エルドアン大統領からアルメニア教会へ「悲しみを共有」メッセージ
2015年04月25日付 Milliyet 紙


強制移住命令が下された後、1915年に亡くなった人々を追悼し、クムカプにある聖母マリア教会でアルメニア総主教座による式典が行われた。この追悼式典にメッセージを送ったエルドアン大統領は、過去に生じた悲しみを「真摯に共有」していると述べた。

1915年の事件から100年、トルコ・アルメニア主教座で開かれた追悼式典では初めてのことがたくさんあった。初めて公式に参加が実現したEU担当相で首席交渉官のヴォルカン・ボズクル氏もこの式典を見守った。式典にメッセージを送ったレジェプ・タイイプ・エルドアン大統領は「私たちはアルメニア社会が過去に経験した悲しい出来事を知っており、苦しみを真摯に共有していることを改めてお伝えします」と述べた。

■鳩が放たれた

1915年4月24日にイスタンブルで著名なアルメニア人記者や作家、医者、芸術家を含む知識人たちが逮捕されたために、1915年の事件の始まりとされるこの日に行われたいくつかの追悼式典の一つが、アルメニア総主教座によってクムカプ・聖母マリア教会で開かれた。この追悼プログラムにはEU担当相で首席交渉官 のヴォルカン・ボズクル氏が教会の特別な招待客のために設けられたスペースで参加した一方、ヴァルソロメオス・コンスタンティノープル全地総主教やトルコ・ユダヤ・ラビ長のイスハク・ハレヴァ氏、アメリカの在イスタンブル総領事のチャールズ・ハンター氏の他、多くの外国人使節が参加した。イスタンブル県から体調不良のイスタンブル・アルメニア総主教メスロプ・ムタフィヤン氏の代わりに任命されたトルコ・アルメニア総主教代理のアラム・アテシヤン氏が執り行った式典では、平和と兄弟愛が強調され、式典の最後に子供たちが平和の鳩を飛ばした。アテシヤン氏は式典の終わりに1915年の事件で亡くなった人々を追悼する談話で、 「トルコのアルメニア人はこの国に欠かせない、忠実な構成要素だ。国民としての責任を良く理解している。報復主義的アプローチには意味がない」と述べた。アテシヤン氏はチャナッカレの戦いから100周年についても触れ、「心からの祈りをチャナッカレの戦いで亡くなったオスマン軍の兵士たちの安らかな魂の眠りのためにも捧げます」と述べた。式典のために教会を訪れた人々は「アーメン」と言ってこの祈りに参加した。アテシヤン氏の話の後、レジェプ・タイイプ・エルドアン大統領が 送ったメッセージがタトゥル・アヌシュヤン修道院長によって読み上げられた。エルドアン大統領のメッセージは下記の通りだ。
「私たちは100年前に私たちの共通の祖国を侵略するために世界中から来た人々の子孫でも、今戦争を妬み、平和と友愛を高めるために、チャナッカレで心からもてなせる文化を持っている。私たちはアルメニア社会が過去に経験した悲しい出来事を知っており、苦しみを真摯に共有していることを改めてお伝えします。世界 中にいるオスマン朝のアルメニア人の子孫たちに、私たちは完全に心を開いていると知っていただきたい。皆さんに心からのご挨拶を申し上げ、敬意を表します」
アルメニア総主教座の主催でクムカプ聖母マリア教会において「スプ・バダラク(ミサ)」の式典が行われた。式典にはEU担当相で主席交渉官のヴォルカン・ボズクル氏も参加した。

■「光栄です」

EU担当相で主席交渉官のヴォルカン・ボズクル氏は教会を出る際に行った会見で次のように語った。
「式典に参加できて非常に光栄です。私たちは1915年の事件よりも、1870年から1920年までの第一次世界大戦の悲惨な時代を調査したいと考えています。そうすることで歴史を共有することができるようになるでしょう。共通で公正な記憶が現れるでしょう。私たちはアルメニア人の兄弟が経験した苦しみに敬意を払っています。」
またタトゥル・アヌシュヤン修道院長はボズクル氏の参加について「私たちの苦しみを共有していすることを非常に重要視している」と話した。

■涙が溢れた

イスタンブルの様々な地区から多くのアルメニア人が式典に参加する一方、クムカプと教会周辺では朝早くから大規模な安全対策がとられた。式典に来た人たちの一部は祈りが読み上げられる際に感極まり、涙を流した。ミサの祈りはイスタンブル教会合唱団のメンバーによって歌い上げられた。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:37379 )