スレイマン・デミレル国葬で見送られる
2015年06月19日付 Radikal 紙


トルコ政治史の半世紀にわたり活躍した第9代共和国大統領スレイマン・デミレル氏が、最後の旅路を見送られた。

デミレル氏のための最初の葬儀は、ギュニズ通り沿いにある自宅前で行われた。ここでの葬儀の後、次はトルコ大国民議会(TBMM)において国葬が執り行われた。デミレル氏の遺体はその後葬列者に伴われて、コジャテペ・モスクに運ばれた。葬儀で目を引いたのは、デミレル氏の代名詞となったフェルト製の帽子が棺の上に置かれていたことだ。

金曜礼拝の後に捧げられた追悼礼拝を終え、エセンボア空港に運ばれたデミレル氏の遺体は、軍用貨物機に載せられて故郷であるウスパルタへと見送られた。

エルドアン大統領はデミレル氏の家族や親近者らにジェスチャーで、大統領府専用のTUR政府専用機をウスパルタへ向かわせることを示した。

第9代共和国大統領である故スレイマン・デミレル氏の遺体を載せ、2機のジェットエンジンを積んだ飛行機はウスパルタに降り立った。


■最初の葬儀はギュニズ通りで

第9代共和国大統領故スレイマン・デミレル氏のため最初の葬儀は、ギュニズ通り沿いにある自宅前で行われた。ギュヴェン病院から引き取られたデミレル氏の遺体は、葬列者に伴われてギュニズ通り沿いの自宅前まで運ばれた。トルコ国旗に包まれたデミレル氏の遺体は、「テクビル(唯一なる神)」とともに庭園に安置された。遺体がギュニズ通りに運ばれる前、庭園にはバラの水が撒かれ、そしてデミレル氏の棺の上にもバラの花びらや葉っぱが飾られた。棺の前には兵士らによってデミレル氏の遺影や、授与メダルや記章といった彼にまつわるものが飾られた。祈りが捧げられた後、デミレル氏の遺体は国葬のためTBMMへと運ばれた。

■TBMMで国葬が執り行われた

第9代共和国大統領故スレイマン・デミレル氏を悼み、TBMMで国葬が執り行われた。トルコ大国民議会で行われたこの国葬の中で、エルドアン大統領はデミレル氏の家族の大切な一員である故人を奉り、謹んでお悔やみ申し上げると述べ、以下のように話した。「永遠の旅路を前に、今ここに来てくださった第9代共和国大統領故スレイマン・デミレル氏に対し、今一度神のご加護をお祈り申し上げます。ご家族をはじめ、彼を愛したすべての人々、そして国民の皆さんがどうか清らかな気持ちで彼を見送ってくださることを改めて望みます。」

■エルドアン大統領「デミレル氏は国民と強い絆で結ばれていた」

スレイマン・デミレル氏が、半世紀にわたって政治や統治のあらゆる場面で我が国に価値あるものを提供してくれたと述べたエルドアン大統領は、デミレル氏がトルコの輝かしい日々だけでなく暗い日々をもその目で見つめた生き証人であったと話した。エルドアン大統領は、スレイマン・デミレル氏があらゆる観点から独特な政治家であったと述べた。スレイマン・デミレル氏がウスパルタのイスラムキョイ出身であることを常に忘れず、むしろその真逆でこの個性を様々な機会で誇りにしていたこと、そしてこの個性が同時に国民との最大級の強い絆となっていたと話した。

■「政界に残り続けることは、それほど容易なものではない」

エルドアン大統領は、さらに以下のように話した。「政治とこれほど長い年月関わり続けた人物は他にはいないでしょう。この分野で活躍し、留まり続けることはそれほど容易なものではありません。国民に支持されることは簡単なことではありません。国民の心の中に居場所を得ずして、これほどの成功を手にすることなど不可能です。そのためにも国民と同じ言葉で話し、同じ感情を共有することが不可欠です。デミレル氏は、こうしたすべての特性を兼ね備え、こうした政治スタイルの象徴となった人物でした。その名がブランドにもなったかの政治家の記憶に敬意を示すことは、彼のように考えない人々でさえも全うすべき義務なのです。」

■「国民皆さんにお悔やみ申し上げる」

国内で赴いた多くの場所で、デミレル氏やその支援者らの足跡に遭遇したと話したエルドアン大統領は、さらに以下のように続けた。「イスラムキョイに彼自身が建設した博物館や、ギュニズ通り沿いの自宅も、次の世代に彼のこと伝え、彼の記憶を留める遺産となるでしょう。特に彼の資料はほぼ公文書となっており、ギュニズ通りでも次世代の若者たちや国民のみなさんに公共サービスとして提供される未来や、政治に関心を寄せる若者たちにとって道を開くためのきっかけとなることを信じています。今一度、ご家族や彼を愛したすべての人々、そして国民の皆さんにお悔やみを申し上げます。神よ、どうか彼にご慈悲を。すべてのご家族に改めてお悔やみ申し上げるとともに、私個人と国民の名の下にご冥福をお祈り申し上げます。」

■シェヴケト・デミレル氏が葬儀で家族を代表して弔辞を述べた

スレイマン・デミレル氏の弟であるシェヴケト・デミレル氏も、葬儀で家族を代表し弔辞を述べた。シェヴケト・デミレル氏は、遺体の登録簿によれば引き取り主は自分であるが、今は兄の遺体を国家が受け入れてくれていると述べ、こうした観点から国家や彼を代表する組織に感謝の意を伝えた。1972年にイスラムキョイで父親の死を村人たちが聞くと、彼らは「ああ、山が崩された」という言葉で痛みと損失を表現したと話したシェヴケト・デミレル氏は、以下のように述べた。「父の死から43年を経て亡くなった彼の息子である第9代共和国大統領スレイマン・デミレルの死を聞いた村人や職人らは、『ああ、民主主義と繁栄の泉を失った』とこぼしていた。」シェヴケト・デミレル氏は、さらに以下のように続けた。「本当に、民主主義の原則によって打ち立てられた基礎は、今日非常に素晴らしく、且つ実りの多い段階まで到達しました。好き嫌いに関係なく、スレイマン・デミレルは社会の教育や衛生、公正、芸術、農業といった基幹部分のすべてに手を貸し、すべてに特効薬を与えました。おそらく、デミレルはこの大規模な葬儀でその目を開こうと努力していることでしょう。デミレルに、ここにいるデミレルを愛した人々に、そして国家が受け入れてくれたことに私はとても幸せです。彼の魂よ、どうか清らかであれ。私も家族として、大きな痛みを感じています。すべての国家と、すべての国民の痛みは、みなの痛みです。ただ聖メヴラーナは『私にとって最大のお祝い事の日は、私が死んだ日だ』と言いました。泣き喚き、不平をこぼしたりせず、まっすぐ自分の足で立ち、メヴラーナがそうであったように信仰心と静かな涙をもってしてデミレルを永遠の休息へと送り出しましょう。デミレルはこれからも国民の胸の中に生き続けます。魂よ、健やかなれ、デミレル。」

■デミレル氏の遺体はコジャテペ・モスクに

TBMMでの国葬の後、軍事式典班によって砲架に載せられたスレイマン・デミレル氏のトルコ国旗に包まれた遺体は、葬列者に伴われてコジャテペ・モスクへと運ばれた。

葬儀の間、モスクやその周辺には広域安全対策が敷かれ、警察のヘリコプターも監視飛行を行った。

式典班の肩に載せられた棺台で運ばれたデミレル氏の遺体の前では、故スレイマン・デミレル氏の弟であるシェヴケト・デミレル氏の息子とCHPイスタンブル県出のイルハン・ケスィジ国会議員がお悔やみを受け入れていた。デミレル氏の家族がいる場所でも、デミレル氏の主治医であったアイリン・ジェスル医師や他の家族らのそれぞれにお悔やみが捧げられた。

葬儀前に、デミレル氏の弟であるシェヴケト・デミレル氏も車で葬儀会場に送り届けられた。体調の問題によりしばらくの間車の中で待機させられていたデミレル氏は、その後兄の棺が置かれた場所へ送られた。

追悼の礼拝はメフメト・ヌリ・ユルマズ氏が執り行った。

追悼礼拝が始まる前に会場に到着したレジェプ・タイイプ・エルドアン大統領や、第11代共和国大統領のアブドゥッラー・ギュル氏、ジェミル・チチェキTBMM議長、アフメト・ダヴトオール首相、そして一部の閣僚らは金曜礼拝を彼らのために分けられた場所で行った。

メフメト・ギョルメズ宗務庁長官が金曜礼拝を行った後、葬儀の参列者らはスレイマン・デミレル氏の遺体の後ろに一列に並んだ。

メフメト・ヌーリ・ユルマズ元宗務庁長官が、デミレル氏との友情や妻であるナズミイェ・デミレルさんからの追悼礼拝の依頼を受け、スレイマン・デミレル氏の追悼礼拝を執り行いたいと望んだことを、メフメト・ギョルメズ宗務庁長官に伝えていたことがわかった。この要望が正当であるとされ、デミレル氏の追悼礼拝はユルマズ氏が行うこととなった。

コジャテペ・モスクの庭園は、デミレル氏の最後の旅立ちを見送るために集まった人々によって満たされた。レジェプ・タイイプ・エルドアン大統領や、ジェミル・チチェキTBMM議長、アフメト・ダヴトオール首相、ネジデト・オゼル最高司令官、アブドゥッラー・ギュル第11代共和国大統領、ビュレント・アルンチ副首相、そしてその他一部の閣僚、またムスタファ・アクンジュ北キプロス・トルコ共和国大統領やデルヴィシュ・エロール元北キプロス・トルコ共和国大統領、軍司令官ら、ケマル・クルチダルオールCHP党首、デヴレト・バフチェリMHP党首、デニズ・バイカル元CHP党首、そして元首相らの内タンス・チルレル氏もこの葬儀に参列した。

■エセンボアに運ばれた

何千人もの市民が参列した礼拝の後、デミレル氏の遺体は霊柩車に載せられてエセンボア空港に運ばれた。軍用機へ移されたデミレル氏の遺体は、最後の旅路を見送られながらウスパルタへと旅立った。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:37906 )