武装強盗犯の最後の生き残り、処刑—「ゴルパーイェガーン事件」に幕(2)
2015年01月29日付 Jam-e Jam 紙

 3人の凶悪犯逮捕に向けた警察のオペレーションが行われる中、警察官らがゴルパーイェガーンの某地区で武装強盗犯らと交戦、その過程でモハンマド・ハーシュミー大佐とホセイン・サブーヒー徴集兵が殉教した。

 武装強盗犯の一人も、警察の銃撃によって殺害された。強盗らは続けて、一台の小型トラックを盗み、共犯者が死亡したことから、彼の遺体を窃盗現場に残して逃亡した。

 武装強盗犯らはその後、一台の日産車の強奪を計画、その過程でアーガーアリーという名の中年男性と、ミーラードという名の17歳になる彼の息子を銃撃して殺害し、ナジャフアーバードに向けて逃走した。強盗犯の1人の遺体の発見によって、彼の身元が特定、彼がフィールーズという名の前科持ちの容疑者であることが分かった。また警察は、彼と、マンスールとモハンマドという名の彼の2人の兄弟がエスファハーンやその他のいくつかの市で、8県の貴金属店強盗に関わり、逃走中であることも突き止めた。

 捜査の続きで、警察は2人の逃走犯のアジトがエスファハーンのフーラードシャフル市内にあることを特定、同所を包囲して彼らと交戦した結果、容疑者の1人を殺害し、マンスールという名の3人目の容疑者の逮捕に成功した。

 マンスールを刑事警察に連行すると、彼は次のように自供した。

われわれは殺された2人の兄弟と共謀して、1384年〔2005/06年〕から貴金属店への武装強盗を始め、この間、50キログラムの金を盗んだ。これらの強盗で5人を殺害し、11人に怪我を負わせた。われわれはゴルパーイェガーンに逃亡する際にも、5人を殺害した。

 反逆罪に問われた武装強盗犯の一件は、起訴状の発行によってエスファハーン州革命裁判所第1法廷に送られ、裁判官は彼に対し、公開処刑の判決を下した。この死刑囚の一件は最高裁判所の裁判官らの支持によって、エスファハーン州ゴルパーイェガーン県司法局の判決執行部に送られ、昨日彼はゴルパーイェガーンのカールギャル(労働者)広場にて、絞首刑に処された。

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( 翻訳者:8412105 )
( 記事ID:36823 )