AKPとエルドアン(主義)、分岐点か
2015年03月27日付 Zaman 紙


公正発展党(AKP)とエルドアン(主義)の方向性が分かれている。そもそもエルドアンは、党を自らの指導下に置くと決めた日、この分岐は始まった。その後行われた数々の選挙での大勝利は、エルドアンの個人的な考えが、ある種のイデオロギーに換わり、エルドアン主義が台頭する原因となった。このように、分離の最初の段階は、AKP精神からのエルドアンの分離であった。分岐の二番目の段階が起こっている現在では、両者の関係の側面は、AKPからエルドアン主義への転換である。この段階でAKPは、エルドアン主義という荷を捨てることによる痛みのシグナルを発している。

■分岐の根底にあるもの

そもそも、不正捜査やゲズィ公園運動とその後見られた反発、AKPが徐々に幹部の構成を変え、この幹部のメンバー、殆ど全員が問題のある人物、といったここ二年で生じた事件は、この分岐を深める一方で、他方遅らせもした。深刻化した、その原因は、AKP がそれやこれやのこの種の荷を下ろすような仕組みや基盤を持っていないことだ。問題に関する情報がひろく広がるにつれ、こうした問題が快く思われず、そして時とともにこの類の問題を手を染めた人物たちが[幹部として]求められないことが明らかであるため、エルドアン(主義者)は、彼ら自身が退場する代わりに、党を支配し、[政権の座についた]2002年の精神に近い人びとを排除する路を選んだ。この過程で党は、完全にエルドアン(主義者)によって支配され、そのために、根本的な分岐ではないもの、調和しているかのように見えたのも本当ではない。なぜなら、AKPのエルドアン主義のバージョンが、息の長いものではないことは明白であるからだ。

これには二つ理由がある。一つ目は、エルドアン主義の基本的な特質である緊張ある政治は、継続可能なものではないということだ。中央銀行にここ最近挑んで生じたこの種の政治的態度が、経済危機を引き起こす可能性はとても高い。エルドアン主義が支配する内政で経済危機が起きるのは、時間の問題だ。他方、2002年[の政権獲得時]に党は社会の全層との政治的連合を求めたが、現在連合先をクーデターとテロを軸にしたものに求めている。AKPの党の存立基盤として敵対的性質をもつこうしたグループとの連合は、決して長く続くことはない。残念なことに、エルドアン主義者は、エルドアン主義を(不可避のものとして)この連合の上に作り上げようとして大きな間違いを犯している。

二つ目に、エルドアン主義者たちは、この外部的諸要因を統制化に置いたとしても、長期間党を支配する状況にはない。なぜなら、彼らは、大統領制を望んで大統領府に移る一方、戦略的なミスを犯し、現行制度の中で政治の中心を担う政府を、エルドアン主義の従順な信奉者の代わりに、2002年の精神へもっと近い者たちへ引き渡したからだ。そうではなく、彼らは、トルコの制度の基本を、少なくとも彼らが追いかけるロシアに似た構造へ変えて、組閣すべきだったのだ。

■分岐は避けられない

他方、分裂を深めた事件は、同時に分裂も妨げた。これに関し、二つの基本的原因を挙げることができる。一点目は、党内の多くの人物がこの過程で分裂がいかなる対価を生むかがよくわかっていたからである。このため、いいタイミングを待つことが、もっと合理的であった。二点目は、日を追うごとに攻撃的な方法に訴えるエルドアン主義者の攻撃の手は、党外の勢力に対して使わう手法を、党内でも抑圧の手段として用いることに躊躇しない。このようにして、全体の力を失うということを懸念し、脅迫と恐喝を用いて進める攻撃的な政治は、分裂をゆっくりとしたものとしたが、時が来ればこれが避けられない状態にもなった。

今日、そしてもう少し先に、AKPがエルドアン主義をもっと多く抱える理由は全く見つからない。逆に、もしAKPがトルコの過去同様に未来に方向性を与えたいのであれば、2002年の精神に戻るべきだ。このためにも、内部の問題を取り除いて、ことを始めるべきだ。なぜなら、AKPの最大の問題は、党自体の内部から来ており、これもエルドアン主義がつくっているからだ。エルドアン主義は、AKPの2002年の精神から離れ、現在この当初の精神の代わりに、政党の方向性とパフォーマンスを、誤った方向へ進めている。疑いなくエルドアンの政治的姿勢は、2002年から2008年の間でトルコにとって重要な物事を成功することを可能にした。しかし、この成功は、構造的な問題から救うことをもたらした一方、慢性的な問題の一つを別の形で生むことになった。成功した政治家は、再び神聖化され、犯しがたい高みにある偶像へと変わり、エルドアン主義は今日の段階に行き着いた。現在、「退け!カリフが来るぞ」との人びとの発言は、この言葉が内包する危険という点から過小評価されるべきではない。

この国は、過去これに似たものを数多く見ており、どのような結果に耐えることになるかを何度も経験した。エルドアン主義が今日とる性質は、別に議論を要するテーマである。しかし、AKPと祖国の安全におけるその影響力は、明らかな機能不全を示している。エルドアン主義は、明らかに私的な崇拝、犯しがたい極端な、でも不要な言説のうえに築かれている。しかしながら、AKPの成功は、こういった崇拝や言説に基づいていない。逆に、AKP政府はこの種の極端な主張を含まない、非常に単純なチームワークでトルコ史上最も輝かしい時代の一つに名を記すことに成功した。

結果的に、AKPが直面する問題は明らかだ。エルドアン主義の荷を空にして、2002年の精神に戻りつつ、途半ばから新たな成功を通じてトルコのために希望を約束する政党で有り続けるか、もしくは政党自体が完全にエルドアン主義に換わり、古いトルコ像の新たな形として定義しうる新しいトルコの下で、過去同様に残骸の山に転じるかである。そもそも、現在生じている震動は、この決断を下す段階で被る痛みの現れである。

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( 翻訳者:矢加部真怜 )
( 記事ID:37205 )