Taha Akyol コラム:大統領制
2015年05月08日付 Hurriyet 紙

アフメト・ダヴトオール首相は、党集会の場で全く大統領制に言及していない。

正しいことをしている。首相の地位を取り除くシステムを首相が擁護することは、矛盾になる。学問的な彼の思考は矛盾を認めない。ならば、なぜ選挙マニフェストへ、(首相は)「自分の手で書いた」と言いながら(大統領制を)載せたのだろうか?
エルドアン大統領が強く要求したからなのは明らかだ。大臣の中に、大統領制を熱心に擁護する者がいるのを読者の皆様は見ただろうか?大統領制はタイイプ・エルドアン大統領によって議題に上げられたことである。世論にも一定のレベルで影響しているのは明らかだ。

■エルドアンの影響

トルコ経済政策研究財団(TEPAV)のデータによると、行政権は首相と閣僚が有するべきだと考える者の割合は2012年には65%だった一方、2015年には 57%に下がった。種々の権限が大統領にあることを望んだ者の割合は、16%から19%に上昇した。アリ・チャルコール教授とその仲間たちによる最近の調査によると、大統領制を支持する者の割合はトルコ全体で27%、AKP支持層では43%である。タイイプ・エルドアン大統領がAKP支持層に大きな影響を与えていることもこれらの数字から見て取れる。

チャルコール教授の調査におけるあるデータは、政治文化の分析の観点から非常に重要である。「国会を解散して選挙を廃し、容易で迅速な決定を下せる一人の元首による国の統治」という選択を、「一部」もしくは「完全に」肯定的に捉える人の割合はトルコ全体で27.5%である一方、AKP支持層では47%となった。国会の解散と選挙の廃止に言及されずに聞かれていれば、この割合はもっと高くなるかもしれなかった。

■システムを変えること

高度な権限を持つ「大統領」と言って思い浮かぶ名前が、エルドアン大統領ではなく、アフメト・ネジュデト・セゼル第10代大統領であれば、これらの割合はもっと変わりうるし、更には真逆になりえた。制度化があまり行われていない社会では、個人が、システムよりも、組織よりも、さらには法の原則よりも影響力を持てるのだ!

スルタン制の時代を引きずるのはやめるべきだ、一党時代の時期もこうであったし、今でもかなりの部分でこうである。100年にわたる我々の民主主義への試みの真っただ中にいるこの長い段階において、個人がそのカリスマ性をもってシステムを変えることは、トルコをシステムの混乱に陥れかねない。この代わりに、伝統的で広く文化が根付いた議員制度を改善するマインドが必要である。
大統領制はトルコで深刻な「移行の問題」と組織間の衝突を生み出すだろう。とりわけ、大統領制はプロパガンダがなされているように「早く決断を下そう。迅速なパフォーマンスを行おう」と言って計画されれば、間違いと事故の可能性は非常に高まるだろう!

■監視とバランス

AKPの13年もの政権で、権力が抑制され、慎重に注意深く用いられてきた最初の時期は、開発と外交で大変成功した。トルコはその当時「模範的な国」であった。
その後、増長した権力志向が最初期の慎重さや注意深さに取って代わった。中央銀行の失墜、「包括法」や「困らせるような数々の法」はこの時期のシンボルであった。「包括法」のメカニズムが間違いであることはダヴトオール首相も述べている。民主主義において「いい運転手」は継続的に加速してスピードを出す者ではなく、「きまりを守る運転手」である。民主主義における「監視とバランス」は権威主義にブレーキをかけるためだけでなく、間違いを防ぐためにも非常に重要である。
同じ理由から憲法も、得票率がどうであろうと一つの政党によってではなく、幅広い合意のもとに作られるべきだ。国民も、選挙で一つの党に憲法作成の権限を与えることはないだろうと考えられている。また別の機会に、ド・ゴール将軍がフランスで新憲法の制定と制度変革を79%の賛成票をもってどのように行ったかを説明しようと思う。

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( 翻訳者:矢加部真怜 )
( 記事ID:37462 )