ニューヨークで成功のディヤルバクル出身ハックの物語
2015年07月18日付 Milliyet 紙


ディヤルバクル出身のハック・アクデニズさんは、住む家も持ち金もなく、貧乏な状態で大きな困難を経験したニューヨークで、強い意志により、3回世界ピザチャンピオンになり、7つのピザ屋と1つのタコス屋の主人となった。

カナダからニューヨークへ不法に渡ることでアメリカでの生活を始めたハック・アクデニズさんは、強い意志と勤勉さで、ピザ帝国へと続く大きな成功を印した。ディヤルバクル出身のハック・アクデニズさんは、路上で寝て、食べる物も水もなく過ごしたアメリカでの生活の中、8つのレストランのオーナーになり世界ピザチャンピオンにまでなった成功物語を説明した。

ディヤルバクルのスィルヴァン郡で産まれたアクデニズさんは、1997年にカナダへ渡り、約4年 間、義理の兄と共にピザ屋で働いた。ここで過ごしている間に、ラテンアメリカ出身の女性と生活を共にし始めたアクデニズさんは、一人の息子の父親となったが、その後自身の子供が10歳になるまで、その姿を見ることができなかった。アクデニズさんは、息子が10歳になった時に、アメリカとカナダの間の国境線 に行き、金網フェンスを越えて、子供を見るチャンスを得た。

■何日もターミナルで待った

家庭の事情によりアメリカのニューヨーク市に行くことを決めたアクデニズさんは、住む家もなく、食べるものも水もなしで過ごしたニューヨークでの最初の日々を以下のように話した。

「兄の友だちが、私をバス停で出迎えるはずだった。バス停で3-4日待ったが、誰も私を迎えに来なかった。持ち金もつきそうになりながら、何日も路上で過ごした。」

アクデニズさんは、その後のアメリカでの新しい生活も何日も路上で過ごす中、その生活での危険を凌いだ。

■寝ていたら、ごみ収集車に投げ込まれた

ある日の朝方、通りで知り合ったセネガル出身のホームレスの黒人の友だちと一緒に、ふたのついた大きなゴミコンテナで寝ていると、コンテナへと近づくごみ収集車へ、ごみと一緒に投げられた。その時に起きて、ごみのようにつぶされることから、すんでのところで助かった。また、セネガル出身の友だちも命拾いした。カナダで妻と暮らしたことからスペイン語を学んだにもかかわらず、アクデニズさんは英語を知らなかった。アクデニズさんは、ニューヨークで家なしで過ごした時代に、この理由で困難がより大きくなったと述べた。自分のように英語を知らないセネガル出身の友だちとフランス語を話していたアクデニズさんは、彼と一緒に申し込んだホームレスのためのシェルターへ、アイデンティティーカードがないために受け入れられなかったことを明らかにし、その後他のシェルターで9週間泊まったと明らかにした。

■シェルターで知り合ったトルコ人女性が道を示した

シェルターで知り合ったホームレスのトルコ人女性が、シェルターから出て別の人生を歩みだすきっかけになったとし、ホームレスの女性が彼にマンハッタンにあるシヴァス出身者のレストランに行くことを薦めてくれたと述べた。「彼もニュージャージーで他のレストランを紹介し、そこに住めるようにしてくれた」と続けた。その後いくつかのレストランで働いたアクデニズは、この頃ボクシングをやり始めた。彼がボクシングに向けた興味と規則正しい練習は、彼をアメリカ金グローブアマチュアチャンピオンにした。

肋骨骨折によりボクシングをやめたアクデニズさんは、借金して2009年に小さなピザ屋を開き、ピザ生地を回す仕事に没頭した。アクデニズさんは、何 度もこの分野で行われたアクロバット選手権に参加し、初参加では87位であった。この不成功を許せなかったとするアクデニズさんは、その後イタ リアで行われた大会にアメリカ代表として参加し、世界チャンピオンになった。アクデニズさんは、アメリカでの大会でもアクロバティックにピザ生地を回し、 3回ピザチャンピオンになったことにより、名声を集め、この頃次々に開店したピザ屋の数も7つになった。多くのワイドショー番組や食に関する重要なテレビ番組でデモンストレーションをしたアクデニズさんは、学校でもそれを行い、若者にピザづくりを教えている。

■「路上で寝なかったら…」

ニューヨークの有名なピザ皇帝が、お腹を空かせて路上で過ごした成功物語は、地元と全国規模の多くのメディアの関心を引き、既に彼に関する一連のドキュメンタリー映画の試みが行われる理由となった。

自身の人生に関し「私は貧乏でなかったら、路上で寝なかったら、恐らく今日の風景を見ることができなかった。この成功をつかめなかった」と述べたアクデニズさんは、路上のホームレスや乞食へ、アメリカの多くの人とは反対に、暖かい眼差しを送る。毎晩、ホームレスのシェルターに、ピザ屋から無料でピザを運んでいる。

子供と会うことができ、彼のために時間を割くことを望んでいるアクデニズさんは、彼の母親を巡礼へ送った。アクデニズさんの新たな目標は、近々、国連の加盟国を表す193の小さいピザを集めて巨大なピザをつくり、ギネス記録にのることである。他の計画は、トルコでディヤルバクルをはじめとした多くの都市でピザ学校を開くことだ。

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( 翻訳者:白尾みさき )
( 記事ID:38206 )