日本人はどうしてトルコが好きなのか
2015年06月28日付 Hurriyet紙
表参道メフテルパレード
表参道メフテルパレード

バルシュ・マンチョのコンサートがもっとも盛り上がったのは日本でだった。イルハン・マンスズはトルコにいたときよりも人気を博した。今もまたメフテルへの熱狂が日本を包み込んだ。では、この好意はどこから来ているのだろうか?

かつてある日本人哲学者は、世界地図を手にして日本が一番下にくるようにひっくり返し、世界のあらゆる文化の特質が日本に到達し蓄積していると述べた。125年前、串本沖で沈没したフリゲート艦エルトゥールル号を追悼する式典のために、私は日本を訪れた。ここで1890年、527人のトルコ人船員が命を落とした。
日本の史料には、樫野の住民は救った69人の船員を温めるためあらゆる衣服を提供し、最後のジャガイモや鶏に至るまで食料を分け与えたと書かれている。亡くなった船員の遺体は数年間にわたり、海岸に打ち上げられた。地元の人々の基本的な収入源は漁だったが、亡くなった人々に敬意を払うためだけに3年間に渡って漁を行わなかった。
ここは、礼儀正しい人々の国だ…。全てのものや人を思いやり、好意と関心を内包する礼儀正しさだ…。

沈没事故の後、日本人は、エルトゥールル号の記憶を留め、それとともにトルコ人たちに対する親近感をもたらした。彼らが故バルシュ・マンチョを記念して1本の桜の木を植え、サッカー選手イルハン・マンスズが長い間日本のメディアに出ていたことを、私たちはみな覚えている。そして、今度、日本を訪れ、私は彼らが「メフテル」に対し特別な関心を持っているらしいことを知った。

その理由はこれだ。フリゲート艦エルトゥールル号は、スルタンアブデュルハミト2世の勲章と贈り物を日本の天皇に贈るため日本の海で3ヶ月停泊し、その間に乗船していた50人の楽団が船の周囲に並べられたボートに演奏を行った。今年の追悼式典では、参謀本部所属のメフテルが演奏を行ったが、それはこの繋がりを象徴的に表している。

■タルカンではなくメフテル

今回、メフテルの日本招致を実現したのは、ユヌス・エムレ・インスティテュートだった。公共財団である同協会は、トルコとトルコの言語や文化を外国に紹介するために2007年に設立された。メフテルのショーのため雨の中待っていた人々を見るまでは、私は、説明がちょっと大げさだと思っていた。コンサートの後メフテルの写真を撮りたがった女性が、「よろしければあなたも一緒に」といわれて、感動して泣いていたことも見るに値するものだった…。

メフテルが東京で行った行進で、人々が叫びながら―まるでタルカンを見たかのように―彼らに触れようとしていたことも見落とせない。毎日ハルビエの軍事博物館で披露されている演奏に、日本人旅行者が最も多く関心を示していることの理由も、これだろう。例えば、博物館での演奏を聞きトルコ語を学び始めたある日本人の若者が、私たちを訪ねてきた。「以前テレビで見て、その後YouTubeで見ました。この音楽はまったく違うものに思えて好きです」と言っていたある日本人タクシー運転手のように、彼も「あなたたちの楽器は日本にはありません。多分このため日本人の関心をひくのでしょう」と語った。日本人女性たちの関心においては、曲がった口ひげの役割も明白だ。「ジェッディン・デデン」行進曲は、今から約10年前に国営チャンネル(原文ママ)で放送された「阿修羅のごとく」(訳注:1979~80年放送)というドラマのBGMとして使われ、中外製薬社のエナジードリンクの宣伝音楽に使われていた。

さて、「日本人はトルコ人をとても好んでいる」という決まり文句は本当だろうか?これを日本人について研究している研究者のエルダル・キュチュクヤルチュン氏に尋ねた。同氏は、1997年に東京の北西、日本海側で設立された「柏崎トルコ文化村(訳注・新潟県柏崎市)」というテーマパーク計画の総括責任者を務めていた。キュチュクヤルチュン氏によると、20年前まで人々の頭のなかのトルコのイメージは「オリエンタルでミステリアスな国」のイメージでできていた。当時大ヒットした歌がある。「飛んでイスタンブール」(訳注:1978年)だ。この歌のカラオケクリップでも、このイメージが反映され、魔法のかかった箱からいろいろ不思議なものがでてくるというシーンが使われていた。当時日本の多くの地域でトルコがどこにあるかを知っている人を見つけるのは難しかったが、直行便と、「柏崎トルコ文化村」と、それに加えて日本のテレビ局が制作したさまざまなドキュメンタリーによって、今では状況は全く異なっている。

ところで、この「気のあるそぶり」の一因となっているある人物がいるのだが、その人物は日本人の間で非常に有名だ。串本におけるエルトゥールル号海底遺品発掘計画のリーダーであるトゥファン・トゥランル氏だ。海底調査を行う考古学者で、2007年以来計画的にチームを率いて船の沈んだ場所に潜水している。彼の目的は、609人の船員の記憶を留めることのみだ。実際、発行部数1200万部の日本の「朝日」新聞で、しばしばエルトゥールル号についての記事がのるのもそのためだ。エルトゥールル慰霊碑の維持は大島小学校の生徒たちによって行われており、この大惨事は同国の教科書でも扱われている。トゥファン先生はさらに、毎年日本人の生徒たちを集めて日本の研究室に連れて行っている。「彼らにエルトゥールル号から発掘した、たとえば1本の釘を渡します。すると、興奮して、そばにいる友人に『ぼくはエルトゥールル号の部品を持っている』と言います。その後皆を集め、『水中考古学者になりたい人』と言うと、全員が手をあげます。重要なのは彼らにこの興奮を与えることができるということです。」

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(翻訳者:永山明子)
(記事ID:37993)