巨匠ヤシャル・ケマル、死去―歴史的なその日に…
2015年02月28日付 Radikal紙


ここしばらくの間病院で治療を受けていたベテラン作家、ヤシャル・ケマルが亡くなった。クルド問題に一生を捧げた作家は、クルド問題解決プロセスにおける歴史的な日にこの世を去った。

トルコの大作家、ヤシャル・ケマルが、治療を受けていた病院で亡くなった。2015年1月14日、呼吸困難のためにイスタンブル大学チャパ医学部病院に搬送されたヤシャル・ケマルは、集中治療室で治療を受けていた。人工呼吸器をつけていたケマル氏は、多臓器不全を起こしていた。ケマル氏は、治療を受け始めてから1か月半後、92歳でこの世を去った。

作家ヤシャル・ケマルが死去すると、政治家達は病院へ向かい、ケマル氏の家族や近しい人々を弔問した。最初に病院を訪れたオメル・チェリキ文化観光大臣、 共和人民党(CHP)のギュルセル・テキン副党首、CHP所属のシャファク・パヴェイ国会議員らは、ケマル氏の妻及び近しい人々へお悔みを述べた。

■今日16時46分、彼を失った

イスタンブル大学イスタンブル医学部病院のメフメト・アキフ・カラン院長は、ヤシャル・ケマルの死に関する発表を行い、ケマル氏の疾患が最期には徐々に悪化していたと話した。カラン院長は、「ヤシャル・ケマルさんが本日16時46分に永眠され、彼を失いました。ご存知の通り、肝臓の病気がございました。これに加え、感染症によって引き起こされた多臓器不全の状態が問題でした。当院の集中治療室で1月14日以降、これらに対して治療を受けておられました。多臓器不全と言いますのは、呼吸器系、循環器系、心臓、血管、腎臓、その他複数の臓器に影響が及んでいたということです。この過程で、毎日お伝えしておりましたように、人工呼吸器やその他の治療が行われました。しかしながら、徐々に発生していった疾患が原因となり、本日2月28日16時46分、彼を失いました。故人のご冥福をお祈りいたします。ご家族様、近しい方々、ファンの皆様、トルコ全土へ、哀悼の意を表します」と述べた。

■話をしている間、医師の手を離さず

次に話し始めたヤシャル・ケマルの妻であるアイシェ・セミハ・ババンさんは、熟練の作家が40日以上の間、病院で治療を受けていたと話した。ババンさんは、新聞記者達へ会見を行う間、何度か感傷的になる時があった。話をしている間、ヤシャル・ケマルの治療を担当していた、集中治療室のリュトフュ・テルジ 医師の手を握っていたババンさんは、「みなさまにお悔やみ申し上げます。当初から、メディアが大きな関心と好意、敬意を持って見守ってくださったことは非常に喜ばしく、何よりもみなさんの仕事仲間であったヤシャル・ケマルが大変誇りに感じるであろうことです。私は今日ここに、ただお礼を申し上げるだけのた めにおります。40日以上に及ぶイスタンブル大学医学部でのこれ以上ないほどの最良の心遣い、愛情、敬意をもって見送りました。本当にありがとうございます」と話した。

■チェリキ氏:「トルコと人類は今日欠けてしまった」

病院を訪れ、ヤシャル・ケマルの家族へお悔みを述べたオメル・チェリキ文化観光大臣は、「トルコは大変大きな功績のある人物を失いました。トルコと人類は今日失ったのです。ヤシャル・ケマルさんは我が国共通の価値であり、アナトリアの力強い声でした。この病のプロセスの全体の中で、トルコ全土が大きな敬意と祈りとで、彼に対する尊敬と敬意を示しました。彼の偉大さを説明する必要はありません。彼の偉大さは、生涯を通して彼に示された敬意がなにより明らかな形で表しています。この病気の間中、トルコ全体の目がここに注がれていました。家族に寄り添おうとしました。必要な心遣いを示そうとしました。あらゆる人の耳目がここにありました」と話した。

■「我々はトルコと人類の偉大な功績者を失った」

チェリキ大臣は、ヤシャル・ケマルがトルコにとって重要な功績ある人物であったことを強調し、「彼の親愛なる友人たちはずっと傍にいました。あなた方は、 関心と愛情を示してくれました。我々は、トルコにとっても人類にとっても偉大な功績者を失いました。本当に、この辛苦は非常に大きなものです。アッラーのお恵みがありますよう」と述べた。チェリキ大臣は、さらにヤシャル・ケマルの葬儀が2日月曜日に営まれることを明らかにした。

■トルコにお悔やみ

その後に話を始めたCHPのギュルセル・テキン副党首は、「お悔やみ申し上げます。世界は非常に偉大な功績者を失いました。ヤシャル・ケマルのような人物はそう簡単に現れません。トルコに、そして世界にお悔やみを。本当に大切な人物でした」と述べた。

■44年来の親友を亡くした

芸術家のズュルフュ・リヴァネリ氏は、ヤシャル・ケマルが亡くなった後、彼の家族にお悔みを言うためにイスタンブル大学医学部病院を訪れた。リヴァネリ氏は、44年来の親友を亡くしたと述べ、彼はトルコが分裂しないよう、自身の意見を堅持する姿勢を示していたと話した。

ケマルが亡くなった後、家族へお悔みを言おうとファンが病院へ押し寄せた。病院を訪れた著名な芸術家、ズュルフュ・リヴァネリ氏は、ヤシャル・ケマルの妻アイシェ・セミハ・ババンさんにお悔みを述べた。出口で会見を行ったリヴァネリ氏は、世界の報道機関も大きな関心を持っていると話した。リヴァネリ氏は、「私は今日44年来の親友を亡くしました。最も近しい友人を亡くしました。しかし同時に、トルコのみならず、人類は偉大な人物を失ったのです。ヤシャル・ケマルは、簡単に出会えるような、簡単に育つような人間ではありませんでした。彼の小説と芸術とによって、世界中で、そして自国で大いに認められていました。しかし、ただ小説家としてだけではありません、ヤシャル・ケマルのその人生もです。生涯を通して、この国が分裂しないように、この国がより素晴らしい日々を迎えるように、この国で搾取が起きないように、労働・労働者、平和・友愛を支持する立場を堅持していく姿勢を示していました」と話した。

リヴァネリ氏は、ヤシャル・ケマルの人生には一点の染みもなかったと言い、次のように述べた。「この姿勢についても全く妥協しませんでした。彼が最もよく考えていたのは、最期の日、最期の瞬間まで、トルコのこと、トルコの人々のことでした。ですから、みなさんにお悔やみ申し上げます。世界のあらゆるところからメッセージが届いています。ニューヨークタイムズをはじめとして、世界中の報道機関があなた方のように関心を示しています。『インジェ・メメド』が出版されて60年になります。60年間トルコに何が起きようと、『インジェ・メメド』とヤシャル・ケマルは自身の考えを守りました。これから60年経っても、私たちの子ども達・孫達はそれを読み続けるでしょう。1つの時代が幕を下ろしましたが、本を通じて生き続けていくことでしょう」。

■ヤシャル・ケマルの妻、アイシェ・セミハ・ババンさんが病院から出発

ヤシャル・ケマルが亡くなった後、病院で弔問客を迎えたアイシェ・セミハ・ババンさんは、近しい人々によって自家用車に乗せられ、病院を離れた。

■ヤシャル・ケマルとは?

ヤシャル・ケマルは、1923年オスマニイェ県のギョクチェダム村に生まれた。
トルコ文学第一人者の1人。最初の短編小説集『サル・スジャク』に収録されている「ベベキ」と、最初の長編小説『インジェ・メメド』が、共和国紙で連載された。『インジェ・メメド』は、約40の言語に翻訳・出版され、書籍の海外における出版は140回を超える。
ヤシャル・ケマルは非常に多くの作品で、アナトリアの伝説や民話を利用していた。国際ペンクラブの会員。ノーベル文学賞にノミネートされた最初のトルコ人作家。

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(翻訳者:粕川葵)
(記事ID:37024)