臓器移植〜意図的自殺か、それとも貧困による現象か(1)
2015年09月09日付 Jam-e Jam 紙

【ジャーメ・ジャム紙別冊タペシュ8~9面】

 あらゆる社会的現象には、社会的疑問がともなっている。臓器を売る行為に関しても、いったいどのような出来事が自らの肉体を売るよう人に強いるのか、という疑問が問われねばならない。果たして、貧困がこの現象の唯一の原因なのであろうか。

 テヘラン大学の博士課程(社会学)の学生であるマフディース・サーデギー氏はタペシュとのインタビューにおいて、「いかなる事情が原因で、イラン社会の一部の人は体の一部(臓器)を売買する行為に走ってしまうのか」との疑問に答えてくれた。

近年、イランでは臓器の意識的な取引が著しく増加しているように思われる。意識的というのは、ドナーが意識的に、自らの体の一部を売る行為に手を染める、という意味である。もちろん、ここでの議論では、「ドナー」の代わりに「売り手」の語を用いるのが適当だろう。

実際のところ、臓器を必要とする人にそれを移植する行為は、ある人が死亡し、その人の周囲の人たちの同意によって、まだ機能している臓器がそれを必要としている患者に提供(寄付)される場合には、必要とされる行為となる。この提供行為〔の対象となる臓器〕は、その時代の医師らの科学的レベルに応じて、腎臓、肝臓、目の角膜、心臓などが含まれる。

しかし、イラン太陽暦90年代半ば〔※西暦で2010年代半ば〕にある今日、イランでは健康で命ある個人によって、臓器が売られるケースが大幅に増えている状況を、われわれは目の当たりにしている。その中で、腎臓は売りに出される〔臓器の〕数としてはトップの地位にある。

つづく


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( 翻訳者:8413306 )
( 記事ID:38714 )