオールCHP党首は、16歳のM.E.Aさんに関して「処分保留」の判決が下されたことについての質問に、「16歳の少年がほんの一時でも刑務所に入れられるということは、真っ当な出来事ではない。この間違いが、遅くなったとはいえ、正されたのは素晴らしいことだ」と答えた。

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:36356 )