Ezgi Basaranコラム:ディヤルバクル自爆テロのつきつける恐ろしい現実
2015年06月16日付 Radikal 紙

これは、ひとつの国家にとって大きな安全上の欠陥であり、巨大な怠慢の一例である、もし、我々の政府は、怠慢ではないというのであれば、我々にはさらに大きな問題がある。

2015年6月5日に、HDPのディヤルバクル集会において悲劇的な爆発があった。

4人が命を落とし、100人以上が負傷した。

犯人は誰か?IS(イスラム国)出身の一人:O.G

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さぁ、この情報を間近に見てみよう。そうすることで、本当に責任があるのは誰であるのかということを、またこれから起こり得る攻撃のメカニズムを理解することができるであろう。

2013年。日は9月29日のこと。ラディカル紙記者のイディリス・エメンの記事を我々は見出しにした。

イディリスは、更に後に賞を受賞したこのニュースにおいて、ジハード戦士になるために、アドゥヤマンから、シリアに行った4人の若者について言及した。
その全員の名前は明らかにされており、家族とレポルタージュが行われた。

4人の若者のうちの一人は帰ってきて、精神的なトラウマのために、アダナにおいて治療を受けた。

残りの3人のうちの二人は、双子の兄弟だった: Ö.D. とM.G.D.

Ö.D.はシリアで残った。

しかしながら、M.G.D.は、シリアに滞在するため、そこで結婚させられて、一人の子供を授かったのにも関わらず、アドゥヤマンに戻った。シリア人の妻と子供と共に。

年は2014年だった。誰も、M.G.D.を追跡せず、彼についての取り調べが行われることもなかった。

あなたは、いったいM.G.Dが何をしたのか、と問うだろうか?彼のような4人の若者を組織化してISに参加するために説得を行ったのだ。

そして、その若者のうちの一人であったのが、O.Gであったのだ。ディヤルバクル駅の広場で行われたミーティングにおいて、爆弾を置いたクルド系アレヴィーの若者である。

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これだけで終わるわけではない。イディリス・エメンは、先週に、アドゥヤマンに行って、O.Gの家族と会った。そして身の毛のよだつような闘争の物語を昨日、記したのである。

これによれば、O.Gの家族は、息子たちがISに参加するであろう、ということを理解しつつ、2014年10月13日に、警察に通報した。警察は、O.Gを取調べ、解放した。O.Gが突然、行方不明となると、家族は再び警察に届け出を出した。息子を連れ戻そうとアクチャカレに行った。さらに、AKPの定期党大会のために、アドゥヤマンにやってきたアフメト・ダウトオール首相に接触さえしたのだ。
「三家族が、ダウトオール首相と面会することにしました。12月には、家内は首相と面会して、息子を連れ戻すことが出来るようにと協力を求めました。家内とさらに二人の女性が、ダウトオール首相と面会しました。面会の後、再び我々の証言が取られました。ダウトオール首相と面会してから3-4か月後には、警察は息子がISへ参加したという情報を与えたのです」と言って父親は説明する。

その結果は?

あの爆弾が爆発した。何百人もの人間が命を落とす可能性があった。

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さぁ、もう一度振り返ってみよう。アドゥヤマンからシリアへ、若者がジハード戦士となるために行ってしまった。私たちは何度も報道をしている。その名前も、リストにして知っている。私たちが知っていることを政府が知らないということなどあるだろうか?

もし知っているのであれば、2013年にシリアに行ってしまってから、2014年に戻ってきたM.G.Dを追跡しないことなどあるのか?彼の動向を追わないということがあるのか?O.Gのような他の若者たちがISに加わるために組織化されているということが、見落とされることなどあるのか?

これは、ひとつの国家にとって大きな安全上の欠陥であり、巨大な怠慢の一例である、もし、我々の政府は、怠慢ではないというのであれば、我々にはさらに大きな問題があるある。

もし我々の政府が、怠慢ではない、あらゆることを監視下に置いているというのであれば、この私が時系列に説明したことによって、もはや私にできることはない。

この事件は、「ディヤルバクルにおいて、爆弾をISの一人の若者が爆発させた。犯人は見つかっている」といってやり過ごすことが出来ないほど重要である。

更には、私たちにとって最も重要な問題である。このことへ注意を断ち切られてしまわないために、さらに血塗られたテロが必要だというのか?

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( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:37859 )