CHP支持の日本人、「CHPは人々の間におりるべきとき」
2015年04月27日付 Cumhuriyet 紙


23年間トルコで暮らしている日本人のスミ・マサキは、「共和人民党(CHP)はもはや検討すべきで、そして人々のもとに降りなければならない」と言っている。

スミ・マサキは、23年間トルコで生活している日本人である。しかし彼は既に私たちの一員である。ファーティフ・スルタン・メフメト橋を建設する際に通訳としてトルコに渡った。橋の工事が終わった後、今度はアダパザルのトヨタ工場で働き始めた。昨年、定年を迎えた。私は彼を信愛なる友人であるヤズギュル・ アルドアンの紹介で知り合った。彼はヤズギュルとはメール友達である。ヤズギュルに送った最近の話題に関する彼のメールを読むと、マサキ・スミとは対談をしなければならないと考えた。政治と最近の話題に関する考え、評価はトルコの平均的な知識人以上に地に足がついている。ユーモアセンスもかなりのものだ。自身を 「社会保障機構(SSK)の定年退職者、世俗主義者でありCHP支持の日本人」と紹介する。

来る6月7日の総選挙に関して不安がある。第一には、CHPが十分に市井の人々の所まで降りることができないこと、他には「いや、放っておけ」という人と「それが運命なら引き下がろう」というように思っている人がいるということである。

■政治は好き

*あなたはご自身の考え方をどのように認識していますか。私たちがメールを読んだ限り、あなたは社会民主主義的な立場の人であると思います。日本でもあなたの考え方というのはそのようだったのでしょうか?

日本では右派や左派といった区別がありません。たとえば、日本では共産党がありますが、たとえ政権についたところで、何かが変わるわけではありません。システムがすっかり出来てしまっていて、政党によっていきなり変化するということはありません。一般市民もこうした変化を感じもしていない。私は27歳まで日本で生活していました。トルコに来てから、さまざまな事件と政党の姿勢を観ました。そのとき自分は左派であると考えました。しかし特に左派でなければならない、というようにも思ってはいません。テレビでニュースとそれに対するコメントを見たとき、新聞を読んだとき、 CHPの考えがより正しく、妥当と感じています。つまりCHPが左派だとすれば、私も左派であるという意味ですね。

*あなたはご自身のメールで「終生CHP支持者といったことはありませんが、CHP支持者です」といっていましたね。つまりはいつでも降りる用意ができている、とおっしゃりたいのでしょうか。

彼らが変化しない限り私も変わりませんが、彼らが変われば、CHPを支持する理由はありません。今も選挙権があれば、CHPへ投票しています。

*「ハルクTVを観たときには、CHPが政権の座につくという印象を受けました。でも私が暮らす地区にあるキョフテ屋にはこうした雰囲気はありません」とおっしゃっています。

そうです。巷には違った雰囲気があります。でもハルクTVを観ると、今回は本当に公正発展党(AKP)は政権から落ちる、といえます。

*他のメールでは「公正発展党には誰も投票しないといわれているが、AKPは50パーセントの票を獲得した、ではこの票はだれが入れたのか」と問いかけていますね。

■村のような場所

はい、私の周りで、AKPに票を入れたという人は少なくともいません。私はイズミットにある村のような場所に住んでいます。本当にキョセキョイ村のような場所 です。そこでは皆羊などを飼っています。そこに暮らしている人を見るとAKPに投票する理由が分かります。タイイプ・エルドアンは、彼らにとってわかりやすい言葉で話をします。

*AKPがこの選挙で大統領制を実現できるほどの議席を獲得できるのでしょうか?

少し難しいように思われますが、それでも最も票を得るように思われます。

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( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:37405 )