文化省の検閲で上演会延期
2015年04月12日付 Radikal 紙


映画祭で上映される外国映画が検閲から外される一方、トルコ映画は文化省の「申請登録」規則のために、「検閲」の足枷をはめられている。「検閲」という規則の最近の犠牲者となったのは、チャヤン・デミレルとエルトゥール・マーヴィオールのトルコにあるキャンプのPKKメンバーに話を聞いたドキュメンタリー「北」であった。

チャヤン・デミレルとエルトゥールル・マーヴィオールの、トルコにあるキャンプのPKKメンバーを初めて描き、話を聞いたドキュメンタリー作品「北」は、第34回イスタンブル映画祭の出品作品として今日16時からアトラスシネマで上映される予定であったがキャンセルされた。理由として示されたのは、文化省の「映画の評価と分類に関する方法と原則についての規則」であった。なぜならこの規則の15条は、映画祭において上映されるトルコ国内で撮影された映画に申請登録証明書の取得を義務付けているからだ。約5、6年前にこの規則が施行された時に映画製作関係者たちは、これが文化省によって「検閲」として利用されるだろうとした。同省関係者はというと、検閲ではない、単なる申請登録であると説明した。しかし「北」を例として明らかにわかるように、映画製作関係者たちの検閲ではないかという不安は最終的に正しかった。

さて、規則がこのようであるなら、映画祭での全てのトルコ映画作品が「登録申請」の証明書を得て上映されたのか。もちろんそうではない。一般的に、映画祭では、この規則を思い出させて、申請登録の証明書を必要とするが、「省が指摘しない限り」、例の登録証明書がない映画も上映している。イスタンブル映画祭の発表からわかるように、文化省映画総局は、例の「北」のような映画があると映画祭に書簡を送って、必要に応じて「検閲者」として利用する規則を想起させるのだ。

そこで、この警告にもかかわらず、映画祭が「北」を上映していたらどうなっていたか。警察が上映前に映画館に来て、通報があったと言って登録申請証明書を求めるかも知れないし、証明書がないとわかると、上映会を中止にするかも知れない。映画祭の主催者が、警察が映画館に踏み込んでくることを良しとせずこのような決定を下したのは、明らかである。実際、映画祭について我々と話した関係者は、「私たちが検閲者であったならば、初めからこの映画をプログラムに入れなかっただろう」という意見を述べている。

映画祭が行った公式発表では、「登録申請」証明書を得た状態で「北」が上映されることが述べられ、本来の問題が規則にあることが強調されている。「外国映画はこの規則を適用されていない。イスタンブル映画祭として外国映画に認められた免除を、トルコ映画のためにも適用する必要があると考えている。イスタンブル映画祭は、現在まで上映される予定のトルコ映画にも、規則が外国映画に認めている例外が適用されるよう交渉を続けているし、今後も続けていく。しかし、すでにこの規則による映画祭にノミネートされた映画を上映するための申請登録証明書の取得義務は継続しているため、映画祭で上映される他のトルコ映画もこの証明書を得る必要がある。」

映画祭で外国映画に対する検閲の免除は、1990年代初頭にイスタンブル映画祭で起こった検閲問題の後に、その年の審査員だったカイセリにルーツをもつ偉大なアメリカ人監督エリア・カザンのリーダーシップで行われた抗議デモの後に出された規則によって保障された。抗議のすぐ後に出された規則は、映画祭で上映される外国映画の検閲義務を撤廃した。どんな問題が起こったとしても、県の芸術活動委員会から承認を得ていなければ、責任は映画祭の主催者にある。
今後のビジョンは明らかである。外国の映画の免除がトルコ映画にも適用される必要がある。そうでなければ、規則にある「検閲の手」はさらに厳しくなる可能性がある。

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:37298 )