PKK要人死亡、葬儀で衝突―ハッキャーリ
2015年08月12日付 Radikal 紙


PKKの地域統括者で「アンドク」というコードネームのバルシュ・テクチェの遺体が墓地に移送される途中、警察と葬儀参加者の間で緊張が走った。

ハッキャーリ-チュクルジャ道路において昨日9時ごろ、あるPKKメンバーのグループによって道路が重機で掘削されたことが確認されたのちに、地域へ軍事作戦が行われた。航空支援を伴って行われた軍事作戦で、ヘリコプターからの発砲の結果、「アンドク」というコードネームの、PKKのカヴァクル地域統括者であるバルシュ・テクチェが重傷を負った。テクチェは地域の他のPKKメンバーによって運ばれたが道中で死亡が確認された。テクチェの遺体は家族とメソポタミア遺族相互扶助・文化協会(MEYA-DER)関係者によって今日ハッキャーリに運び込まれた。テクチェの遺体はここでハッキャーリ国立病院の遺体安置所に収容された。解剖が行われた後テクチェの遺体は群衆によって病院の遺体安置所から引き取られ、埋葬のため墓地に運ばれた。

群衆がダーギョル街区にある警察局の前を通り過ぎる時、HDP(国民の民主主義党)とDBP(民主地域党)の幹部たちが警察局の前の門のところで警戒態勢をとって待機している装甲車を建物内の庭に移すよう求めた。この時緊張が走った。この緊張の高まりを受け、警察は威嚇射撃をし、多くの人は警察の建物と装甲車に投石を始めた。

警察は一瞬で混乱に陥ったダーギョル街区と警察局の周囲に対策を講じ、催涙ガスと高圧水を使って群衆を散らそうとした。一方あるグループは投石をして反撃した。この時テクチェの遺体は他のグループによって事件現場から遠ざけられた。テクチェの遺体はスムビュル街区のテクセル墓地で埋葬された。現在も事件がところどころで続いているハッキャーリ市の中心部で、多くの人が催涙ガスの被害を受けた。

テクチェの葬儀には、ディレキ・ハティプオール、ヌラ・チフトチ両共同市長、BDP、HDP幹部のほか、多くの人々が参加した。

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( 翻訳者:竹田史佳 )
( 記事ID:38418 )