イラン国民、「聖なる防衛」の殉教者たちに対し後世に語り継がれる別れを告げる(4)
2015年06月17日付 Jam-e Jam 紙

ガージャール朝ならびにパフラヴィー朝の外交が復活するようなことはない

 同氏はさらに、次のように指摘した。

「聖なる防衛」のすべての戦士たちに代わって宣言する、われわれの高潔さを悪用することなど、誰にもできない、と。もし将来、イラン国民の怒りが沸点に達するようなことになれば、お前たちは歴史的な後悔を味わうことになるだろう。〔かつてイラン・イラク〕戦争で味わったように、だ。

イラン国民のメッセージ、それはわれわれがガージャール朝時代やパフラヴィー朝時代をこの国で再び繰り返すようなことはない、ということである。ガージャール朝やパフラヴィー朝の外交政策がこの国で復活するようなことはない。300年間の停滞と〔西洋への〕従属、そして〔領土の〕分解を、われわれは克服してきたのだ。

われわれは誰とも戦争したりはしないが、しかしわれわれが言っているのは、お前たちは道理にかなったイラン国民の主張に耳を傾けるべきだということである。われわれは国際的な原則に基づいた〔ウラン〕濃縮活動を求めている。われわれは核爆弾を、戦争を追い求めているのではない。われわれが追い求めているのは、われわれ自身の進歩である。そしてあの手を縛られ〔て殉教し〕た我らが潜水兵たちがお前たちに言っているのは、たとえ我らの手が縛られようとも、たとえお前たちが我らを銃殺刑に処そうとも、われわれが暴力や過大な要求に屈するようなことはない、ということである。

 このとき、バハーレスターンにいた群衆らは鬨の声を上げ、「我らは屈辱から無縁なり」と叫んだ。

 体制公益判別評議会の書記はさらに、

まさにこの場から、われわれは世界に宣言する、われわれは〔世界の〕諸国民と人間の権利を求めているのであり、国益を守りつつ安全と平和を追求しているのだ、と。われわれは地域にいる侵略者たちと対決しようとしている。イスラエルにはじまり、サウジアラビアにいたる侵略者たちと。われわれは今日、安全の旗を高く掲げて、侵略とテロリズムは終わりにしなければならないと表明しているのである。ヒズボッラー勢力〔=神の大義のために戦う人々〕はこの国で戦争を起こそうとしているなどと言うべきではない。われわれが追い求めているのは、平和と安全だからである。

しかし、たとえ〔殉教した潜水兵のように〕われわれの手が縛られていなくとも、われわれの名誉が踏みにじられ、われわれの膝が屈せられるような状態を、われわれは望まない。最高指導者の指導とヴェラーヤテ・ファギーフ(法学者の監督)がこの国にある限り、そして殉教精神がこの国にある限り、誰もイスラーム的イランを攻撃することなどできないということを、世界は肝に銘ずるべきだ。

 と述べた。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:MSK )
( 記事ID:37980 )