Murat Yetkinコラム:エルドアンが首相に示した「身の程」
2014年12月30日付 Radikal 紙

エルドアン大統領は、内閣を1月19日に官邸に集めることをダヴトオール首相に話したと述べ、この議論をアレクサンドロス大王が(ゴルディオンの)結び目を断ち切るように終わらせたが、この終わりは新たな問題の始まりとなると思われる。

すでに、朝のコーヒーとともにイェニ・シャファク紙でアブデュルカーディル・セルヴィ氏のコラムを読んでいるときに、物事は考えられているより複雑であるという思いに捕らわれた。

セルヴィ氏は、いつもしているように特定の事件には触れず、タイイプ・エルドアン大統領とアフメト・ダヴトオール首相の間の理想的な関係を民主党のジェラル・バヤル大統領とアドナン・メンデレス首相の関係に例えていた。

そう、彼らもいくつかの重要な問題において反対の意見を持っており、どちらもいくつかの問題において間違いを犯したが、結果的に、政府と国民を結びつけるうえで完璧な組み合わせだった。故メンデレス首相はバヤル大統領の言葉を守っていたならば、5月27日のクーデターを防ぐことができただろう。

セルヴィ氏はこの例において今日の大統領と首相がいくつかの事柄で間違いを犯しうることを認め、リスクを負わないというわけではなかった。しかし、問題はこれではない。

問題は、エルドアン大統領とダヴトオール首相の間に、国を治めるというような問題において意見の相違は決して起こらないだろうということであった。

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その間に数時間が過ぎただろうか、エルドアン大統領はカメラの前にいた。

記者たちは1月5日に閣議で議長を務めるかどうかを尋ねた。

知られているとおり、議論はビナリ・ユルドゥルム元運輸相がテレビ番組で大統領が新年のはじめに閣議で議長を務めると述べて始まった。

実際、ユルドゥルム氏はその放送で日時を話さなかった。しかし、昨日ヒュッリイェト紙でデニズ・ゼイレキ記者は、ユルドュルム氏が12月15日に議会で話した記者たちにこの日時を「最初の閣議」として教えていたことを報じた。

大統領官邸筋はこれを肯定せず、大統領は2015年初の閣議で議長を務めないと述べたが、後の祭りである。

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これはダヴトオール首相のために予期されなかったことではない。正しくは、エルドアン大統領は、選挙期間中にこの件について話せることは全て最も明らかなかたちで話していた。

しかし、この問題を国民がエルドアン大統領あるいはダヴトオール首相からではなく、ユルドュルム氏から聞いたことを、ダヴトオール首相が喜んだとは言えない。

事実、12月27日の晩に放送されたテレビ番組で話したダヴトオール首相は、2015年1月5日の最初の閣議を主宰することは問題ではないと述べている。

大統領は確かに憲法に基づいて特別な状況下で集めることができた。

エルドアン大統領が昨日カメラの前で尋ねられた際に、訂正した最初の問題はこれであった。

憲法の第104条により、大統領は閣議を「必要だと思われる」時はいつでも招集することができた。

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そしてエルドアン大統領は閣議を1月19日に、大統領官邸に集めることが適切であると思うとダヴトオール首相に話したと、昨日述べた。

さて、率直に言って、国民は2015年の初めての重要な閣議がダヴトオール首相の主宰によって1月5日または12日に行われることと、それともエルドアン大統領の主宰によって1月19日に行われることの、どちらを適切と考えるだろうか?

エルドアン大統領は日付と場所の公表によってこの議論をアレクサンドロス大王がゴルディオンの結び目を断ち切って捨てたように終わらせたが、この終わりは思うに他の議論を呼んでしまったようだ。
エルドアン大統領の発表はダヴトオール首相に他の全ての問題に加えて、2015年の他の困難をも思い出させた。まして総選挙まであと6か月である。ことは本当に簡単ではない。

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( 翻訳者:鈴木歩実 )
( 記事ID:36376 )