エーゲ海地方の選挙結果は、こう読める
2015年06月11日付 Hurriyet 紙


エーゲ海地方のイズミルを除く7つの県における(イズミルの選挙結果は、選挙分析シリーズの中の「3大都市」の部分で評価された)選挙結果はAKP(公正発展党)が敗北し、MHP(民族主義者行動党)が勝利し、CHP(共和人民党)とHDP(国民の民主主義党)は躍進したという見方を提示している。

AKPは地域全土で異なる割合で票を失った。この票の減少はAKPが地域にある5県(ウシャク、マニサ、デニズリ、アイドゥン、キュタヒヤ)で一人ずつ国会議員を失う原因となった。CHPのこの地域における得票は2011年と比べて控えめな増加となった。2つの県(ウシャクとキュタヒヤ)だけは4年前の得票数と比べ、約2000票下回った。他の県で現職の国会議員数を保持したCHPはデニズリ及びアイドゥンで躍進し、議員数を一人ずつ増加させた。キュタヒヤからは今回も議員は選出されなかった。MHPは7つの県で得票数を伸ばした(アイドゥンのみ得票率が0.17%落ちたが得票数は約6500票増えた)。結果的に7つの県で国会議員を選出することに成功した。ウシャクでの得票率を10%増やしたMHPは、一人の議員枠をAKPから奪った。HDPはというと「トルコ市民化運動」に投票所から「支持」が見られた。HDPはイズミルから国会へ行った二名の議員の他にエーゲ海地域で議席は得られなかったが、得票数を増やすことに成功した。

■彼はいなくてすんだ

ウシャクで6月7日にAKPが最も得票を集めたが、選挙の勝者はMHPとなった。AKPが議席を一つMHPに奪われた同県では、得票率を約2%下げたCHPも一議席を獲得した。選挙で最も注目を浴びた候補者のうちの一人であり、11月10日に新聞に出した「彼(アタテュルク)がいなくとも、我々は大丈夫だった」という広告によって反感を買った室内装飾業のエユップ・ギョクハン・オゼキン氏に有権者は熱い目を向けなかった。3期連続で、ウシャクから2名の国会議員を出したAKPは今回第2位の候補者、オゼキン氏が選出されなかったことによって血の気を失った。前期に49.85%の得票率を得たAKPはこの選挙で38.31%に得票率を落とした。AKPが第二位候補に選び、党員が「輸入候補」と述べた、アンカラ在住のエユップ・ギョクハン・オゼキン氏が人々の関心を集めなかったことも、選挙結果に影響した要因の一つとして挙げられた。この選挙で得票率を28.23%に下げたCHPは、前回の選挙と比べて約1000票失った。前回の選挙で国会議員一名を出したCHPは再び一議席を獲得して選挙を終えた。

■MHPは彼によって成し遂げた

MHPが票を伸ばしたことにおいて元中央銀行長官のドゥルムシュ・ユルマズ氏が影響を与えた。ユルマズ氏は経済における施策に関する発言でタイイプ・エルドアン大統領と意見の相違があったことにより話題となり、16年にわたり一議席も得られなかったMHPの議席獲得の悲願を叶えた。前回の選挙で 16.38%の票を獲得したMHPは、今回、得票率を27.65%にまで伸ばした。ユルマズ氏がウシャク出身であること、選挙期間外でも人々とのつながりを築いたことが他の候補者より熱狂的に迎えられることの理由となった。これも投票に反映していた。

■票を確保し、議員らはAKPへ

アフヨンカラヒサルの議員構成は前回の選挙と比べ変化はなかった。AKPは三名、MHPとCHPは各一名ずつ国会議員を出した。しかしAKPが林業治水相のヴェイセル・エロール氏を故郷アフヨンカラヒサルの代わりにイズミル2区の第一位候補者に選んだことは得票数の減少における重要な要因とされている。2011年の選挙の際、60.42%だったAKPの得票率は今回の選挙で52.69%に後退した。AKPは約3万票失っても国会議員数は変わらなかった。一位候補のハリル・ウルン氏以外の候補者が党の組織や世論によって知られていなかったことが票の減少の原因だった。AKPが失った票のほとんどがMHPに流れた。
前回の選挙で7万9千票を得たMHPは二人目の当選者は出せなかったものの得票数を10万9千票に伸ばした。この観点から選挙の勝者はMHPであると評価された。CHPの選挙結果はというと前回の選挙結果とほとんど変わらなかった。2011年の選挙の際、7万票に近い票を得たCHPは今回の選挙での票を7万3千票に近づけた。国家主義的で保守的な構造でもって知られるアフヨンカラヒサルで選挙において注目を浴びた党はHDPとなった。大統領選挙でセラハッティン・デミルタシュ氏に5474票が投じられたアフヨンカラヒサルで、HDPは今回の選挙で4607票獲得した。

■AKPとCHPからMHPへ流れる

キュタヒヤでは選挙結果に驚くべきことは起こらなかった。AKP三名、MHP一名の国会議員が選出された。キュタヒヤで2011年の選挙の際、五名いた国会議員数が人口減少に伴い、四名に減った。前回の選挙ではキュタヒヤで四つの議席をAKPが、一つの議席をMHPが獲得した。今回の選挙で定数を削減されたキュタヒヤで、AKPが議席を失った。AKPは2015年6月7日の選挙で得票数が減ったのに対し、定数4のうち三議席を獲得し、残りの一議席は再選を果たしたMHPのアリム・ウシュク氏が獲得した。キュタヒヤでの議席獲得を期待していたCHPの票はというと2011年の選挙と比べて約半数に減った。望んでいた票を得られなかったCHPはキュタヒヤで国会議員を出せなかった。キュタヒヤでAKPの得票率が10ポイント下がった一方、MHPの得票率はほぼ10ポイント上昇した。AKPから流れた票はMHPへ行ったが、県の定数削減はこの党の獲得議席数が再び一つとなる要因となった。AKP及びCHPで得票数が下がったことにおける最大の要因は国会議員候補者として示された人々であった。党の支持者は、実施されたアンケート調査及び傾向調査にもかかわらず、党本部が決定した人物を候補者にすることに反感を示した。AKPとCHPの支持者の一部は候補者の順位への反発として票をMHPに入れた。 

■オレンジの社会福祉行政が差異を生む

アイドゥンではAKPが二議席を獲得した。CHPは三名だった議員数を第25期で四名に増やし、県で第一党となった。CHPのオズレム・チェルチオール氏は、地方選挙で広域市に移行したアイドゥンで43%の得票率でもって広域市市長に選ばれ、行った社会福祉行政で党を強化させ、国会議員数の増加において一役かった。総選挙の前日、この冬生産者が出荷していないオレンジを買い、市民に無料で配り、生産者も消費者も喜ばせたチェルチオール氏は、過去にも広域市で購入した65台の公共交通バスを諸郡に配り、紹介する目的でもって一定期間無料運行を実施した。チェルチオール氏はこの行動により評価された。チェルチオール氏が行った社会福祉行政の取り組みが総選挙に反映された。CHPが2011年に獲得した24万票は約3万票増やして27万1千票に達した。CHPが票を増やしたことにおいて、農家にディーゼル油を1リットル1.5リラで提供するという公約の影響があったと述べられた。AKPはというとこの選挙で惨敗した。国会議員数が三名から二名に下がった。MHPは再び一名国会議員を出した。AKPはアイドゥンの東部出身の有権者らの関心を引くためシャンルウルファ県選出の国会議員、ゼイネプ・カラハン・ウスル氏を候補者に選んだが、力を尽くしたにも関わらず、選出されなかった。

■勝つも負けるも「候補者」から

ムーラでは前回の選挙同様にCHP三名、AKP二名、MHP一名の国会議員が選出された。東部出身の有権者らの支持を集め、HDPは得票数を3万票に増やした。2011年に17万3千票得たAKPは今回得票を15万2千票に落とし、意気消沈した。AKPのムーラ第一位候補のハサン・オズイェル氏(観光業)フェトヒェで第二位候補のハサン・キョクテン氏(建築業)がミラスで人々の支持を集められなかったことが党の票の落ち込みにおいて最大の要因になったことが明らかにされている。MHPは前回の選挙と比べて得票数を増やした。CHPの得票率は落ちたものの得票数は増えた。AKPの一部の票は MHPに流れた。CHPで第一位候補として当選した弁護士のアクン・ウストゥンダー氏と現職のヌッレッティン・デミル議員とオメル・スハ議員の積極的な活動が党の成功に役割を果たした。

■AKPの郊外における票をHDPが奪った

マニサで各党は自信をもって選挙に臨んだが、どこも「勝者」にはならなかった。トルコ大国民議会に国会議員を送った三つの党においても喜びは感じられなかった。AKPが四議席、CHPが三議席、MHPが二議席に甘んじた。2011年に十名の国会議員を選出したマニサでAKPから五名、CHPから三名、そしてMHPから二名の国会議員が国会に行った。選挙の前、AKPがマニサで五議席獲得を目標にしていたのに対し、CHPとMHPは第一党になることを表明していた。AKPはトルコ全土であったようにマニサでも票を失った。プレ選挙を行ったCHPで現職の国会議員のうちサキネ・オズ氏は第六位に、ハサン・オレン 氏は第八位に落ちた。2011年に特別割り当て枠で当選したオズギュル・オゼル氏は、プレ選挙で一位となり、CHPの票を増やした。MHPは2011年における地方選挙で得票を35万4千票に伸ばし、ジェンギズ・エルギュン氏がマニサ広域市長に当選したが、今回の得票は21万3千票にとどまった。マニサから四議席獲得を期待していたMHP党員たちは、二議席しか獲得できなかったことに失望した。一議席も獲得できなかったにもかかわらず、HDPは選挙結果に満足した。以前郊外で第一党となったAKPの全得票数をほぼHDPが獲得した。マニサにおける結果に「生産物が高く売れないこと、生産者が借金をしていること、中小商工業者が仕事に喜びを感じていないこと、政権の疲弊、東部の諸県からの移住」が影響を及ぼした。

■デニズリの雄鶏は、今回はCHPのために鳴いた

デニズリでの選挙の勝者は得票率を31.23%から34.98%に伸ばしたCHPとなった。CHPは更に国会議員数をもう一名増やした。AKPとの間にある票差をかなり狭めた。MHPとHDPはというと得票率は低かったが、その数字を伸ばしたために総選挙で利益を得た党となった。選挙の敗者は AKPとなった…得票率を7ポイント落としたAKPは一名の国会議員を失った。経済相のニハト・ゼイベクジ氏の激しい選挙キャンペーン、政府と大部分がAKPよりの地方自治体の厚い支援、選挙の一週間前に発表された月々250リラの分割払いで提供される25000戸住宅プロジェクトにも関わらずAKPはデニズリで望んでいた結果を得られなかった。2011年総選挙にデニズリでAKPの46.62%あった得票率は39.83%に落ち込んだ。CHPは得票数を31.23%から 34.98%に、MHPは16.93%から18.19%に伸ばした。2011年の選挙で無所属の候補者でもって約5千票を得て、大統領選挙ではセラハッティン・デミルタシュ氏が18680票を集めたHDPは、今回24711票を得た。HDPは得票率を3.86%に伸ばした。

デニズリで結果に影響を及ぼした諸要因:
解決プロセスが国家主義者層に生み出した反感。
工業都市であるデニズリでCHPが最低賃金を1500リラとし、年金生活者に2度の賞与の支給を約束したこと。
広域市法により、すべての郡を広域市が管轄するデニズリで特に諸郡で水、下水道サービスにおける不満や、住民税及び種々の料金が過度に引き上げられたこと。
12月17~25日の捜査によって4人の大臣の贈収賄事件が弾劾裁判にかけられなかったこと。
そしてAKPが傾向調査を実施し、市民社会団体の意見をまとめたにも関わらず、候補者リストの、特に当選確実となる順位で変更が行われなかったこと、そして2011年と同じ候補者で選挙に臨んだこと。
これらが得票の減少に影響を与えたと述べられている。

CHPで第一位候補者のメリケ・バスマジュ氏と第三位候補者のギュリザル・ビチェル・カラジャ氏はデニズリで2人の女性国会議員となった。

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( 翻訳者:満生紗希子 )
( 記事ID:37795 )