Taha Akyol コラム:新時代
2015年09月01日付 Hurriyet 紙

与党(公正発展党)は分岐点にいる。崩れた結成時の原則に立ち戻るか、あるいは自身も国家も窮乏に陥れる行動を続けてゆくかである。

公正発展党(AKP)の結党の原則は、長い与党期間で腐敗してしまったと語る党員がいた。現在、ダウトオール首相自らも語っている。

「国民は結党の原則に立ち戻れ、と言っている!」
この原則はどのように腐敗したのか?ダウトオール首相は挙げた例は以下の通りである。

「私たちの結成時の価値には、贅沢、虚飾は存在しなかった。生活水準を政治に持ち込んで変わったような人物は私たちにはなかった。上に羽織るものだけで歩き回るような人物は、この問題に関係ない。連れ合い、親友、親戚をどこかしこに押し込むような人物は、私たちの中にいなかったし、ないであろう…。手にした公職を通じていかなる形においても不労所得を手にする人たちには、この門は閉まっていた…。」

なぜこのようになってしまったのか?ダウトオール首相は学者風にこれに返答した。「あらゆる政治運動は、権力に由来する過ちがおこる」。

■権力は腐敗する…

そう、すべての問題はここにある。「権力に由来する過ち」とは、権力の感覚により原則が崩れることである。自由民主主義に関する著名な思想家のひとりであるアクトン卿の1877年の著名な格言がある。「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する!」

憲法、三権分立の原則、法の優越、説明責任、監査と均衡、自由な報道のような自由民主主義的価値観は、歴史の中であらゆる権力が野蛮化し悪用することを食い止めるために発達した。

政党内部の民主化と監査もこの中に含まれる。AKPの組織プログラムには、これらの原則はすべて存在しており、「特権を制限する」ようなもの、(議員)候補者の決定において、「予備選挙実施を優先的な選択肢とする」というようなことも…。しかし、これらは生かされていない。生かされないで、何が起きたのか?

■AKPの力があった期間

心あるAKP党員は注意してほしい。AKPは50%の得票率と327人の国会議員を擁して最も「力があった」2011-15年の期間は、政権だけでなく、 トルコにとってももっとも困難な期間であった。この「もっとも力があった」与党期間において、ダウトオールが批判した優越、虚飾、ネポティズム(縁故主義)のような否定的なこととともに、厳格・権威主義も現れた。社会政治的天候は大荒れとなった。

そして、6月7日の選挙でAKPは単独与党の地位を失った。つまり、「力がある」だけでは十分ではなく、他のことも必要である。すなわち権力は制約があり、均衡があり、監査でき、折り合いをつけ、寛容な政治を身につける、というようなことである。

憲法に関する著名な専門家のひとり故アリ・フアト・バシュギル先生の故メンデレス大統領と故バヤル大統領への助言がある。「もう少し折り合いをつけて、もう少し、柔らかい態度で,,,。」

新時代では、すべての政党にとって、トルコでこのことが必要となるだろう。

■二つの主要な流れ

与党が「結党の原則」へ立ち戻ることは、「結党時のスタッフ」の協力によって可能となる。「(立候補)三期制限」の基本精神を保持する重要な人物が国会に(議員として)いかねばならない。彼らの「自由重視」なしに、ダウトオールが望む「回帰」を容易にこなせない。8月30日に全アジアの運命を変えた「大勝利」の式典に参加した際に、今日の関係のよくない状況下でダウトオール首相とクルチュダオール共和人民党 (CHP)党首の密接な関係が新しい時代のシンボルとなることを私は願った。ここ何年このような文化的な振る舞いを目にしなかったことか?

もしAKPとCHPの連立は妨げられなければ。11月1日の選挙の結果がどうなろうと、クルチュダオールCHP党首率いる一新したCHPとダウトオール首相率いる「結党の原則」に向かうAKPの間でこのような文化的な関係を築くことが、トルコにはとても必要である。

なぜなら、問題は、この主要な二政党が和解することでのみ解決できるほど重いからである。

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( 翻訳者:岸田圭司 )
( 記事ID:38556 )