初の大統領議長による閣議開催
2015年01月20日付 Milliyet 紙


エルドアン大統領が議長となり招集された閣議において大統領府と政府の間で「柔軟な協力体制における活動」というテーマが第一のテーマとなった。

レジェプ・タイイプ・エルドアン大統領は、昨日ベシテペにある大統領官邸で閣議を招集し、トルコ政治史における初の試みを再び実現した。閣議において解決プロセス、パリでの襲撃ののちに、ムスリムに対して増加した差別主義と襲撃、「影の国家」との闘争、シリアとパレスチナの問題、最新の政治の展開が取り上げられた。

会議に国家情報機関(MİT)次官ハカン・フィンダン、軍警察の総司令部大将アブドゥッラー・アタイ、警察長官ジェラレッティン・レケシズも加わっ た。国家安全保障評議会(MGK)の広間で行われた閣議でエルドアン大統領の背後にアタテュルクの写真が掲げられていたことが注目された。通達された時間より1 時間半遅く始まった閣議が行われた広間へエルドアン大統領とダウトオール首相が連れ立ってきたことが注意を引いた。最初に1962年に第四代大統領ジェマル・ギュルセルが、最後には2000年5月12日に第九代スレイマン・デミレル大統領が議長を務めた閣議は、昨日15年後に今回はエルドアンが議長となって開催された。エルドアン大統領は、ベシテペにある大統領官邸での閣議を開催したことでトルコ政治史における初の試みを再び実現した。

■テーブルの頭に一人座った

国家安全保障評議会の広間で行われ11時に開始するという通達がされた会議は、一時間半の遅れとともに12時半ごろに始まった。エルドアン大統領とダウトオール首相は、広間に連れ立って入りそしてエルドアン大統領は大臣たちとそれぞれ握手を交わした。エルドアン大統領は、テーブルの頭に一人で座り、首相と閣僚のメンバーのテーブルの着席順はプロトコル・リストが基準となった。これによれば、ダウトオール首相は、エルドアン大統領の右手に座り、閣僚の二番手である副首相ビュレント・アルンチは、大統領の左手に座った。首相が議長を務める閣議におけるプロトコルの規則が保たれた。会議では副首相たちが向かい合って座ったことが見受けられた。ほかの大臣たちも各省におけるアルファベットの順序に従ってテーブルに座った。

■チャルの写真

大臣たちは、大統領官邸へ三番目の門をくぐって入場した。同じ広間で行われた国家安全保障会議ではエルドアン大統領の背後にアタテュルクの写真がなかったことが議論を呼んだ。

会議ではエルドアン大統領の後ろにアタテュルクの写真が掲げられていたことがメディアにシェアされた写真において注目された。この写真は[元のチャンカヤの]大統領官邸に掲げられていたアタテュルクの写真ではなかったことが見受けられた。大統領府筋の情報は、新しく掲げられたアタテュルクの写真が1963年にイブラヒム・チャル によって撮影されたものであると伝えた。会議では、解決プロセスとこれに関連してジズレで起こっている事件、パリでの襲撃ののちにムスリムに対して増加した差別主義そして襲撃、「影の組織」との闘争、シリアとパレスチナの問題、最新の政治の展開が取り上げられた。

エルドアン大統領は閣僚たちに会議の合間に昼食を提供した。会議は昼食ののち午後3時半に再開した。

■最後の議長はデミレル

エルドアン以前の大統領では、ジェマル・ギュルセル、ファフリ・コルテュルク、ケナン・エヴレン、トゥルグット・オザル、スレイマン・デミレルも閣議で議長を務めた。エルドアン大統領は、多党制が導入されてから閣議の議長を務めた6番目の大統領となった。第八代大統領トゥルグト・オザルは閣議で7回議長を務めた。第七代大統領ケナン・エヴレンは4度、第四代大統領ジェマル・ギュルセル、第六代大統領ファフリ・コルテュルク、第九代大統領スレイマン・デミレルは二回ずつそれぞれ自身が議長を務めた。

最後の閣議は、2000年5月12日に第九代大統領デミレルの就任期間終了まで4日を残して、大統領がお別れのためビュレント・エジェヴィト首相を訪問した直後に首相府の中央ビルで行われた。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:36639 )