トルコ全土でテロ容疑者297人拘束
2015年07月24日付 Hurriyet 紙


アフメト・ダウトオール首相が議長を務め、一昨日(7月23日)行われた治安対策会議での決定をうけ、昨日(7月24日)16県でIS(イスラム国)、PKK(クルディスタン労働者党)、DHKP-C(革命家人民解放党戦線)らテロ組織に向けた一斉取り締まり捜査が行われた。この結果、トルコ全土から計297名が逮捕され、イスタンブルで発生した衝突では自爆テロ犯として行方を追われていたDHKP-Cのギュナイ・オザルスランが殺害された。トルコにおけるISのキーパーソン(重要人物)である、アゼルバイジャン出身のアブドゥッラー・アブドゥラエヴも逮捕された。

イスタンブルを中心に、アンカラ、アンタルヤ、ブルサなども含む全16県で、昨日一斉テロ捜査が行われた。イスタンブルではISに向け、バシャクシェヒル、バージュラル、ペンディッキ各区で捜査が行われた他、特別機動隊はバシャクシェヒルにおいてシリアでの戦争に送られることになっていた外国籍の30人を逮捕した、他の捜査では、トルコでのISの重要人物とされるチェチェン・アブドゥッラー・アブドゥラエヴや、以前アル・カーイダに関連した裁判でその名前が挙がったハリス・バヤンジュクを含めた6人が捕まった。バヤンジュクの妻も逮捕された。これら6人は、外国籍戦闘員を海外から連れてき、シリアに送る役目を果たしていたことが明らかとなった。その他の捜査ではライフルや拳銃が押収されたことが分かった。

■自爆テロ犯

警察は、DHKP-Cを対象とした一斉捜査をチェクメキョイ、スルタンガーズィー、バージュラル、エセンユルト、マルテペで行った。以前から警察が自爆テロ犯として追いかけていたDHKP-Cのギュナイ・オズアルスランが隠れていたバージュラルのイェニマハッレ・ビュルビュル通りにある家で、衝突が発生した。情報によれば、警察が家に突入しようとした際、オズアルスランが窓から発砲した。1階の扉を壊して家の中に突入した機動隊は、居間でオズアルスランに発砲し、殺害した。他の部屋に居た家の主、メフメト・ジャンポラトさんとその妻、ギュル・ジャンポラトさんは、2人の子供と共に負傷することなく救出され、一家は警察に連行された。殺害されたオズアルスランとジャンポラト一家が親しい関係にあり、時々彼らの家に泊まっていたことが分かった。家宅捜索では拳銃が発見された。警察の発表によると、DHKP-Cは自爆テロ犯を隠すため、長いこと様々な策略を用いていたという。自爆テロ犯らが組織メンバーの家で暮らすのではなく、組織メンバーの知り合いでありながらも組織とは繋がりのない、そして警察が全くマークしていない家に客人として滞在するようにしていた。衝突が発生した家の家族も、こういった家族であった。また警察によれば、家族はオズアルスランが左派的思想を持つ人物であったことは分かっていたが、組織の自爆テロ犯であることはしらなかった。また警察の捜査によれば、計22の罪に問われ指名手配されていたオズアルスランは、「組織メンバー」であるとして罪に問われ2010年に刑務所に入っていた。2014年6月にバクルキョイ女性刑務所から釈放された彼女は、1年間無職で過ごしたことが明らかになっている。彼女は未婚で、家族とも絶縁状態であったという。また兄であるヒュセイン・オズアルスランも刑務所にいたことが分かった。

■弁護士ら:衝突ではない

 衝突の後、警官らはビュルビュル通りの全ての出入口を封鎖した。事件現場にやって来たオズアルスランの弁護士であるオズギュル・ユルマズ氏、エブル・ティムティク氏、オヤ・バイダク氏は、家での調査をすることを望み出た。しかしオズアルスランの近親者や弁護士らは家の中に入ることを許されず、彼らと警察の間では緊張が走った。「公正を求める」と述べたオズギュル・ユルマズ弁護士は、「ギュナイは我々の依頼人です。私たちは彼女が殺害された場所に入らなくてはなりません。たぶん家の中の証拠が隠ぺいされようとしている。我々を中に入れない警察は、罪を犯しているのです」と述べた。警察が撤退した後、弁護士や報道陣は、衝突が起きた家に入った。ユルマズ弁護士は、家の中で行った最初の調査の後、「ここでは如何なる『衝突』もありませんでした。警察が早朝、家族らが中にいる時に扉を壊し侵入し、そして私たちの依頼人であるギュナイの部屋に入り、処刑を行ったのです。部屋にある3発の銃弾が証拠です。ギュナイが死んだ場所のすぐ後ろにあります。つまり、銃弾は全て真っ直ぐギュナイに向けられたようです。さらに、向かい側の建物の窓に銃痕があります。ギュナイは応戦しなかったということです」と述べた。またエブル・ティムティク弁護士は家の中をカメラで撮影し、「このままでは終わらせません。」と話した。衝突が起きたアパートで暮らす住人は今回の事件について、「朝5時半ごろ、大きな音で目を覚ましました。最初は何が起きたのか分かりませんでした。」と語った。

■PKKに対しても一斉捜査

テロ組織に対する一斉捜査の対象は、ISとDHKP-Cだけではなかった。PKK、PKKの青年部組織であるYDG-H(愛国革命家青年運動)とMLKPといった組織のメンバーも捜査の対象であった。ヘリコプターを利用した今回の捜査では、スルタンガーズィー、シシュリ、サルイェル、マルテペ、エセンユルト、キュチュクチェクメジェといった地区で一斉捜査が行われ、66人が逮捕された。

■あだ名は「ウフドの戦い」から

この一斉捜査で妻とともに逮捕されたハリス・バヤンジュクは、現在刑務所に収監されているヒズボラメンバー(訳注:レバノンのヒズボラとは異なる。1983年にトルコで設立されたクルド・スンナ派の組織。別名トルコ・ヒズボラまたはクルド・ヒズボラ)のハジュ・バヤンジュクの息子である。フトバでは「エブー・ハンザラ」の名を用いている。エブー・ハンザラは、625年のウフドの戦いで命を落としたムハンマドの教友の一人の名前である。バヤンジュクは、直近のラマザン・バイラムの際、イスタンブルのオメルリで行われたイベントで、シャリーアに基づいた体制を望んでいると発言していた。Webサイトで「トルコ共和国政権への警告」と題した文書を発表したことについて、バヤンジャクは、「対シリア政策について、世界の不信心者(異教徒)たちを説得するためにムスリムの家を朝5時に急襲するのであれば、彼らの家庭内(ハレム)に踏み込むのであれば、私たちはアッラーにあなたたちのことを訴えます。もう一度よく考えなさい」と述べていた。

■ISと関係あり

バヤンジュクがISと繋がっていたことは、以前発表されたビデオで明らかになっていた。エブー・ハンザラの名前で開いたTwitterアカウントからは、6月10日、フォロワーに向け、ヒズボラへの支持を求めるTweetをしていた:「ヒズボラは、90年代PKKへの抑圧に対してあらゆるイスラム的なものを守ったように、今日もイスラム的要素は彼らヒズボラと共にあるべきである。この教団を守ることは、誰も、自由ダウア党(HÜDAPAR)もしてくれないのだ。あなた方がイスラムを守ったのであり、独裁に抵抗してきたのだ」。
ハリス・バユンジャクは2008年、イスタンブルで2度目のシナゴーグデモを計画した際に逮捕され、1年後に釈放された。ヴァン県検察総局が2014年1月14日にアル・カーイダに対して行った捜査では、バヤンジュクはアル・カーイダのトルコ代表であるとして連行され、その後逮捕された。バヤンジュクの名前は、ISがエジプト総領事館員を人質に取った事件で、人質が解放された際に、その交換条件としてあがった人物らの中にある名前でもあった。しかし確認できていなかった。同じ捜査で、キリス人道支援ワクフ(İHH)の倉庫と事務所にも捜査が入り、アル・カーイダの中東におけるナンバー2とされるイブラヒム・Şと、その他27人が逮捕され、またその後はウミト・ユルダクル警察署長が「影の国家(ギュレン勢力)」捜査の中で解任されていた。

■13の県で逮捕者

ウードゥル:民主地域党(DBP)ウードゥル県共同代表ズベイデ・カイナル、人民の民主主義党(HDP)ウードゥル県共同代表ディルベル・トゥラン、旧ウードゥル市長ヒュセイン・マルク、旧平和民主党議員オウズ・オクを含めた9名
アダナ:YDG-Hメンバー32名
メルスィン:PKKと繋がりのあるとされる21名と猟銃7丁、猟銃弾190発、拳銃10丁
アドゥヤマン:ISと繋がりのあるとされる8名
コジャエリ:PKKと繋がりのあるとされる13名が逮捕されたが夜には釈放される
アンカラ:YDG-Hメンバー5名、ISメンバー9名
エラズー:YDG-Hメンバー5名
シャンルウルファ:YDG-Hメンバー35名
イズミル:PKKと繋がりのあるとされる7名が逮捕されたが夜には釈放される
アンタルヤ:PKKと繋がりのあるとされる2名
ブルサ:YDG-Hメンバー9名
ビトゥリス:YDG-Hメンバー8名
ビンギョル:PKKと繋がりのあるとされる9名
ムシュ:YDG-Hメンバー10名

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( 翻訳者:木全朋恵 )
( 記事ID:38275 )