ブルサの聖ヨハネ教会、販売中(!)
2015年07月09日付 Radikal 紙


ブルサのムダンヤ郡にある聖ヨハネ教会が、あるインターネットサイトで100万ドルで販売されている。

1923年にギリシャとトルコの間で行われた住民交換の結果、個人財産とされ、ムダンヤ自治体による分類では「庭付き住宅」とされてきた聖ヨハネ教会は、行政の制限によって手を加えるのが不可能な状況となり、所有者が100万ドルで売りに出した。

 トルコとギリシャ王国は1923年、ローザンヌ条約と同時に結んだ合意書により、それぞれの国民を信仰する宗教に基づいて住民交換した。この移民の結果、トルコ大国民議会(TBMM)は「資産取得法」を制定し、ギリシャからトルコへ移った人々に資産を与えた。この枠組みの中で、ティリリエ地区で教会として使われていた建物は、1928年にギリシャから移り住んだ「ギリトリ・アリ・ドゥラク」という名のトルコ人の一家に与えられた。一家はここに約83年間暮ら し、2011年に建物をある実業家に売った。

■行政が家主を疲弊させた

 匿名希望のこの男性は2011年、教会をブティックホテルにしてティリリエ地区の経済に役立てようと考えたが、行政側から制限された。ムダンヤ自治体の分類では庭付き住宅とされているにもかかわらず、ブルサ地方文化資産保護局は、この建物がかつて教会であったとして、改装をするには正式なプロジェクトを立ちあげる必要があると示した。

実業家はこれを受け「ティリリエ・ギュベン不動産」の責任者に全てを委任し、建物の改装のため必要な計画を準備するよう求めた。不動産業者は計画を準備してムダンヤの役所へ行き、委任状を受け取ってブルサ地方文化資産保護局へ持ち込んだ。業者は建物の設計図を建築家に描かせ、同局の責任者に提出した。

■教会への調査

 計画と建築活動がブルサ地方文化資産保護局に提出された後、同局は建物の調査を始めた。その結果、計画にはいくつかの変更が求められた。不動産業者は再び計画を整え、文化資産保護局に送った。保護局は計画を許可したが、建物に手を加えることは認めなかった。それについて一切の理由を示さず、この件は文化観光省に関係するとした。不動産業者は数回にわたって大統領府、首相府、関係省庁に文書を送ったが、回答は得られなかった。行政からの制限に業を煮やした教会の所有者は、委任先の不動産業者に教会を百万ドルで売りに出すように求めた。こうして業者は、あるインターネットサイトに教会の情報を掲載した。

■「許可が下りればアパートホテルになるはずだった」

 ティリリエ地区で観光ガイドをするカディリ・ウヤヌク氏は、教会が1200年前から地区に残る7カ所の建造物のうちの1つで、「デュンダル・エヴィ」として知られていたと説明し、次のように話す。

「裏庭にある桑の木のある場所が、もともと教会があったところです。裏にある建物には聖職者たちが暮らし、訪問者も宿泊したそうです。トルコ独立戦争の後、これらの建物は私財となりました。長い間、クレタ島出身の一家がここを使っていました。3世帯で住んでいたようです。一家はここで暮らせなくなったため、建物を売らざるを得なくなりました。彼らはここを、ある実業家に売ったのです。実業家は建物のために5年間、奮闘しましたが、改装は行政からの制限で行き詰まってしまいます。もし許可が下りていれば、アパートホテルとして使われるはずでした」。

■ブルサ府主教は「建物はそこまで古くない」

 フェネル・ギリシャ正教会総主教座のブルサ府主教でヘイベリアダ聖職者学校の代表でもあるエリピドフォロス・ランブリニアディス教授は、DHAの記者にこの件について問われ、売りに出された教会は築1200年のアーチのある教会と混同されていると答えた。ランブリニアディス教授はこう話す。

「デュンダル・エヴィとして知られるこの建物は、もっと新しい。オスマン帝国の時代に建てられた聖ヨハネ教会だ。アーチの教会は私が2011年に買った。聖ヨハネ教会も買うよう勧められたが、 全ての教会を買う気にもなれなかった。聖ヨハネ教会の購入者はホテルにしようとしたが、実現できなかったので売りに出したというわけだ」。

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( 翻訳者:川原田嘉子 )
( 記事ID:38116 )