ゲズィ抗議から2年、あの人たちはいまどこで?
2015年05月30日付 Hurriyet 紙


共和国の歴史の中で、恐らく最大の暴動であった。全ては、2年前の今日5月30日、伐採されようとする公園の木々をあきらめようとしなかった若者たちの反乱から始まった。10人が亡くなり、8163人が怪我を負った。催涙ガスやTOMA(放水車)からの水を顔にかけられたにもかかわらず、闘争を続けた。ダンスをし、ピアノを弾いた。時には、ただ本を読むことで警察に屈しなかった。ゲズィ運動から2周年にあたり、ゲズィ運動のシンボルである人物を訪ねた。今、どこで何をしているのか、あの時のことをどのように考えているかを尋ねた。

■赤い服の女性:(警官は)3年の禁固刑を求刑されており、判決は6月10日に

赤いワンピースを着て、トートバックを持ったこの若い女性は、ゲズィ運動の最初のシンボルの一人である。ジェイダ・スングルさんは、イスタンブル工科大学建築学部で研究員をしている。スングルさんへ催涙ガスをかけた警察官には、1年から3年の禁固刑が求刑されており、6月10日に判決が下されるのが待たれている。私たちが電話で取材したところ、スングルさんはゲズィ運動の頃のように一貫して沈黙を守っている。「裁判やゲズィ運動に関してどんなことも述べたくない」と述べた。

■警察へ本を読んだ青年:「今日ゲズィ運動が起こったら、また参加する」

警察へ本を読んで「抵抗した」若者の写真は、あの頃のソーシャルメディアで「不釣り合いなほど賢い行動だ」というコメントとともに拡散された。大変話題になったこの行動をしたシェフリバン・カラブルトさんは、ゲズィ運動の後、EUのあるプロジェクトのためにスペインへ渡った。スペインでは8か月間、囚人とホームレスのために行われた芸術活動に従事した。「イスタンブルへ帰った後は、少し混乱した。タクスィムを通り過ぎる時はいつも、誰かから暴力を振るわれるかもしれないという恐怖があった」と語る。生体医学機器工学学科を卒業したカラブルトさんは、カバクコユでドレッドヘアーをつくり、服を縫って生計を立てている。同氏は、「今日ゲズィ運動が起こったら、また参加する。しかし、個人としてだ。スペインから帰った後、組織へは属さないと決めた。全てのものにヒエラルキーがある。それが気に入らない」と述べた。

■ガスマスクをつけたセマゼン:ダンスワークショップのためにトルコへ来る

ウィーンで暮らすダンサーのズィヤ・アザズィさんが、ゲズィ公園で顔にガスマスクをつけて行ったダンスは、外国メディアでも頻繁に使われた。アザズィさんは、「スーフィズムの重要な行いである『旋回舞踊』を自分なりに解釈して踊り続けている。ゲズィ運動は、我がトルコが宗教や言葉、民族、階級の違いに関係なく一つになれることを示した。この共闘がもう一度実を結ぶことを望んでいる」と述べた。6月4日から6日までトルコに滞在し、カドゥキョイのシャーマン・アートスタジオでワークショップを行う。

■黒い服の女性:交換留学生で、国へ帰った

TOMAが発射した水に「立ち向かった」ケイト・カレンさん―黒い服の女性―は、あの頃コチ大学で学んでいた。交換留学制度でトルコへ来ていたカレンさんは、事件の少し後に母国であるオーストラリアへ帰った。彼女は、シンボルとなった写真に関してBBCに対し以下のように語った。「デモの平和性を強調するために、TOMAの前に立った。あの時は、彼らが水を発射すると思ってもいなかったが、発射したとしても写真は素晴らしくなるだろうとも考えていた。」

■立ち止まる男:「ゲズィ運動を思い出す意味はないかもしれない」

エルデム・ギュンドゥズ氏が「静止して」行ったデモの後、トルコのあらゆる地域で何千人もの人が同じ形で抗議行動をした。ダンスの授業を行っている芸術家のエルデム・ギュンドゥズさんは、「以前の私が何者であれ、今もそのままの私だ。疲弊や絶望があるにも関わらず。私は、指導者たちではなく、若者を信じている。しかし、人間らしい生活の権利からほど遠い生活を続ける中で、ゲズィ運動を思い出す意味はないかもしれない」と述べた。

■モスクでビールを飲んだと疑われた若者:「自分の国にいられなくなった」

「逃げ込んだモスクでビールを飲んだ」というニュースの当事者であるエムレ・オズテュルクさんだが、モスクで撮られた写真で手に持っている「コーラの缶」が、「ビールの缶」に変えられていた。美容師のオズテュルクさんは圧力を受け、一時期イラクで暮らした。現在は、キプロスで生活している。オズテュルクさんは、「リンチから何とか逃れた。自分の国にいられなくなった。裁判の判決が出たら、帰国を望んでいる。私たちは、あの頃、何と闘っていたのだろうか。今は名前をつけられない」と述べた。

■アザーン詠者のフアト・ユルドゥルムさん:アラブ・モスクで働いている

デモの際、診療所として使われたドルマバフチェのベズミ―・アーレム・ヴァーリデ・スルタン・モスクでデモ参加者が飲酒したと告発された。これを否定したアザーン詠者のフアト・ユルドゥルムさんは、事件の後、勤務地を変えられた。ユルドゥルムさんは、現在ベイオールのアラブ・モスクで働いている。この件に関して、詳細に語ることを拒否し、「この話題になると、問題が起こる」と述べた。

■ピアノを押収されたピアニスト:弾き続けている

ドイツ人ピアニストのダヴィデ・マルテッロさんは、タクスィム広場でピアノを弾いてデモ参加者を支援した。これに対応した警察は、マルテッロのピアノを一時押収した。世界を周り、街の中心でピアノを弾き続けるマルテッロさんは、最近はデトロイトにいた。

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( 翻訳者:白尾みさき )
( 記事ID:37686 )