新疆からカイセリへ―亡命ウイグル人ルポルタージュ
2015年02月05日付 Hurriyet 紙


 中国の統治下におかれている東トルキスタンから亡命し、イスタンブルへとやってきた500人のウイグル人たちは、およそ1ヶ月前からカイセリにある打ち捨てられた、破壊決定の下った警察の宿舎で住むことを余儀なくされている。

 亡命希望者である彼らウイグル人たちは、東トルキスタンからイスタンブルへとやってきた経緯を本紙に初めて語ってくれた。しかしながら、顔と名前は伏せることが条件であった。自分たちの名前や顔が知れてしまうと、中国統制下の中で暮らしている家族たちに被害が及ぶことを恐れているのだ。 それでは何千キロもの逃走の物語をみてみよう。

■1つの地区に2つの大きな旗

 カイセリのメリキガーズィ郡にあり、財務省に属するシェケル地区の一角の古く保守点検のない宿舎の中で2つの大きな旗がはためいている。一方は赤と白のトルコ 共和国国旗、そしてもう一方は青と白(空の旗とも言われる)東トルキスタンの旗である。ここはカイセリにおける第二のウイグル人地区だ。カイセリは中国から亡命してきたウイグル人たちを1950年代に初めて受け入れ、居住許可を与えた県である。今年のはじめに施行に入った、中国政府によって東トルキスタンにおける人々の信仰行為を違憲だとする是正により、ここ数ヶ月でウイグル人は再び大規模な移住を行いはじめた。ウイグル人たちが移住しようとする国として最初に名前が挙がるのがトルコだ。世界ウイグル会議副議長、そして東トルキスタン文化協会会長でもあるセイト・テュムテュルクは、先月中国から亡命する際にタイで367人が拘束され、そして身柄を拘束されずに無事トルコへと亡命することができた人々の一部分は政府の援助によってトルコへと到着し、さらには彼らが1ヶ月ほど前にカイセリに移り住んだ、と明らかにした。我々もすぐにカイセリへ向かい、彼らのもとを訪れた。

■仕事はなく、礼拝も禁止

 宿舎の新たな住人たちは、中国統制下の中で暮らす家族の身柄が拘束されることを恐れ、名前と顔を伏せることを条件として我々に取材の許可を出してくれた。90もの家族が暮らすこの建物は保守点検がないように感じられるが、建物の中は綺麗に装飾がなされている。3つ部屋のある家の広い客間で、数ヶ月前にやってきており、トルコ語を話すことができる人が新しくやってきたウイグル人たちを我々に紹介してくれた。彼らの多くは肉屋か料理人である。アクスやカシュガルといった様々な都市からやってきている。また、家族とともにやってきた者もいた。遅れてやってくるであろう家族を心配する者も多い。どうして中国を離れたのか、という問いに「東トルキスタンでは多くの問題がありました。我々のやっていたお店では、手作りの商品やハラール食品などを売ることは許されていなかったのです。仕事がほとんどない状況でした。礼拝をすることも禁止されています。スカーフを被っている女性のスカーフを無理やり外そうとする者もいました。警察はいつも『お前は政府を倒そうとしているんだろう!』といって、我々を監視下に置いています。子どもたちにも我々の習慣や伝統を教えられないのです」と答えてくれた。

■5000ドルからはじまる

 しかしながら中国を離れることは楽なことではなかった。東トルキスタンからどのようにしてトルコへやってきたかを、次のように説明してくれた。「パスポートのためだけに5万〜10万ドルの賄賂が必要です。また、賄賂を渡したところで必ずパスポートがもらえるという確証はありません。もらえたとしてもトルコへ来ることは大変なのです。トルコがビザを発行したとしても中国が人々を外に出させないようにしているのです。このため、東トルキスタンでまず250ドル払い、トラックの後ろの部分に肉体労働者のふりをして中国沿岸の都市まで向かいます。そして運転手はそこの警察に賄賂を渡します。そして国境で、タイやカンボジアなどの近隣の国々へ移ろうとする逃亡者たちは密輸業者と手を結びます。彼らは5千〜1万ドルのお金と引き換えに森や山中を徒歩或いはラバに乗ってマレーシアへと向かいます。その距離はおよそ15〜20日間かかり、中には命を落とす者もいます。マレーシアからイスタンブルへは政府の援助によって飛行機でやってきたといいます。しかしながら今後同じように逃亡を試みようとする家族もいるため、彼らはこれ以上このルートについては話そうとしませんでした。」

■終着点は兄弟のトルコ

 ヨーロッパへ亡命するためにトルコを中継地として利用する多くの亡命者とは対照的に、ウイグル人にとってトルコは終着点である。彼らはその理由を「トルコ以外に我々を受け入れてくれる場所はない」と述べている。「例えばサウジアラビアは、滞在許可証がないと受け入れてくれず、中国に送還するんです。トルコはもっとも親しい兄弟国として我々を受け入れてくれます。イスタンブルに到着した後、彼らは空港で我々の写真を貼付けた書類を渡してくれます。その書類で我々は滞在許可証を申請しているのです。」しかしながらイスタンブルに着いた後は自分たちを守ってくれないことに関して不満を漏らす者もいる。カイセリにやってきたのはそのためだ。「しばらく親戚の家でお世話になったのですが、一つの家に3〜4の家族が同居していたのです。これは我々の信仰にとってふさわしいことではありませんでした。東トルキスタン文化協会に申請をして、彼らの仲介によってカイセリに来ることとなったのです。」

彼らは現在カイセリで生活していることに大変満足している。大きな家に住み、「プライベート」の問題は解消された。最大の支援者はカイセリ・ユルキュ・オジャクラルという組織であり、その書記長であるミュジダト・シャーヒン氏は頻繁にウイグル人たちの暮らす宿舎を訪れ、彼らの要求に耳を傾けている。また、彼らはカイセリという場所のホスピタリティにも満足している。「神が彼らを嘉しますように、カイセリは素晴らしいです。私たちの故郷の状況は酷いものでした。今では一日に五回ちゃんと時間通りに礼拝をすることができています」というのが彼らの声だ。また、カイセリにてウイグルレストランを開くことも考えている。次の学期からは彼らの子どもたちも学校に通いはじめることになっている。

■亡命できない者もいた

 昨年の3月に中国からマレーシアへの逃亡をはかる中、タイ南部にて拘束された360人のウイグル人たちは現在、移民刑務所に拘留されている。世界ウイグル会議副議長、そして同時に東トルキスタン文化協会会長のセイト・テュムテュルク氏は、拘留されているウイグル人たちを昨年訪問し、中国に送還された場合は処刑や或いは終身刑となるであろうと述べている。テュムテュルク氏は中国から亡命したウイグル人のために初めて手を差し伸べたのがトルコであることを明らかにし、「中国によってタイ政府に強い圧力がかかっており、この件における緊張は、残念ながら我々の兄弟がトルコへやってくることを阻害しているのです。100人を越える女性や子どもからなる360人もの難民たちは、今バンコクやハートヤイ地方の刑務所で拘束されている。タイ政府に我々の兄弟を自由にし、トルコへと送り届けるよう望んでいます。トルコはこの件に関して全力を注いでいます」と話した。

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( 翻訳者:三井景介 )
( 記事ID:36825 )