HDP、ディンク追悼デモ
2015年01月18日付 Radikal 紙


人民の民主主義党(HDP)シシュリ区支部は、1月19日に襲撃を受けて命を落としたアゴス新聞のフラント・ディンク編集長を追悼するために行進を行った。エルゲネコン通りという名称をフラント・ディンク通りに変更するために署名活動を始めた団体は、プラカードに「フラント・ディンク通り」と書かれたラベルを貼り付けた。

HDPシシュリ区支部は、2007年1月19日に受けた襲撃で亡くなったアゴス紙のフラント・ディンク編集長を追悼するために行進を行った。

■通りの名称を変更

「フラントと、虐殺と、向き合え」と書かれたプラカードを掲げた約50人の集団は、「クルド人、トルコ人、アルメニア人/同胞万歳」、「ファシズムに抵抗 /フラントは兄弟だ」、「私たちは皆フラントだ/私たちは皆アルメニア人だ」といったスローガンの下、クルトゥルシュ通りからエルゲネコン通りまで行進を行った。団体は、行進の際、プラカードにラベルを貼り付け、クルトゥルシュ通りの名称を「タタヴラ通り」に、バイ・スングル通りの名称を「コンスタンティン通り」に、エルゲネコン通りの名称を「フラント・ディンク通り」に変更した。

■「我々は裁判を追い続けます」

HDPシシュリ区支部として会見を行った地区共同議長のフナブ・アルトゥン氏は、フラント・ディンク氏の8周忌であると述べ、「シシュリで倒れたあの歩道でフラントを起こすため、8年間風化させません。正義を追及しつづけます。過去8年、フラント・ディンク殺人・証拠の隠蔽、殺人犯の擁護、政府内の責任者が隠れ続けて、裁判の名の下で学芸会が行われ続けて歳月が経過しました。この裁判が政権争いの好機として利用されることを許しません。真の正義が機能するまで、全ての責任者が裁かれるまで、この裁判を追い続けます」と述べた。

■「1月19日、タクスィムからアゴス紙の前まで歩きます」

クルトゥルシュ地区の通りの名称が「人種差別的」だと主張するアルトゥン氏は、「エルゲネコン通りの名称をフラント・ディンク通りに変更するために始めた、[アルメニア人の強制移住開始の日とされる]4月24日まで続く署名活動をここに宣言します。ディンクを我々から奪った、あらゆる虐殺の基礎を築いた100年にわたる[その事実の]拒絶を終わらせるには、向き合わなければなりません。1月19日、13時半フラントを忘れないために、彼が倒れたあの通りで、タクスィムからアゴス紙の前まで歩きます」と述べた。会見の後、 団体はエルゲネコン通りの名称をフラント・ディンク通りに変更するためのキャンペーンを開始し、署名を集めた。

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( 翻訳者:小川まどか )
( 記事ID:36631 )