ISスルチ自爆テロ犯と同じチャイハーネからIS参加の若者、検察に証言
2015年08月29日付 Radikal 紙


スルチ虐殺事件の犯人アブデュラフマン・アラギョズの兄が経営するイスラム茶店に通い始めた後、「イスラム国(IŞİD)」と連絡をとりシリアへ渡ったアドゥヤマンの若者は、その行路について語った。2月にイスラム国に加わり16~17日間滞在し、「1つの活動にも参加しなかった」と語る17歳の若者は釈放された。

スルチで33人の命を奪った自爆テロを引き起こしたシェイフ・アブデュラフマン・アラギョズの兄ユヌス・エムレ・アラギョズがアドゥヤマンで経営するイスラム茶店に通った後シリアへ渡りアドゥヤマンに戻ったO.E.は検察官への供述でシリアへどう渡ったか説明した。O.E.は供述で「2月にアドゥヤマン県にあるイスラム茶店で、(モスクでの)金曜礼拝を終えたところで、見知らぬ人達がシリア側に渡ろうとしているという話を耳にし、彼らに加わった。眠れなかったので詳細はよく覚えていない。この人達と一緒にガジアンテプ県に行った。ここでプレートも、色も、車種も思い出せない1台の車に乗った。私と一緒に、隣には名前も苗字も知らない人が三人いた。私たちが車に乗った後、私は疲れていたので寝た。目を覚ますとシリア国境を渡っていたようだった。私はシリアで約16~17日間滞在した。」と語った。

ディヤルバクルとスルチでの爆弾テロの後しばしば話題に上がったアドゥヤマンでは、公式な統計によると2013年以来20人が「イスラム国」に加わった。そのうち3人がシリア各地で命を落とした一方で、2人はテルアビャドで人民防衛部隊(YPG)に捕まり捕虜となった。アドゥヤマンのグループに所属するオルハン・ギョンデルが、6月5日にディヤルバクルでの人民の民主主義党(HDP)集会で起こった爆弾テロの後、その首謀者として逮捕された一方で、シェイフ・アブデュラフマン・アラギョズはスルチで自爆テロを起こし33人の命を奪った。

ディヤルバクルとスルチのテロが計画された場所であるイスラム茶店に通った後2月に「イスラム国」に参加し、アドゥヤマンに帰ってきた17歳のO.E.が検察官に語った供述を、私たちは入手した。

■イスラム茶店からシリアへ

O.E.という名前のアデュヤマン出身の若者は2014年にスルチ自爆テロ事件の犯人シェイフ・アブデュラフマン・アラギョズの兄ユヌス・エムレ・アラギョズが経営するイスラム茶店に通い始めた。O.E.は定期的に毎週金曜日に茶店へ通い、2月に突如姿を消した。O.E.は1か月後アドゥヤマンに帰ってきた。7月にO.E.が再び姿を消したことを受けてO.E.の家族は7月5日にアドゥヤマン警察に行き自分たちの子供がいなくなったことを知らせた。O.E.が1週間後に姿を現したことに伴いアドゥヤマン警察はO.E.を「犯罪を教唆された未少年」の名の下取り調べをするため、アドゥヤマン共和国検察庁へ送検した。8月14日に検察へ供述したO.E.はアドゥヤマンからシリアへの行程を説明した。

■「聖戦のためにシリアへ行った」

聖戦をするためにシリアへ行ったと述べるO.E.は供述で「私は11~12歳から今日まで様々な教団や組織に参加した。失踪者として、私のことが2015年7月5日に届け出られたようだが、私はその日ガジアンテプ県に友人と働きに行くところだった。完全な日付は思い出せないが、2月に、アドゥヤマン県にあるイスラム茶店で、金曜礼拝から出てきたところで、見知らぬ人達がシリア側へ渡ろうとしていると耳にし、彼らに加わった。眠れなかったので詳細はよく覚えていない。この人達と一緒にガジアンテプ県に行った。ここでプレートも、色も、車種も思い出せない1台の車に乗った。私と一緒に、隣には名前も苗字も知らない人が三人いた。私たちが車に乗った後、私は疲れていたので寝た。目を覚ますとシリア国境を渡っていたようだった。私はシリアで約16~17日間滞在した。この期間、大きな、庭付きの家で暮らした。私はこの期間内、家で礼拝をし、会話をした。外出は一切しなかった。どんな活動にも加わらなかった。私が国境の外へ出た目的は、イスラムの主張のために何かをすることだった。私たちのイスラム信仰によれば、信仰の頂点は聖戦である。2番目に大事なのは、「宣言」である。私の目的は、イスラムについて私が知っていることを他の人々に説明すること、すなわち「宣言」することだった。何か行動する気はなかった。今は、国境の外へ出る考えはない。」と述べた。

■「(私たちは)互いを兄弟と呼ぶ」

供述で、「イスラム国」に共感し、(身元がわからぬよう)予防措置としてグループ内で互いの「兄弟」と呼んでいたと述べるO.E.は以下のように説明した。

「携帯の残っていた写真に関して。皆が自分に関係すると考えるチームや組織を持っているように、私も自分に関係すると考える、好きなグループの写真をもっているのは普通である。私は自身をこのグループに近いと考えている。アドゥヤマン県内に、テロをしそうだと私が考えたり思ったりする人物はいない。今、アドゥヤマン県から聖戦の考えにより連れていかれた人がいるかどうかは分からない。私が今、積極的に会っている人はいない。私はどんな形であれ、あなた方がテロ組織に数える「イスラム国」の宣伝をしてはいない。私はアドゥヤマン県にあるイスラム茶店に2月の2~3か月前から毎週金曜日に行っていた。閉店した後はそこに行くのをやめた。今私が言ったように、どんな人との関係もない。また、私たちはグループ内で互いのことを兄弟と呼ぶ。名前は使わない。これも予防措置として行っている。私がこのことに関して話すべきことは以上です。犯罪の告発をされる謂れはない。」と述べた。

O.E.は検察への供述後、(警察による)保護観察処分で釈放された。

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( 翻訳者:福永千夏  )
( 記事ID:38534 )