イスラム国への反攻に祝賀一色―シリア国境レポート
2015年01月27日付 Radikal 紙


イスラム国(ISIS)のコバーニーからの一掃は、スルチに言うなれば祝賀ムードをもたらし、国境門での歓声は集会へと変わった。あるグループが国境に向かって行進しようとしたところ、軍が催涙ガスでグループに介入した。

134日後のコバーニーからのISIS完全撤退は、コバーニーと国境を挟むスルチで祝賀ムードを作り出した。何千人ものコバーニー市民がミュルシトプナル国境門に押し寄せた。国境で行われた集会には人民と民主主義党(HDP)所属の国会議員やアーティストらが参加した。集会会場からあるグループが国境に向かって進む と、軍が催涙ガスで介入した。

■120日間国境で見守っている

ISISの攻撃後、トルコ全土から何千もの人々がスルチに押し寄せ、コバーニーでの攻防を間近で見守っていた。そのうちの1人が63歳のハジュ・ゼキさんである。ハジュ・ゼキさんは、ISISの攻撃後に国境にやってきて、120日間スルチに留まりつづけた。コバーニーが人民防衛隊(YPG)の手に渡ったことを、次のように説明した。「自宅に電話しました。妻が電話をとり、私は妻に吉報を知らせました。コバーニーはもう自由になったと言ったら、妻は私に『家にはいつ帰ってくるの?』と聞きました。もう数日ここにいて、その後家に帰ろうと思います。近いうちに家族と一緒にコバーニーに移るつもりです。」

■コバーニーに戻る準備をしている

国境で待つコバーニー市民は喜んでいるとともに悲しんでもいる。コバーニーの中心地に住む人たちは、「家は壊されました。でもいいんです、また作ります」と話す。コバーニの村から来た人たちは、危険が完全に無くならないうちはコバーニーには戻れないと言っている。ISISの攻撃後スルチに移ってきたコバーニー市民のある家族は、「ISISが私たちの村を攻撃し、私たちは何もかも手放すはめになりました。4ヶ月間ずっとここで待っています。コバーニーはもう自由です。村からISISが一掃され、アッラーが許してくださるならば私たちは村に戻ります」と述べている。

■スルチ市民:友情を得た

ISISのコバーニーへの攻撃から最も影響を受けた都市はスルチである。スルチは攻撃の最中、何千世帯ものコバーニーの家族に住居を提供した。スルチの店主らは、「どこの国民でも関係ありません、戦争が起きたときは我々の門戸は誰にでも開かれています。友情を得ました」と述べた。スルチに勤務するある公務員はコバーニーからのISIS一掃を、次のように話している。「この戦争には東西関係ありません。この戦争はトルコ全土を揺るがしました。毎日家族は私に電話して情報を得ていました。最後には家族もやって来てここを実際に見ました。コバーニー解放には、私と同じくらい家族も喜びました。」

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( 翻訳者:安井 悠 )
( 記事ID:36730 )