政府寄り新聞の本誌攻撃に答える―ヒュッリイェト紙
2015年08月01日付 Hurriyet 紙

政権寄りの新聞で最近、ヒュッリイェト紙のPKKのテロについての報道を追及し、中傷ともいえる非難をするキャンペーンが見られる。

 執拗に、組織的な形で繰り返されるこの非常に有害なキャンペーンでは、ヒュッリイェト紙がPKKのテロ活動だと明言しないこと、PKKの名を言及することを避けていると主張されている。この根拠のない、作られたイメージによって、ヒュッリイェト紙がPKKテロに対して無理解であるという認識を定着させようとしている。これを出発点として、この非難はドアン・グループがPKKの応援しているという卑劣な主張にまで達している。

 この糾弾キャンペーンに最近この一派のもっとも中心的新聞であるサバフ紙も加わった。この新聞はヒュッリイェト紙が先日1ページ目に取り上げた、PKKが殺害したある軍人のボルでの葬式に関する記事、「私に唯一残されたのは、笑っている殉死者」さえあつかましくもあら探ししている。我々はこのキャンペーンを批判しているが、しかしこの批判が相手側の恥の概念に届いているかどうかは確かではない。

 虚偽の上で行われているこのくだらない攻撃にそもそも反応を示す必要さえない。PKKが始めた最近のテロ攻撃に対してヒュッリイェト紙が書いてきた記事や取ってきた態度は明白である。編集長をテロの犠牲として失った新聞としてヒュッリイェト紙はテロに対していかなる時も最も断固とした態度で戦ってきた。過去の記事がこの真実を裏づけている。これからもテロがどこから来ようともそれと戦い続ける。

 他の問題点はこの一派においては、言を一にしたかのように、どんなニュースをどう伝えるべきかを他の新聞に指示しようとする、一種のメディアの検閲体制が始まっていることだ。

 このようにして、心理学的なテロの環境が生み出され、独立した新聞が消えかけようとしている。これをメディア・テロと呼んでも差し支えはないだろう。トルコは最近はISILやPKKテロも加わり、非常に多くの深刻な問題の対処に迫られる危機的なときを迎えている。

 このような時にこの種のメディアテロにさらされることは、トルコ特有の、独立のジャーナリズムが負う代償である。メディアテロはその目的を果たすことはないだろう。

 トルコが置かれている状況は、緊張緩和と大いなる和解を不可欠なものとしている。この点から見て、当該の攻撃は更に無意味なものになるだろう。我々はテロへの反対姿勢同様、トルコを愛することにおいても、いかなるあら探しも許さない。

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( 翻訳者:市野太音 )
( 記事ID:38342 )