メルスィン女子大生殺人事件の被害者母親、公正な裁きを
2015年02月16日付 Radikal 紙


トルコは、この2日間オズゲジャン・アスランさん殺人事件の衝撃を受けている。友達と食事をして家に戻るために乗った公共交通機関であるミニバスで誘拐され、性的暴行を受け抵抗したところを殺害されたオズゲジャンさんの身にふりかかったことは、人々の怒りに火をつけた。オズゲジャンさんの身に起きた残虐な行為とともに、年々増加している女性への性的暴行と暴力にも反発を示す何千人もの女性と男性が昨日各地でデモを行った。しかし、この事件で最も傷ついているのは、この若い女性の両親であることは間違いない。
母親のソンギュル・アスランさんは、自分の子供を昨日自身の手で埋葬することの辛さを実感している。ソンギュル・アスランさんは、葬儀の後にミッリイェト紙のブルジュ・カラカシュのインタビューに答えた。
ブルジュ・カラカシュさんについての記事は以下の通りである。

自分の子供がちょっとでも傷つけられても、大きな怒りを覚えるのに、子供が焼かれたという知らせを受けた父母にかける言葉はない。直後、お悔やみの言葉を受け耐え忍ぶようにと言われても、それが何になるのだろうか?タルススの家に戻った時、性的暴行を受けて殺されたオズゲジャン・アスランさんのために家の前に作られた弔問用のテントの前に私たちはいた。母のソンギュル・アスランさんは、端に座っていた。何も質問する必要もなく、自分で語り始めた。
「彼女のカバンの中に催涙ガスが入っているのは知っていた。3人の男にドアを閉められたらどうやってカバンから取り出せるのか。夫が二人の娘に買った。彼女たちは大学に通っていた。自分の身に何かあった時は使用するようにと」。
父のメフメト・アスランさんは、テントにはいなかった。体調不良で病院に運ばれた。私たちが話していた時に、電話が鳴った。電話をかけてきたのは首相のアフメト・ダウトオールである。ソンギュルさんは、首相にもう一度説明した。

■このような運命はあってはいけない。

「極刑を。2、3年服役して出所させないでほしい。私の娘は、正直で、健全で、学校に通っていた娘だった。純粋で清廉な娘だった。公正な判決を」。電話を終えると、伏し目がちに、はっきりとした言葉で話し始めた。「すぐに伺いますと言っています。自分の娘に対する侮辱の様だと言った。犯人たちは極刑となるだろうと言った。写真の顔から明らかである。あなたの娘はとても純粋で清廉な女性であると言ってくれている。神よ天罰を、どうやって娘を殺したか・・・考えるだけで狂いそうになる。かわいい娘、神はなんという試練をお与えになったのか。なんという運命。このような運命があってはいけない」。
首相からの電話の少し前にレジェプ・タイイプ・エルドアン大統領からも家族に電話があった。ソンギュルさんは、娘を暴行して殺害した容疑者たちが、それ相当の罰に処されないのではと、とても恐れている。生まれも育ちもメルスィンであるオズゲジャンさんは、1995年に生まれた。誕生日は10月22日である。オズゲジャンは、大学で心理学学科を希望し合格した。母のソンギュルさんは、働いていた物流会社を昨年退職した。母は、チャー大学に学費の半額の奨学金を得て入学した娘の残りの学費を支払うために再度働き始めた。

■神のご加護を。

「娘は、好きな仕事で成功したいと言っていた。『わかった。娘よ。私が働いて学費を稼ぐ』と私は言った。年金で学費を払い、私の稼ぎで生活していた。子供のために頑張ってきた。娘たちには、勉強して私のようにならないように願っていた。娘は『ホテルで仕事を見つけてお母さんを助ける。夏にはキプロスで働く』と言っていたが、どれもかなわなかった。神は、彼女に何という痛みを・・・」。オズゲジャンさんは、髪を染めたがっていた。「試してみよう、このままじゃなくて」と言って娘と一緒に染めた。ソンギュルさんは、もはや憔悴しきっている。私たちが去る時に言った最後の言葉が脳裏を離れない、「あなたに神のご加護を」

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:36925 )