アクビル時代の終焉―その9つの伝説
2015年01月02日付 Radikal 紙


1994年に行われた試験運用を経て1995年に初めてイスタンブル海上バス株式会社(İDO)の海上バスで利用が始められたアクビルは、2015年に入りその20年間にわたる偉業に終止符を打った。では、この20年間をアクビルはどのように生きたのだろうか。ではイスタンブルの伝説アクビルにまつわる9つの話を紹介しよう!

20年間にわたりイスタンブルの物語を紡いだアクビルは、その形や外観、チャージしたり押し付けたりすることで誰もが少なくとも一度は手にしたことがあり、ほとんど家族の一人のように付き合ってきたものだ。通常のアクビルや通学アクビル、乗り換え用アクビル…誰が何と言おうと、1996年に始まったこのイスタンブルの20年間にわたる伝説の旅路は幕を閉じた。初めて登場した時は大きな革命のように見えたが、最近では原始的なものとなってしまったアクビルへ別れを告げるため、われわれはあるリストを用意した。以下に述べるのが、過去から現在をつなぐ9つのアクビル・リサイタルだ。

■1.アクビル以前

アクビルの登場がイスタンブルの公共交通機関にとってこれほど画期的な出来事であったために、アクビル以前はどのようなシステムになっていたのか若者たちの多くが覚えていない。そのため、まずはここから始めなければならない。アクビル以前は単に「ビル」、つまり切符システムが使われていた。トレーシングペーパーになっており世界で最も質の悪いパルプから作られたこの切符は、濡れた瞬間になくなってしまうという特徴があった。このため、特に雨の日には切符を濡らさないように守るスキルが求められた。

■2.ある街の物語:切符箱

切符が存在していたとなると、もちろんその切符がどのように使われていたのかも重要なテーマだ。かつては運転手のすぐ横に切符を入れる料金箱が設置されていた。この料金箱が満杯になるとどうなるのか誰もあまりよく知らなかったが、その後に燃焼機能付きの箱が導入された。内部に点火部があるこの金属製の料金箱は、箱の中に切符が入れられるとその切符を燃やして処理していた。しかし、この料金箱の断熱性があまりしっかりしたものではなかったため、しばしば前方に押し詰められた乗客がケガをすることもあった。さらにはスカーフの糸をこの料金箱に巻き込まれてしまった人々は、火傷を負う危険から避けてさえもいた。

■3.アクビルに対抗する新たな切符

1996年にアクビルが広く利用され始めると、すぐにトレーシングペーパー製の切符は姿を消した。アクビルは快適に乗車でき、同時に経済的であるという理由により、すぐに誰もが好んで使うようになった。これを受けて自治体は新たなシステムを確立し、かつてのトレーシングペーパー製切符を追いやって、新世代で真新しいカラーの切符を発行した。この新しい切符が新しい料金箱とともにバスで使われるようになると、誰もがもはやこのシステムはこの形で続くと信じた。

■4.この局面の片側で苦しんだ人々:助手

公共バスはアクビルがもたらした2つ目の局面の渦中におり、そしてここでアクビルが最も苦しめたのが助手らであった。自治体が運行するバスでは助手システムが数年前に廃止されたにもかかわらず、公共バスでは2000年代になってもシステムは継続され、さらに一部の路線では2010年まで助手が存在していた。では助手とは何か?助手とは優しさであり、労働であった…切符を持っていない人がドアの外にはじき出されないようにするための、安全弁であり、財布にお金がある誰しもが利用するための権利を守るかけがえのない存在だった。助手がいればお金を払うことでバスに乗車することができた。その後アクビルが登場し、助手の時代は急速に衰退した。今、あの助手たちはどこで何をしているのか知るすべはないが、財布にお金はあるのに交通系カードに残額がないときはついつい助手を探してしまう…。

■アクビルの不正利用

アクビルはわずかではあるがテクノロジーを利用したデバイスであるため、詐欺行為はトルコの人々にとって非常にシンプルな忌々しい行為であった。悪魔も思いつかないような様々なアイデアやトリックとしのぎを削った空っぽのアクビル問題は、時代の流れの中でアクビルの音が模倣されるといった異様な動きにまで進展したアクビルはもはやトルコの人々が格闘するシステムに変わってしまった。では切符はそうだっただろうか?偽物を作る以外に、切符で詐欺行為を働く術はなかった。切符はだまされることはない。そう、切符は詐欺ができないシステムだったのだ。

■6.押す問題

アクビルはその構造ゆえにすり減るデバイスではなかった。アクビルが押し付けられるのは嫌なことだった。アクビルを押し付けるのは様々なジョークにもなった。満員のバスで人々がアクビルを押したり押されたり押させたりする熱気は、大きな笑いを呼ぶ会話のネタとなった。

■7.誰もがポケットの中にアクビルを

アクビルはそのコンパクトさゆえにキーホルダーとして使われたデバイスであった。特にバスに後方ドアから乗車し、アクビルを押そうと手を伸ばす人々がチャリンとキーホルダーを鳴らす音は、簡単には耳から消すことのできない記憶の一つだ。キーホルダー型の後には学生証やその他多くのカードに備え付けられたアクビルは、誰しもがポケットに入れていたものだ。中にはネックレスやライターとしてアクビルを使うとんでもない人もいたほどだ!

■8.物語の終わり

アクビルの利用は特に2000年代半ばから大きく落ち込んだ。もはや新しい現代的な交通系カードが使われるようになった。カードはアクビルのようにボタン型の突起部分がないため、より簡単に持ち運びでき、且つよりお金に近い感覚で使われるようになった。しかし、何年もの間アクビルに慣れ親しんできたイスタンブルの人々は、長い間アクビルが交通系カードと並行して利用されることに耐えてきた。これはアクビルと交通系カードの両方で使える料金箱が登場する理由にもなった。

■王は亡き者となった。新たな王よ末永く!

かつては切符が飛び交ったバスにおいて20年間もその地位を支配してきたアクビルの物語は、もはやその任務を満了し、流通の世界から消した。2015年の元旦から運用が開始されたシステムにより、イスタンブルの公共交通機関の王はイスタンブル・カードとなった。この新たなシステムが一体何年その座を守り続けることになるのかはわからないが、アクビルがこれほどまでに言葉として定着してしまった今、今後皮膚にチップが埋め込まれるような時代がきても、私たちにとって交通機関に乗る手段はアクビルであり、もはやアクビルは私たちの一部なのだ…。

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:36406 )